2009年07月30日

【第4日目の5 20090529】ジマからニジニウディンスクへ。ロシアの食堂車、1回目

 そういえば、この日は朝は風邪引きかかるくらい寒かったのに、昼からは扇風機回して窓開けてという状態でした。停車中に通路の寒暖計が29度とか指していましたし。下手に涼しいと窓開けっ放しで写真撮るのが難しくなりそうなので、その意味でも5月とか6月というのは良いな季節なのでしょう。
 

 ジマ近郊にて。電気機関車の廃車体を利用した倉庫。「顔」を含む残り半分は何処に?


 ジマ近郊にて。ロシアでは変電所にも側線が延びているのが印象的です。移動変電所を予備機として運用するため……? と推測しましたが、変圧器などの大物機材の搬入用かもしれません。


 「NOBO TRANK」と読みます。ノボォシビルスク通運……?


 街を離れると、また黒土の大地が続きます。車窓も「落ち着いてきた」きましたし、車掌の賄いメシの匂いも食欲誘ってきたので、朝昼は利用を見送ったロシアの食堂車へ。ちなみにモスクワ時間で15時……現地時間20時ですから、夕食としても遅いほうですね。


 厨房のドアがたまたま開いていたので撮れた一枚。




 インテリアはこんな感じ。云われてきたように……ちょっと年季の入った車です。間違ってもお洒落でも小奇麗でもない、時代に取り残された感じが濃厚。
 でも、悪い感じはしません。木目の化粧板は古びても温かみあるものですし、カーテンやテーブルかけ、生花で体裁は整えてますので居心地はよいもの。神田あたりの古いロシア系洋食屋……というのは偏見でしょうけど(神田の洋食屋に対して)、これは悪い意味での喩えではありませんからね!
 それにしても、他の客車とかでもそうですがロシアはカーテンの使い方が凄く上手いんですよねぇ……。車格以上に豪華に見えてしまう魔法といいますか……。
 ああ、カーテンよりブラインドが上等と考えてた(考えてる)日本の車両設計者のセンスのなさったら! あと余談ですが、1990年代の島原鉄道のディーゼルカーは横引カーテン装備だったので払い下げのキハ20でも結構デラックスに見えたものでした。

 閑話休題。予想はしてましたが混んではいません。お客は白人旅行者のみ……というか、食堂に限らず通路やホームに積極的に出てくる乗客はほとんど彼ら(+自分)なんですが。
 従業員は食堂長+給仕女性2名+コック……? 私服だったり制服だったりするので、どうも区別がつきにくいきらいがあるのです。
 

 さて、ロシアの食堂車で懸念してたのは「メニューは読めるか(英語か)?」「メニューの揃いは良いか」「高くないか」「味、量」「何か余計にチャージなど必要か」の5点。あと、ドルでも支払いできるか……に関しては、成田でルーブル交換してきたので問題なし(白人旅行者はドルで払ってたので、大丈夫なようです)。

 まず、メニューは文字だけですが英語表記ありです。素晴らしい。
 種類と揃いに関しては、出来るものだけ値段が書いてあるので(笑)、何が出来るかはわかるようになっています。サラダ1種、スープ2種、メイン4種(牛豚鶏魚)……くらいは選べます。個人的には迷うのも面倒ですし、高すぎる特別なものあっても無意味ですから正直コレ位で十分だと思いました。
 価格は、ロシアの物価を云々云うと安くないのでしょうが、日本の感覚でなら決して高くはありません(ちなみにロシアでファミレスと扱われるチェーン店、ヨーリキパーリキも食堂車位の価格でした)。
 取り合えずスープとメイン、ビールを注文……。


 定番のボルシチがあったのは嬉しい(180P ¥600位)。黒パンはサービスなのか、スープかメイン頼むと付いてきます。ビールはもちろんロシアビール(70P ¥230位)。


 メインはポークカツ(350P ¥1200位)。玉子っぽい衣がついてます。付けあわせがたっぷり……サラダとか別注する必要ないですね。

 肝心の味に関しては、どれも「おいしい!」。あと、ボリュームも十分。普通ならスープだけとかメインだけでも大丈夫だと思いました。
 あと、お勘定はメニュー記載どおりの620Pの明朗会計で安心♪ あと3日、この食堂車で大丈夫!という安心感は大きいものです。
 
 客車に戻り、食後のコーヒー。ロシアや中国だとネスカフェとティーバックを買い込んでおけば「飲み物代」を気にしなくて済むのがありがたいことです。お茶請けに、ウランバートルで買ったロシアのビスケットを空けますが、素朴ながら日本のより濃厚な味で悪くありません。
 落ちていくように見えなかなか沈まない日を眺めつつPC(HPのネットブック)引張りだしてメモ取ったり、本読んだりでまったりと。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実(米原万里)」はロシアの大地眺めながら読むとライブ感あっていいもの……。


 これを撮影したのが現地時間22:12。北の夏というのはいいものです。そしてあと数日、この感覚が楽しめる幸せ!


 さて。まったりしていたら23:37にニジニウディンスク着。流石に、暗いです。12分停車なのでホームに下りたりもせず。


 駅舎。ロシアっぽくも「ソ連」っぽくもないのでインパクトに欠ける印象です……。


 架線柱にとりつけられた案内板が綺麗。

 此処をでると、流石にまっくら。
 寝酒あおってから、例によってシーツ敷いてコンパートメントのドア施錠して、寝たのは現地1時くらい。でもモスクワ時間では20時だったりするので、まだ感覚が馴染んでいません。まぁ好きな時間に寝起きできる旅ですから、その辺のズレを自由に味わえるのもまた楽しみなんですが。
 
 北京を出て、この客車で過ごしてきたのは2晩。あとこの客車で寝られるのは3晩……この晩が時間的には折り返し点です。先への期待とともに、少しの寂しさも感じたのでした。
posted by 西方快車 at 22:29| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【雑草】3次(3列車)の乗務員について。

 車掌はずっと中国人(男性のみ)が乗務します。国際列車乗務だけあって英語は通じました。ロシア語は出来るのでしょうか?
 なお、ロシア内のみの客車にはロシア人女性の車掌が乗務しています。

 食堂従業員は食堂車同様、国ごと交代。モンゴルチームは国内でもウランバートルで交代。対してロシアチーム(男性2人・女性2人)は4日間交代なしです。
 乗警(日本で言うとこの鉄道警察)も国ごと交代のはずなのですが、たまたまでしょうが乗務してるところを見かけませんでした。

 台湾も含め中華圏の国だと、服務員が空いてる寝台や客席など、乗客用の設備使うことへの遠慮は全くないようです。RW19の空コンパートメントが回送乗務員に使われてたのは前に記したとおり(治安が良くなるので必ずしも悪いことではない)。まぁ日本のスーパーなどで、このトイレは従業員も使用します云々の断りが書いてあるほうが異常なのかもしれません?
 その代わり細かいことで口うるさいこと云わないのも、中華圏の良いことかと。この辺はトレードオフな気もしてます。ロシアは鉄道撮影うるさい…とも聞きますが、車内からデジ一眼で撮りまくってる分にも何も云わないのが中国人車掌の美徳でしょうか。
 あと、停車時間の外出に関してはかなり神経質です。発車5分前には「乗れ! 戻れ!!」ですから。日本の感覚とは違うところですね。まぁ万一乗り遅れがあったらいろいろな意味で洒落にならないので、よく考えたら神経質に越したことはありませんが。
 他でも触れましたが、便所や通路の掃除はしっかりしています。

 乗務員も当然飯を食います。中国国内だと乗客と同じく餐車の(いまいちな)飯ですが、モンゴルやロシアに入ると石炭暖房装置を使って賄いを「自炊」しています。これが罪なほどいい匂いなんですよ……(人によりけり? 八角とか中華系香料のにおいなので、苦手な人もいるかも?)
 この匂いがしてきたら食堂車に行くタイミングとでも割り切りましょう。

 国が違う乗務員同士の連携交流は最小限のようです(たとえば先述のロシア車の車掌とのやりとりはおろか、ロシアの食堂車に中国人の車掌が出入りしている姿はついぞ見かけませんでした)。ただ、モンゴルの食堂車の湯沸しの調子が悪かったらしく、ウエイトレスがポット抱えて何度も隣のRW19までお湯汲みに来てるのは目撃しましたが(多分、中国側の許可は出てるのでしょう)。

 総じて、可もなく不可もなく、です。
 勤務はきっちりこなし、不愉快な思いさせられることは皆無! それ以上でも以下でもなし……もちろん、それで十分だと思うのです。
posted by 西方快車 at 22:13| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月28日

【第4日目の4 20090529】3列車ロシア内の編成。イルクーツクから、ジマ。豊かなる国土!

 書き忘れていました。ナウシキからの3列車の編成は以下になります。

←モスクワ                            北京→
機関車-行李-硬-硬-硬-軟-高包-高包-硬-硬-硬-硬-食堂-2等寝台
 (斜体は、ナウシキ−モスクワ間。ロシア車)

 上記、硬は硬臥:YW18。軟は軟臥:RW18。高包はRW19。2等寝台はMECT36。

 ロシア国内の寝台車は定員36名(故にMECT36)の2等寝台車。クペとかクーペとか云われる、シベリア鉄道旅行ではお馴染み?の4人部屋の寝台車です。中国の硬臥(YW18)とほぼ同等の設備……ということになります。3/4列車はロシア国内の客は、ロシア車に乗せる事になっているそうですが、YW18とMECT36の運賃・料金は同一なのかどうか気になるところです。まぁYW18が硬臥にしちゃ贅沢すぎる車であるのですが……。

 ちなみにロシアの3等寝台車:プラッツカルトは2段寝台の4人区画(ドア・壁なし)の通路を挟み、通路側にも前後方向に2段寝台があるという詰め込み車で定員54名(故に、MECT54/81.81は座席車としての定員)。対して、中国の一般の硬臥は3段寝台の6人区画のみですから、どちらがマシな車なのやら。
 ただ、狭くても寝台があるというのは、凄く高〜い個室寝台の料金払えないと座席(但しリクライニングシート)しかないアメリカ(アムトラック以前からの伝統)よりはずっと「平等」なシステムなんだなとは思いますけど……。
 余談ですが、新幹線961で試験的に設けられたB寝台はまさに「プラッツカルト」でした。

 この編成の問題は、食堂車の位置が不便すぎること(偏りすぎ!)。まぁ、わざわざ編成分割して編成中央に食堂車入れてくれるモンゴルがサービスよすぎるのかもしれませんが。


 イルクーツク10:56(現地時間15:56)発。モスクワ時間のおかげで気分はまだまだ午前中。

 イルクーツク構内に居た妙に西ヨーロッパ風の屋根が深い、ちょっと場違いな寝台車。
http://www.railfaneurope.net/pix/ru/car/RIC_WLABm/pix.html
 帰国後正体判明。RIC規格西ヨーロッパに直通にするための車で、1990年代までローマに行く運用があったとか……今もベルリンまで足を伸ばすようです。車内は二人用コンパートメント(2段寝台。ロシアの1等寝台車には元来存在しないタイプ)の模様。エキゾチズムという意味では極東からの使者、3列車のRW19とは対極にある西欧への使い。こんな西欧スタイルの寝台車でのシベリア〜西欧直通というのも惹かれるもの……。
 

 先にも記しましたが、ロシアの鉄道で驚いたのは郵便車や荷物車が「元気」なこと! この荷物車は大きな側扉を1つだけもつタイプ。ちなみに日本の荷物列車末期のような、パレット積みの車は見かけませんでした。


 扉が小さく、窓が多いため仕分けを行う郵便車と推測。窓の金網が物々しい印象です。ちなみにソ連時代(1960年代。「写真で楽しむ世界の鉄道4」より)の郵便車の写真には金網などはありません……。
 奥にちらりと見える屋根の深いというか高い荷物車も不思議な感じ。


 イルクーツク出て、またアンガラ川を渡る。対向の道路橋は細身のアーチが綺麗。


 郊外。広々とした緑地とアパート群のくみあわせ。この風景こそ「人工国家、ソ連」のイメージなんです。
 

 古めの近郊電車。塗装は気張っていても古さは隠せません。
 二つドアオールクロスででシートピッチは昔の図面見る限りでは1500mmあるようなんで、日本から見て悪い車じゃないんですが……シートは残念ながら「木製」なんだそうで。
 「ソフトシート」でもオールロングシートなJR倒壊静岡支社やらJR束の701系とどっちがマシなんやら……(苦笑)。


 中間車。高圧配線縦樋のため窓埋めが行われています。


 日本には無いタイプのホッパー貨車。いわゆる「ナベトロ」を本線規格にした貨車と言えばいいのでしょうか。流石に少数派であり、此処以外では見かけませんでした。


 高圧電線と火力発電所。素晴らしき取り合わせ。


 また、大河を渡る。


 黒土の、豊かなる大地。イルクーツク〜ジマ間のイメージはまさに、これ。シベリアは冷たい土地じゃないんですよ!
 

 ディーゼル機関車3種。


 日本だと壊滅状態の操重車(クレーン車)も、ロシアでは至極当たり前な存在。ただ、この車は窓が塞がれ廃車?の模様。


 豊かなる大地。続き。絵に描いたような田園風景。


 放牧地と、黒土が露出した耕地。


 悠然たる光景。こんなのが数時間続きますが、先ほどのように時折貨物側線とか保線基地があるので全く油断・退屈できません(笑)。


 S字カーブを駆け抜ける! 


 ……。広すぎます。


 イルクーツクから4時間走って、ジマが近づいてきました。近郊電車の小駅。


 ジマの手前にて。待機する電気機関車ЭП1。


 古典とモダニズムが融合したような、不思議な工場建築。1階部分は古そうなアーチにアルミサッシが入っていて、それなりに大事にされてる感じ。


 蒸気機関車時代を偲ぶ?給水塔は沿線の至るところに残されています(多分構内の水道給水用に現役なんだと思うのですが)。まずは1本目ゲット。装飾の無い煉瓦八角柱というのは珍しく、他では見ませんでした。


 保線用?列車。タンク車(水槽車?)が移動宿舎を挟んだ編成は随所で見かけました。


 上記移動宿舎。ヘルメットに防寒具?の虫干し


 到着。モスクワ時間14:35ですが、現地時間はもう19:35で完全に夕方というか、夜!? ……とてもそうは見えません。
 ジマ駅々舎はいかにもなソ連的なスタイル。近郊電車は少し近代的なタイプ……運転席の広さが、如何にも労働者の国の電車というのは穿ちすぎかしら? 資本家の国の電車はデッキと運転席共用だったりしますし(最後のインタアーバンとか言われる、サウスショアの電車とか)。


 3列車への給水。3列車に限らずシベリア鉄道の長時間停車(20分前後)が多い理由は、機関車交換・給水、そして給炭があるから。作業者は私服に私帽、でもセーフジャケットは着用。給水ポストがずらりと並ぶのも印象的です。


 給水している向かいにやってきた、近郊電車。買出しか大きめの荷物持ったお客が多い。


 駅舎と近郊電車、別角度より。


 30分も停車するので、当然ホームに下ります。最前部に出ると機関車がЭП1同士で交換されていました。先ほど駅に入るときに待機していた048号機が頭につきました。交流電機同士での交換は、連続での走行距離を考慮してのことか、所属区の関係なのでしょうか。


 構内でみかけた別の給水塔。クラシカルな双子形。現役か否かは判断できませんが、いずれにしろ残されているのは嬉しいことです。


 コンテナ車。車体に対して40呎コンテナが小さく見えます……。長さは20呎コン×3は載せられそうなので、実は日本のコキと大差はないのですが。幅とか車体高さの余裕が大きく見せるのでしょう。
posted by 西方快車 at 19:54| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月27日

【雑草】ロシアとか、ソ連のイメージ

 ロシアに入った以上、この話を。

 1973年生まれの筆者にとっては、ロシアのイメージは「ソ連」に他なりません。あらゆる物を集団化、人工化、工業化、合理化してしまう共産主義社会主義の人工国家、ついでに悪の帝国イメージまで付きまとう(そりゃモスクワボイコットとか大韓航空機撃墜とかありましたから)。
 ですから、ソ連の景色やら町並みは合理的近代的なコンクリ建築……で脳内イメージが完全に固まってました(或いは威圧的なスターリンゴチック)。古いものはあってもそれは博物館的なものとか、消え行く少数派なんだろう、と。
 そして、脳内ではヨーロッパからロシアは切り離して考える癖がついてしまってました。
 
 入国してみると、ぜんぜん違うので驚きました……。
 田舎は田舎、都市は都市で古いヨーロッパが生き延びてる(若しくは復興してる?)じゃないですか。下手すりゃ本当の?ヨーロッパ(西ヨーロッパ。早い話がユーレイルパスが使える範囲)よりも。
 列車から眺める農家にダーチャ(別荘)は可愛い木造のものばっかりだし、鉄道施設はクラシックな欧州スタイルの方が圧倒的に大多数。降り立ったモスクワ中心部やら、ペテルブルグの街並みが見事にオールドヨーロピアンだったことにも驚きました。

 よく考えてみれば、ロシアはというのは「ヨーロッパの田舎」……これは失礼だけど、認めざるを得ない表現でありますし、必ずしも否定的な意味じゃないんだとも! 
 田舎であるがゆえに、西からは消えた古き風情も多く残されているですよ、たぶん。

 面倒なんで、先に結論出しておきます。
 ロシアは(多分、スターリン時代以外の「ソ連」も)冷たい国でも合理的な人工国家でもなんでもありません。ましてや悪の帝国でも。
 そりゃ、いくつか気になることはありますけど(観光客の視点からしても、隣接国民の視点からしても)、食い物も旨く人も暖かな、ごく当たり前の国の一つなんです。
 もちろん、機会あればまた訪れたいものですし、もし訪問・観光を迷っている方いるなら強く後押ししたいものです、EF59の如く(笑)。

 閑話休題。
 云うまでもありませんが、モスクワやペテルブルグも中心部から離れて郊外に出たりすると期待通りの?ソ連的なもの(アパート群とか工場とか)もたくさん見ることができました。いくつもいくつも通過したシベリア鉄道沿いの地方都市群も同じく。
 個人的には、この手も嫌いじゃない……むしろ好きなくらい。この際なので、真っ先に掲げたソ連のイメージにはある種の屈折した「憧れ」があったことも肯定しちゃいます。科学や合理が宗教であった時代……。
 まぁ、どっちも好き、というのはツーリストとして悪い姿勢じゃないと思うんですけどね。生活したり仕事したりだとまた変わってくるのでしょうけど。

 と、いうわけで旅行記まだまだ続きます。
posted by 西方快車 at 19:18| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月25日

【第4日目の3 20090529】バイカル湖畔から一気に山越えて、イルクーツクへ。

 スリュジャンカで買ったオームリの燻製。味も気になるので早速いただきます。皿が無いので適当な空き箱を皿代わりに。
 


 味は想像通り期待通り「鱒の燻製」、塩加減も適切で実に旨い。ロシアで最初に買った食い物が旨い! というのは幸先よさそう、ってもの。
(こんなこと書いてたらまた喰いたくなりました。日本で似たようなものないかしら……)
 ところで、箸がないと食べにくいですよ、これ……そこそこ小骨あるので。箸使わない文化圏の人がどうやって食べているのかはちょっと気になりました。

 スリュジャンカを出ると、まもなく右手に山が迫ってきます。
 昔は更に湖畔を回って、穏やかにバイカル湖に注ぐ川沿いにイルクーツクまで上っていったようなのですが、1949年に山越え直進の現行ルートに付け替えられています。

 この山越えルートが素晴らしい!
 スイッチバックやループこそないものの、Ωループを繰り返してひたすら高度を稼ぐ! そして見下ろすはバイカルの湖水。云うまでもなく世界鉄道名景色の一つ! 


 Ωカーブの先、これから行く道を「下ってくる」貨物列車を見上げる。


 鉄道と湖畔の狭い土地に市街が展開します。


 シベリア鉄道の余り語られない特徴は「トンネルが少ない」こと。ウラン=ウデ〜モスクワまでで、記憶している限りトンネルはこの1箇所だけでした(眠ってる間に他にトンネル通った可能性も高いんですが)。


 湖水に対して、高度を稼いでいきます。道路もヘアピンカーブ。




 湖畔の「旧線(バイカル湖畔鉄道)」を見おろす。


 山側を見上げると、登る先に保線基地が見えてきました。


 ひたすら、登る。右は保線用の側線?


 先の保線基地。バラスト交換車? 大掛かりな機械ですが、ロシアではよく見るタイプ。


 いよいよ、湖水も見えなくなってきます。かわりに広がる雄大な眺め。


 貨物列車は、ここでも15分ヘッドでやってきます。次から次へと……。


 勾配途中の信号場? 複線+側線。どのレールも光ってますから、ここでの退避もしばし行われるのでしょう。


 まだ登る。


 保線基地の密度も濃いです。バラスト積みの貨車に、除雪車。除雪車が必要な状況があるわけですね。厳しい季節でしょうが、それはそれで惹かれるものが……。


 除雪車の反対側。背後にはΩカーブの反対側、これまで登ってきた線路がみえます……。

 
 タイミングよく、単機回送の電機とすれ違います。重量貨物列車の補助機関車……が回送されているものと推測。連結器上のシリンダーは自動開放装置のもの……と考えると辻褄が合うのですが。


 貨物列車とのすれ違いは頻繁にありますが、インサイドカーブと一致するタイミングは流石にレア。通路側の窓開けて粘っていたら、ついにやってきた!


 連写。ややタイミング悪し……。


 ギリギリ。いろいろな意味で……。すかさず顔とカメラを窓から退避!
 ところで、味わいのある鉄骨ポールがコンクリ柱に交換されつつあるのは残念ですね。現状ではまだ鉄骨の比率が高いようなんですが……。


 山奥にも民家が。保線小屋かも知れませんが。


 何か注意書きを記した岩盤……ここは崩れそうだ補強せよ、とか???


 読めませんが、「いってらっしゃい!」と書いてあるような気がします。保線担当者の心遣いが嬉しい。



 いよいよサミットを越え、下り坂へ。


 小駅。イルクーツクの近郊?といえるのか、普通列車も7.5往復。


 山菜採りと思しきオバちゃんたち。


 別の小駅。背後にはダーチャが並ぶ。明らかにイルクーツクからの日常的遠征圏ですね。
 

 ダーチャ群。別荘なんて贅沢な……ということではなく、食糧確保の為に山荘or畑持つのが必然だとも聞きますが、実際はどうなんでしょうか? 


 イルクーツクへと坂を下りる。この辺りの情景、どこか開放的でスイスっぽく見えるというのは云いすぎでしょうか。きっと機関車はRe6/6辺りで、客車もスイスの軽量客車に違いありません……ロシア電機と中国客車が「それっぽく見えない」んですねぇ。
 

 イルクーツク付近の操車場にて、ВЛ80の3重連形。ВЛ80には2重連形もありますがどうやって区別しているのでしょうか。後者1ユニットをバラして3重連形に改造した可能性を疑っているのですが。


 イルクーツク市街。共産主義的なアパート群! ぶっといパイプラインにデカいクレーン、そして適度な緑が実にソ連的イメージ!


 アンガラ川が右手に見えてきます。かつては鉄道もこの川沿いにバイカル湖まで下っていった由。
 

 構内に見える荷物車。長閑さと緊張感。

 先のスリュジャンカからイルクーツクまでは「僅か」2時間。しかし、変化に富んで楽しい楽しい2時間でした。カメラもって左右移動の落ち着けない2時間でもありましたが。
 モスクワ時間10:31、イルクーツク着。現地時間は15:31……しかし、列車乗ってると体感時間はモスクワ時間。これはウラル山脈越え、国内時差がなくなるまで変わりませんでした。


 イルクーツク駅舎。開業時……革命前のものでしょうか? 綺麗! 上品!! ロシアの鉄道施設は古いものを大事にしているのが分かるってものです。長野駅舎を壊して、奈良駅舎や二条駅舎を退かせたどこかの国は本当になさけないったらありゃしない。
 架線が欧州流儀のワイヤー張りなので、煩雑な感じがしないのも好印象。


 反対側に止まっていたのは「郵便荷物専用列車」。シベリアでは貨物列車だけではなく、荷物車に郵便車も多々活躍している由。何度もこの種の列車や荷扱い風景を見かけたのでした。
 この車は窓の少なさと、異様に深い屋根が目を惹きます。妻のバッファも欧州流儀の本格的なもの……連結器は自連ですが。
 連結の作業員が女性なのも印象的です。中国・モンゴルでも女性の鉄道員は多々みかけましたし、それ以前に日本でも女性の車掌や駅員は増えてきました……しかし、「旅客扱い以外の分野」での女性鉄道員はロシアだけではないでしょうか? 


 イルクーツクの発車案内板。社会主義モダニズムに満ちたデザインが秀逸! ただ、故障中の模様……修理されることを祈ります。


 ナウシキから3列車に連結されていた、ロシアの食堂車と二等寝台車。こうしてみると同じ「コミュニストグリーン」であっても、中国とロシアの色相の差異がはっきりします。はっきり明確な中国、くすんだ感じのロシア……なんですが、後者の品のよさも認めざるを得ない。文化の差異ですね。
 それはそうと、荷物のターレットがやたら賑やかなのも、鉄道荷物が壊滅した国から見ると羨望感じます。


 別の線に待機していた電機。ЭП1の「赤」。こうしてみると中々日本人好みのするスタイルだと思いませんか(目を細めるとED72の1号機、若しくはEF70初期型に見え……ませんか?)。


 イルクーツク発、遥かワルシャワ行の国際列車。北京からの列車と並ぶのも不思議な縁、若しくは日常。


 ЭП1(1999〜製造)の新旧。左は2007年からの改良機だそうな。別の機関車に見えるも、側面はほぼ同じ。貴方のお好みはどちら? (個人的には旧型の方が好き♪)

 写真撮るのと前後して、件の不便なスタイルの売店でビール2本(500ml缶で40Pのを2本)とカップ麺(35P 例の角型カップ)、駄目押しに缶詰(缶に絵が無く、ロシア語読めないので中身は謎。35P)を購入。しかし、缶詰は缶切りが無いので開けられないというオチ……
 結局日本まで持ち帰り、購入から2週間後に中身が燻製のイワシと分かったのでした(そこそこ旨かった)。
posted by 西方快車 at 22:46| Comment(1) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月24日

【雑草】ロシアの鉄道路線図「完全版」。

 上記エントリ「シベリア鉄道電化史 不完全版」のため、調べごとしてましたら凄いお宝引き当ててしまいました!
 ロシアの鉄道路線図完全版。しかもキリル文字ではなくてローマ字!

http://parovoz.com/maps/supermap/index-e.html
 
 さらに、電化方式・単線複線・ゲージ(1520mmか、それより狭いものか、或いは1435mmか)、旅客輸送の有無(すなわち、貨物専用線も載っているということ!)が示されているという究極的な資料。……国防上こんなの公開しちゃっていいんでしょうか(笑)。

 何はともあれ、シベリア鉄道をディープに体験する方は必見ですよ!
 複雑怪奇な線路が何処に繋がっているのか、知れば味わいはさらに深くなるってものです。
 私もこれ見てから訪問したらどれほど有効有益であったことか……!! まぁ、ただでさえ観察撮影に忙しかったので、下手すると虻蜂取らずに終わった可能性もありますけど。
 見てから行くか、行ってから見るか。もちろん行かない方にもお勧めです。
 
 これも「地図と鉄道のブログ」殿で紹介されておりました。「ロシアの鉄道地図U」
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2008/05/ii_4892.html
 解説は、先方に譲ります。此方はただひたすら感謝するのみ……。
posted by 西方快車 at 22:51| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【第4日目の補足 20090529】シベリア鉄道電化史 不完全版

 先に、昔はスリュジャンカで機関車交換(スリュジャンカから西は直流電化。東は非電化→交流電化)を行ってた……とか記しました。しかし、今は機関車交換はありません(大規模な機関庫などの設備も見当たりませんでした)。
 整理しておく意味で、この辺りというかシベリア鉄道の電化史を記しておきます。

 まず、路線図代わりに電化史に関連する駅名をモスクワから順に記すと、以下。

 モスクワ 〓 (ウラル山脈越え)〓 オムスク 〓 ノボシビルスク 〓 マリインスク 〓 ジマ 〓 イルクーツク 〓 スリュジャンカ 〓 (ウランウデ) 〓 (ハバロフスク) 〓 ウラジオストク

 1901:モスクワ〜ウラジオストク全線開業(バイカル湖船車連絡)
 1904:上記、バイカル湖部分も開業し船車連絡解消。全線完全開業
 ===========
 1929〜1945: モスクワ近郊および、ウラル山脈越えの区間のみ直流3000V電化
 1945〜1955:オムスク〜ノボシビルスク、イルクーツク〜スリュジャンカを直流3000V電化。後者は勾配区間を優先して先行電化したもの。
 1955〜1961:モスクワ近郊〜ウラル山脈西側、ウラル山脈東側〜オムスク、ノボシビルスク〜マリインスク、ジマ〜イルクーツクを直流3000V電化。マリインスク〜ジマを交流25000V電化。
 上記により、モスクワ〜スリュジャンカ間(5279km)が以下の形で、電化で繋がる。
 モスクワ〜マリインスク間(3680km)は直流電化。マリインスク〜ジマ間(1222km)は交流電化。ジマ〜スリュジャンカ間(377km)は直流電化。
 1963〜2002:スリュジャンカ〜ウラジオストク3980kmを序次、交流25000V電化。
 ????:ジマ〜スリュジャンカを交流電化に変更。

 日本語資料が少ないので苦労しました(参考文献:「写真で楽しむ世界の鉄道4」1964交友社、および「地球の歩き方 シベリア鉄道とサハリン 2009〜2010ダイヤモンドビック」)。
 精度は保障しません。また、現在の長距離列車(件の3/4列車も含む)が通過する、モスクワ近郊〜ウラル山脈西側の交流電化区間もフォローしていません。モスクワ〜ウラル山脈西側は複数のルートがあり、先に直流電化で繋がっていても、後に交流電化のルートに振替えられたものと思われます。
 また、乗車してないウラン=ウデ以東はもう「ごめんなさい」……。どなたか教えてくださいとしか。

 とりあえず、問題になるのは「参考文献」ではジマ〜スリュジャンカ間は直流電化であるのに、実際には交流電化であるということ。この区間は直流電化から交流電化に変更されのでしょう。
 時期はともかく、理由は推測できます。
 1963年以降スリュジャンカから先、電化を交流で東伸させる際「僅か377kmの、直流電化の離れ小島」が出来てしまった、或いは出来てしまうのを防ぐためであると。機関車の交換やら、その所要数を考えるとこの種の「離れ小島」を避けるのは電気鉄道のセオリーです。日本でも仙山線や奥羽本線の直流電化区間(1950年代に勾配区間を先行電化)が、周辺の交流電化に合わせ、離れ小島にならないよう交流化(1968頃)された事例があります。
 それにしても地球の歩き方の誤記、こんなの現地を一度通過すれば分かる情報だと思うのですが。最新版でも昔の文献資料からの?誤記が続いているのはどうかと思います。
 まぁ鉄道専門書でも鉄道趣味書でもない、ガイドブックに期待すべき情報ではないのかもしれませんけど。


 ジマ駅前に保存されている旧式の直流電気機関車。この辺りが直流電化区間であった時代の名残? この機が山越えという情景はなかなか萌えるものがあります。どこか仙山線に居たED14を思わせるスタイリングでもあります……。


 なお、件のイルクーツク〜スリュジャンカ間は1949年にバイカル湖畔の旧線から、山越えで短絡する新線に切り替えが行われています。
(旧線は1956年にイルクーツク側がダム水没により廃止。バイカル湖畔の残りはスリュジャンカ〜バイカルのバイカル環状鉄道として、健在)
 山越えの新線は1949年の最初から電化(直流)されていた……と考えるのが妥当でしょうね。

 上記参考:
「バイカル環状鉄道」地図と鉄道のブログ より
http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2008/04/post_bf18.html
 よくぞ此処まで調べられた! という素晴らしい内容です。必見!
posted by 西方快車 at 22:35| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月23日

【第4日目の2 20090529】延々と続くバイカル湖は海の如く……スリュジャンカまで。オームリ燻製入手成功。

 シベリア鉄道本線に入ると、先の「ガタンゴトンガタンゴトン『ゴガガン』」という振動・音からは解放されました。コイルサスとトーションバーの台車なのに、不思議と乗り心地はよくなります。軌道の整備状態と速度さえ適切なら、(日本では当たり前の)エアサスというのは必要ないのかもしれません。
 また、すれ違う貨物列車の本数も増えてきます(20分に1本は来る)。編成はどれも長大です。


 (多分)近郊電車だけの小駅。やはりロシア人は青白の塗りわけが大好きなようです。


 朝飯。ウランバートルで購入した韓国製カップ麺。カップやきそば風の角型容器が奇異ですが(蓋に湯捨て口なし)、ロシアでは割とメジャーでした。味は普通の辛ラーメン。


 大河を渡る。列車の前部が見えていることから察せられるとおり、川の前後を大カーブで繋ぐ強引な線形です。上下線が大きく離れているのも印象的。日本なら名撮影地になること間違いなし?

 その後は、ずっと進行方向右手を気にして、バイカル湖はいつ見えてくるのかばかり気にしてました。

 ……。

 
 「♪海は広いな大きいな〜」とか「日本海のどこか。トワイライトEXPから撮った羽越線の海沿い区間?」とかいうの禁止。一番海のように見える1枚を選んだだけですので……。


 白い廃墟が、嘘のように絵になります。


 湖畔の保線基地。


 湖水に流れ込む川を渡る。


 普通列車のみの小駅。1日2往復! 電車か客車か?


 湖畔はカーブが続きますので、この手の写真も撮りやすいです。
 なお、RW19高包はコンパートメント側が湖水側になります。硬臥車には逆連結の車もあり、通路側が湖水の車もありました。そんなわけで、写真撮るのにベストなのは、逆連結の硬臥車なんですが、移動するのめんどくさいのでこの辺は窓越し撮影で済ませてしまいました。窓にはまだモンゴルでの砂塵の汚れが残ってるんですが……。


 舟を格納する小屋群。一番手前のツートンカラーのは誰がどう見ても元鉄道車両……。保線用のモーターカー(巡察車)だと推測しますが如何に?
 こんなサプライズもあるので、バイカル湖畔の景色が変わらない中でも退屈はしませんでしたよ?


 保線職員。セーフジャケット着用だけが「義務」の模様。彼らが居るからこそ列車は走れるのです……。
 

 バイカル湖畔を3時間ほど走り通し……いよいよ湖畔の町スリュジャンカに近づいてきました。


 貨物施設は湖畔にまで広がります。長閑な湖畔と線路並びまくった鉄道施設のコントラストの違和感が素晴らしい? 貨車は鉱石車?


 ロシアでも木造有蓋車はしぶとく健在でした。前後の貨車はダンプ機能付の、日本で言うなら土運車でしょうか。


 電機。貨物用のВЛ80(交流25000V 1961-1994)。33年も製造されつづけたというのが凄い……しっかりシベリアの顔? このあとあちこちで見かけることになります。


 近郊電車。前面が丸型の古いタイプで、如何にもソ連の電車! という風情です。未だ健在とは思ってなかったのでちょっと嬉しかった……(他の町でも見かけたので、普通に健在のようです)。


 スリュジャンカで真っ先に目に入ってきたのがホーム上の売店。ちなみにロシアの売店は駅構内のも、或いは市内のも含めて全てこのスタイル。開口部は中央の30cm四方のみ!
 初め、治安が悪いからかな……と思ったんですが、よく考えてみたら冬寒いからですね。商品を手に取れない不便はどうしょうもないのですが。指差しでの買い物も困難にします。
(最終的には、欲しいものの絵を描くという妹尾河童ばりの方策を編み出しました……)


 スリュジャンカの駅舎。石組みの立派なものですが、かわいらしく小規模にまとまっているのもまた素晴らしい! シベリア鉄道の駅舎の中では個人的にベストだと思ってます。


 この可愛い駅舎は自分が思ったとおりに人気者の模様。記念撮影のグループ。車内からの撮影でしたが、此方に目線を送ってくれているのが嬉しい。


 飾りは初めソビィエトの「鎌とハンマー」だと思ったのですが、よく見ると「錨と斧」ですね。

 ここでは8:23着。8:26発(現地時刻は+5時間)の3分停車。初めはホームに下りるつもりは無く、コンパートメントから駅舎とか記念撮影の風景撮れたしおなかいっぱい……のつもりでした。あとは反対側(通路側)の貨車でも撮るか……と。
 ですが、車内通路に出ると別室のノルウェーのご夫人が魚の燻製入ったビニール袋提げていい匂いをさせてくるではないですか……! 欲しい、食べたい!!

 ここでの秒単位の判断は、我ながら見事だったと思います(苦笑)。
 直ぐに部屋戻ってルーブル紙幣詰めた財布を取りに。
 デッキに飛び出たら、神掛かったタイミングのよさで件の燻製売りのおばちゃんたちが屯っている!
 しまった、値段が分からない! 判断の余裕なしに100P札を押し付ける。
 有難くも車掌が仲介してくれ、100P(350円位)で4匹を引き換えてくれた。
 取引終了後、まもなく発車……。


 あとから分かったことですが、燻製の魚はオームリ。鱒の類だろうなぁ……と思ってたら間違いではなかったようです。もちろん、というかたぶんバイカル湖産。まぁ他から運ぶ方が絶対に高くつきそうですから。
 オームリ売りはスリュジャンカ駅での名物らしく、昔はここで機関車交換のため(スリュジャンカから西は直流電化。東は非電化、後に交流電化)そこそこ停車時間があったので売る方も買う方も楽だったようで。
 今はこの辺は交流電化に統一されてしまっているため、機関車の交換も無く、殆どの列車は数分しか止まらないようですが、それでもオームリ売りは続いている模様。


 獲物を片手に今度は通路側から窓開けて撮影。カバードホッパ車。セメント用でしょうか?


 長大なタンク車の列。端に入換用のディーゼル。こんなスケールの鉄道風景がこの後数日続くという有難さ!


 変電所。レンガの壁がいい雰囲気だしています。これもソ連的モダニズム?
posted by 西方快車 at 19:04| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

【第4日目の1 20090529】ロシアの第一印象。シベリア鉄道本線合流。ウラン=ウデとその近郊。

 北京(ウランバートル)とモスクワ(サマータイム)の時差は4時間。東京とは、5時間。
 おかげで5月28日は28時間お付き合いしたということになります……。こりゃ眠いわけです!

 しかし、ここでややこしくなるのがロシアは国内でも時差があること。サマータイムも含めると更に訳が分からなくなります。幸か不幸か鉄道はモスクワ時間(サマー)で運行され、更に言えば3列車のモンゴル内での遅延は、ナウシキでの停車時間で「吸収」されてしまったことでこの辺の混乱は落ち着いた由ですが。

 朝は2時頃(現地7時頃)、明るくなってきたことと「ガタンゴトンガタンゴトン『ゴガガン』」という不可思議な揺れで目が覚めました。この『ゴガガン』はレールの継ぎ目か何かなんでしょうか? 中国・モンゴルはもちろん、他のどの国でも体感したことのない派手でけたたましい揺れと音。もちろん誉められたものじゃありません。




 沿線も、こんな感じ。どこか寒々しい。第一印象が……
 

 でも、日が差してくると悪い印象ではありません。家並みが途切れないのがモンゴル北部との差異ですね。小さな民家もどこか北ヨーロッパ的風情。
(レンガの家に住む中国人と、木の家に住むロシア人のどっちが豊かか……という愚問が湧き上がってきましたが、環境適材適所という意味で愚問以外の何者でもなし。日本の無機的なプレハブが一番貧乏臭いんです、たぶん)

 起きてからは顔洗って髭そって歯磨いて(これが全部客室内で出来る有難さ!)、その間を縫って写真とって……割と忙しかったと記憶しています。なにせ、ロシアに入ると全てのものが珍しく見えるのですから!


 可愛らしいバス。その1.


 可愛らしいバス。その2.並木道が豊かなイメージ。


 気合の入った廃工場。丸窓がそれっぽく、ソ連的なモダニズムを感じます。いよいよ、ロシア最初の客扱い駅、ウラン=ウデが近づいてきます。
 ウラン=ウデとはまたモンゴルを引き摺っているような地名で、実際ブリヤート共和国の首都。そういわれると、辺境度が上がるって云うものです。ブリヤート人はヨーロッパロシアとはぜんぜん違う民族ですし。
 ですが、先の民家や街並み見る限りはここは既にロシア文化圏! 
 さらに、ここで列車はモンゴル方面への支線から、シベリア鉄道の本線に入るのです。駅に入るときは沢山の線路やら架線を越していきます。

 
 ウラン=ウデ駅舎。欧州スタイルの駅舎に感激しましたが、ロシアではむしろこれが「普通」と知るのでした……。跨線橋のアーチ型シェルターも印象的。


 名物? 三頭の熊。この辺は確かに熊からみの伝説とか多そう。


 電光式の発車案内。「003列車 3:40発 モスクワ行」。現地時間は8:40発となります。これがあるだけでも鉄道先進国ロシアを感じたり。

 停車したら、もちろんホームに降り立ちます。モンゴルまででは堂々とデジ一眼でホーム撮りしてましたが、流石にロシアではヤバいと判断、このために購入したコンパクトデジカメ持っての降車。
(飽くまで記念撮影を装う♪ 最悪の場合のリスク回避)


 近郊電車(エレクトリーチカ)。ただの電車にみえますが、その存在にあらゆる意味で驚きました。
 まず、中国にもモンゴルにも、近郊電車(通勤電車)という概念はありません。ですから、この種の電車を見たのが日本以来ということ。
 モスクワやペテルブルグ近郊の電車と差異が無い……すなわち、はるか離れた土地と同じサービスが行われているというロシア鉄道エレクトリーチカ網のスケールの大きさ。
 更に云えば、この辺境地にも、近郊電車が成立する程度の人口があるという事実だって伺えます。
 

 ワンアームZ型を二つ向き合わせた、ロシア式と命名せざるを得ないパンタグラフ。合理的なスタイル。
 通勤電車としてそこそこお客も乗っている模様。中間車の窓なし部分は高圧配線のダクトでも通しているのでしょうか?


 ホーム前方を見ると、3列車から機関車が切り離されています。
(ここで一生の不覚。切り離されたディーゼル機関車は既にどこかに引き上げたあと! 撮影どころか見ることもできませんでした。おかげで蒙露国境からウラン=ウデまでの牽引機が分かりません……モンゴルから2M62が継続して牽引してきた可能性もあるのですが。3列車を牽引する全ての機関車を撮影するという目的が早くも崩れてしまったのです……)
 

 側線に突如現れた電機。ЭП1形(交流25000V 1999〜製造)。少しばかりモダーンなスタイル。この機関車が3列車前方に付き、ここからの牽引機となるのでした。

 車掌にせかされるように乗り込み、今度は客車内から堂々とデジ一眼構えての撮影に戻ります。
 

 お掃除。線路にごみ捨てるのはやめましょう……。




 ホーム上に保存されている機関車。1C1で動輪大きめなので旅客用ですね。完全密閉のキャブが仕様環境を物語ります。


 重連タイプのディーゼル機関車。背景の派手な色に塗られた給水塔も目を引きます。ロシア人は「青」が大好きなんですね。


 広告?描いた電気機関車。この種の塗装は一般的ではないようで、以後見かけませんでした。


 ついに出た。典型的ソ連の電気機関車のイメージであるВЛ60形(交流25000V 1957-67)。前面のシリンダー?が気になるディテール。連結器の真上にあることから、自動解放(切り離し)装置と想像するのですが。
 ちなみに、この手の写真撮るため、駅周辺ではカメラ持って窓に張り付き、シャッター切りまくり。これがモスクワまで続いてしまいました。シベリア鉄道、鉄道好きだと退屈する余裕なんかありません!



 ウラン=ウデ近郊。やや寂れた工業地帯。それにしても背後の家並みがもの凄い。先ほど「近郊電車」を見た驚きを記しましたが、近郊電車が成立するほどの人口がこの地方都市にさえ、あるってことです。
 人口希薄地帯のモンゴルを越えてくると、こんなことでも驚きの対象になるってもの。
posted by 西方快車 at 18:36| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

【第3日目の7 20090528】ズーンハラから先。いよいよロシアへ。名残の食堂車3回目。

 ズーンハラには時刻表だと16:45着。実際についたのは19時前。


 駅舎。お化粧直しの最中。ちなみに昇降客は殆ど目立たず。物売りもなし。自分同様暇持て余した旅行者がホームに下りて写真撮ったりしてる位なもの。
 もちろん、駅の周辺は何も無いに等しいものです。何も無い、に慣れて、もう久しい……。


 赤い2M62。お世辞にも格好よい機関車じゃないんですけど、如何にもな共産主義臭さの味があるんですよね。あと、量産型故の魅力というのも。
 中国やロシアの写真と見比べて思うのは、空の広さと高さ……。


「西方快車 中蒙露国際列車の旅 7600km 果てしなき大地へ」
 ……とかのタイトル入ったB5見開きページ(B4ですね)をイメージしつつ、ノントリミングを前提にして撮影。念頭にあったのは今は亡き(をい)「旅と鉄道」誌。ですから文字は縦組みされることを意識して撮ってみました(馬鹿)。
 大昔、雑誌編集者志願だった痛い思い出チクリチクリ。このセンスだから縁がなかったんでしょうな。

 戯言は無視しても、隣の貨車列の長さは印象に残っています。



 光線状態は良好……。思えば「形式写真」撮っておけば……といまさら後悔。


 窓のアーチがいい雰囲気。お手入れしっかり! ひとけが無くても荒れていないのはモンゴルの鉄道施設の美点ですね。


 駅周辺……。長閑……。


 夕日に向かって進め。もう19時半過ぎてるんですが。


 ズーンハラ出てから、名残惜しみの食堂車へ。昼が遅かったのでさして腹は減ってないものの、あの雰囲気は味わっておきませんと。あと、車掌が客車で煮炊きしているのでそのにおいも気になって減っても無い腹が減ってくるのはどうにか(笑)。
 食堂車ではお客はビール飲んでる白人旅行者少数。なかなか注文取りに来てくれないので、強引にウェイター呼びつけると、もう食事は終わってる……みたいなことを云われたような(そりゃ20時前ですから)。でも此方が相当物欲しげに見えたのか(笑)、メニュー指してこの1種類ならできるみたいなことを云われ、作ってもらったのが以下。


 サイコロステーキ? 見た目はイマイチですがこれも美味しかった。ビール2本(今回も)。お勘定は85元。


 時間感覚が狂ってくる写真。これ撮ったのは20時過ぎてるはずです(笑)。食堂車から名残のモンゴルの平原。


 もうひとつ、名残の1枚。この食堂車はやっぱり大好きな車。


 問題の車掌さんの煮炊現場。客車の暖房ボイラーの片隅に鍋が温められるスペースあり。あと、小さい流しが乗務員用コンパートメントの中にあります。
 メシ時になると、堂々と炊事しますのでなかなか生活感溢れる車内に。野菜の入ったダンボールも目撃。検疫は黙認されてるようでした(笑)。


 客車に戻ると、そろそろ眠気が襲ってきます。単調ながら飽きない景色はまだまだ有視界なので見逃せないですが……。


 ダルハン到着、20時50分頃。時刻表では19:15着なので、僅かに遅れも取り戻しています。


 駅舎は見事なまでに「ソ連」。無機的なコンクリ塊なところもソ連ですし、壁画もソ連。個人的はこの手のソ連チックな建築も大好き。客観的にはいい趣味じゃないんだという自覚はありますけど。
 70.というのは鉄道70周年……ということのようです。ロシア国旗も飾られ、友好ムード?盛り上げています。

 
 背景に産業施設が見える分、まだ「町」なのでしょうか……。駅舎もそうなんですが、ロシア国境の近さをひしひしと感じさせられます。

 流石にダルハン出てからの印象は希薄、眠かったですし。でも、この辺でロシアの入国書類とか書いたはず。片面露文・片面英文でしたが、意味不明?の項目もあり、「地球の歩き方 ロシア」見ながら何とか埋めます。
 税関書類を同じもの2通作るのが凄く面倒でした。「無線機は持っているか」はともかく、「印刷物を持っているか」というソ連らしい項目?も健在ですし。前者は携帯電話のためにチェック入れましたが、後者は殆ど教習所の引っ掛け問題……と思ったのは自分だけじゃないはず(苦笑)。あとは所持品とか外貨の詳細。カメラ2台に、PCに携帯に。まぁ滅多にあることじゃないので、半ば楽しんで埋めてますけど。

 23時過ぎて、スフバートル着。ここで出国検査。
 モンゴル側の出国検査に関しては、特に印象に残ることはありませんでした。書類とかパスポート渡してすんなりと。
 ここで件の食堂車とモンゴルの寝台車が切り離されたりしているはずなんですが、それにも気がつかないほど眠かったんでしょう、多分。


 国境の駅はどうも写真撮るのに臆病になります。ましてや夜間だと……。何とか撮った1枚。ここの駅舎はモンゴル風。撮影23時40分。


 国境越えて、ドゾルヌィイでの停車があったはずなのですが、まったく記憶にありません。信号場に止まったのか……くらいの印象。
 そして、ロシアの入国検査のあるナウシキに。
 流石に緊張感のある雰囲気なんですが、それ以前に眠い、さっさと手続きしてくれ……という気分。ここでも天井とか空けての検査。至って事務的ですが(と思うのは此方の都合で、ひょっとするといまどき居るかよ! の亡命者とかではなく、密輸品の方を気にしているのかもしれません)。
 こっちも早く終わってくれ寝たい、なんで鞄は自主的に開くほど協力的に(笑)。意図が伝わったのかこの辺の検査はあっさりしたものでした。
 
 ついでに。流石に緊張感のある雰囲気なんですが、入国管理の女性二人組は……凄い美人でした(笑)。ロシアの第一印象が悪いわけはありませんとも。


 ナウシキでも入国検査後にこっそり1枚。実は入国管理の女性が「閉めろ」と、コンパートメントのブラインドを強制的に下ろそうとしてたのですが、哀れ1995年製のドイツ製客車のブラインドは半壊してて(京段の名誉のために補足。この客車で壊れてたのはここ位なんですが)、悪戦苦闘の末に閉め損ねあいたままだったので撮れた1枚ということで。ロシア国旗のネオンが印象的。
 撮影は北京・ウランバートル時間で0時50分。この直後にシーツ敷いて、寝てしまいました……。
posted by 西方快車 at 21:34| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

【第3日目の6 20090528】ウランバートルから北は優しき別世界。食堂車2回目。


 ウランバートル付近は鉄道施設が続きます。客車区。旧塗装のロシア系客車。
 それにしても、砂漠を走ると窓ガラスが汚れてこまります……。


 左から、一時期見られた青緑塗装、団体用?の特別色、現行標準色。現行標準色の客車は窓周りが古い?


 ウランバートル付近には石油設備もあります。貨車はロシアから?のタンク車。


 火力?発電所。あの形をみるとどうしても原発のイメージですよね?
 一番モンゴルらしくない景色かも。

 さて。
 先述のように、ウランバートルからはがらりと乗車率が変わってしまう3次。
 同包者には申し訳ないのですが、やはり部屋を「一人で使える」嬉しさと開放感は否定しがたいもの。
 先ずは荷物を使いやすい場所に引っ張り出し、寝台の各所を弄ってみます。詳細は写真解説入りで別記しますが、上段が通常の収容よりさらに1段押し上げられること、下段は昼間は背ずりの角度が調整できることを確認。さっそくモスクワまで使わないはずの上段寝台を完全に押し上げ、空間を広げます。

 あとは……お預けになってた食堂車でランチ! 先ず、車掌呼び出して施錠してもらいます(以後食堂車行く度の儀式となります……)。
 今度こそメニューを持ってきてもらいます。写真・英文入りのメニューは「モンゴル風味の洋食(ロシア料理)」といった感じで、日本の「洋食」的な感じなんでしょうか。ヌードルスープと挽肉フライを選び、ついでにモンゴルビールも。

 ウランバートルまでのように旅行者同士で賑やかなのもいいのですが、草原眺めつつ落ち着いての一杯もいいもの。しかも、あの雰囲気満点のインテリアで。至福のひととき……。


 先ずはスープ。美味しい。シルバーの並べ方とかきちっとしています。パンはぼそっとしてましたがスープと食べると上々。


 メイン。付け合せ含めて結構ボリュームあり。味はもちろん文句なし。皿にはモンゴル鉄道のマーク入りなのも気が利いてます(欲しい!)。

 お勘定はビール2本呑んで人民元払いで計99元。モンゴルの物価から言えば云々……だと思うのですが、味と景色と雰囲気とか考えれば十分に満足。夕食も此処にしよう(まぁ、他にカップ麺しか選択肢はないんですが……)と決め、部屋に戻りました。


 食堂車の帰りに1枚、貫通路の桟板。手前が中国のRW19、奥がモンゴルの食堂車。モンゴル側の隙間が大きいのが気になります。冬はこの空間、さぞかし冷え込むことでしょう……。ちなみにロシアの客車も同様に隙間が開いた桟板です……。

 部屋に戻ったら、これまで気になってたものの手がつけられなかった「お洗濯」。洗面台に汗まみれになってたシャツとか靴下とか放り込み、石鹸でごしごし。高包の良さは自由に洗濯ができることにあるってものです(笑)。
 後はお湯をポットに貰ってきて、コーヒー(持参のネスカフェ)飲んで、ウランバートルまで同胞者のバックパックが占領してて使えなかった一人がけソファの方でまったりと……。

 ……優雅なのか優雅じゃないのか分からないですね、これじゃ。ただ、洗濯やコーヒー入れるくらいは自由に出来る方が好みですけど。誰かに命じるとか、じゃなくて(そっちの方が面倒くさい、たぶん)。 


 午後は天気も回復。ウランバートルから北は景色もどこか「優しく」なっていきます。
 この景色がモスクワ行組だけの「特典」なのにも、ちょっと優越を感じたり……。モンゴルの第一印象が「砂漠の国」というのは残念でなりません。


 独特の地形。


 ロシア国境から281km……って意味のようです。
 

 後ろを振り返って……。午前中に居たのとはもはや別の国の如き印象。列車はそんなに速くないのですが……。


 素朴な橋と、ロシア式民家の集落。水は豊かで清らか……。


 今度は素朴すぎる車止め。
 まもなく、2時間遅れのままズーンハラへ。緯度が上がってきたためか、19時でもまだまだ明るい!
posted by 西方快車 at 19:39| Comment(1) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

【第3日目の5 20090528】ウランバートル着

 そんなわけ(上記エントリ)で、ウランバートルではどの車両からも降りる人多数。ホームは賑わいます。自分も降りて買い物に写真と……。


 3次が到着したホーム。列車後方をみる。そんなに寒かったわけではないのに、何故か冬装の人多し。よくみると照明の柱が凝ったデザイン。


 列車前方をみる。


 駅舎。おなじみモンゴル風味のロシア様式。流石に立派です……規模は中国の地方都市レベルなんですが。


 駅舎全容。意外と奥行があります。
 巨大バックパックの白人はやっぱり目立ちますね。手前はゲストハウスの客引き?

 
 列車最前部では機関車交換中。2M62の重連を解放したところ。
 柱の影のおばちゃんは担ぎ屋さんでしょうか?


 鉄道作業員は無帽・ノーヘルですが、蛍光色のセーフジャケット着ているのはロシア……欧州流儀ですね。ジャケットの下が制服ではないところも欧州流儀。


 給水。派手に水がこぼれているのは、満水時にオーバーフローする……ここも欧州流儀だからでしょうか? 日本にワゴンリが上陸したとき、給水満水時のオーバーフローに現場が戸惑ったという話を思い出しました。


 行李車と荷運び台車。
 

 機関車連結。2M62の「単機」。赤い塗色は別に3倍速い訳でも指揮官用アンテナがついてるわけでもないようです(笑)。ただ、どうしてもソ連機関車2M62にはジオン軍モビルスーツ的な雰囲気(無骨さとか)を感じてしまうのですよ。何両かいるアメロコはカラーリング的にきっと連邦の(以下略)。

 写真を撮れるだけとったら次は買出し。といっても不利な?米ドルでの買い物。そのうえ売店は日本や中国、ついでにロシアと違って価格表示がないのが困りもの。韓国カップ麺とロシアのビスケット、水で5ドルとか吹っかけてきたので、気合と日本語罵声で2ドルまで値切り倒しました……(あとでロシアの物価とほぼイコールで驚きました)。
 ちなみに売っているものはロシア系のものが殆どでした(カップ麺はロシアでメジャーな韓国系。中国のより美味しいので有難い)。水は飲んでみたらガスなしでここはロシアっぽくなかったです。

 値切ったけど、あれで日本のイメージ堕ちなけりゃいいなぁ……とか思いつつ列車に戻ると、嘘のようなタイミングで雨が降ってきてしかも大降りに。賑やかだったホームもあっというまに人が退いてしまうのでした。


 発車間際に、客車から。手前の看板は「モンゴルとロシアは手を取って協力して云々……」とか書いてありそう(想像)。
 時刻は15:40。時刻表より1時間50分の遅れです。
posted by 西方快車 at 19:13| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【雑草】3次の乗客と、利用状況について

 北京〜モスクワ間列車で担ぎ屋系商人が硬臥を占拠している……のはどうやら、昔のことのようです。
 何らかの規制がされたのか、商売が旨くなくなった(最近の運賃の値上げもあるかも?)のか、或いはたまたまなのか分かりませんが、その種のお客はあまり見かけませんでした(皆無ではないですが)。
 白人旅行者は硬臥・軟臥・高包各クラスに散在しています。ちなみにウランバートルからモスクワの間では、日本人は自分だけでした。
 北京→ウランバートルまでの間、高包にもう一人日本人(モンゴルの緑化事業に関わっている方)が乗っていました……貴重なお話有難うございます! あと東洋人ではモンゴルへの里帰りの方が一人と一組(親子)ほど。モンゴル人でこの列車の高包利用ということは、それなりの地位の方ということでしょうか?

 さて。
 歴史的経緯はともかく、現在の中国〜モンゴル〜ロシアの国際列車は
「臨時含み週3便、北京⇔ウランバートル間が設定され、そのうちの1便がモスクワまで足を伸ばす」
というのが現実的な利用状況であるような気がします。それ位、ウランバートルで乗車率が変わってしまうのです。
 ちなみに自分が乗っていた10号車(高包)は、ウランバートルまでは13名乗客が居たのに、そこから先に向かうのは僅か3名! ただし、空き部屋は車掌の休憩室とか非番職員の「回送」用に使われてもいましたけど。
(昔、パンナムでは「回送」の乗務員は必ずファーストクラス利用だったそうな。それに比べりゃ……)

 はっきりいえば、北京⇔モスクワ間は実用的な交通機関としての役目は既に終わっているのでしょう。硬臥より飛行機の方が安いのが現実です(前にも記しましたが、帰りのモスクワ→北京の航空券はCAのサイト予約で¥37700でした)。ただ、航空運賃は季節変動が激しいので、その意味では年間一律の鉄道運賃が有利な状況もありえるのかも? それでも所要時間を考えるとお話になりませんが(自分のような物好きは別)。
 対して、北京⇔ウランバートルはまだまだ鉄道の利用圏内! 所要時間は一晩で30時間程度ですから寝台なら普通の人も耐えられる範囲でしょう。そのうえ、ウランバートルは航空の便は良いとはいえないようです(北京便でさえ、1日1便)。
 肝心の運賃も、荒っぽく調べた限りで、北京⇔ウランバートル往復は中国国際航空で¥55300[公式サイト予約。日本で買える最安値?]。対して鉄道(片道)は高包1790元、硬臥1128元。同条件にするため、往復にして1元=15円で計算すると高包¥53700、硬臥なら¥33840! ウランバートルまでの乗車率の高さも頷けると云うものです。……ここは夏季は毎日運行、冬季でも週3便とか張り切ってみる気は無いでしょうか? まぁ「現実的」にモスクワ行きが切られたら悲しいですけど。
posted by 西方快車 at 19:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月15日

【第3日目の4 20090528】ウランバートルまで

 先に食堂車のこと記しましたので、それ以外のことなど。


 貨車。日本では信じられない木造の有蓋車が現役です。意外と製造は新しいのかもしれません……。手前の車はモンゴル表記がありますね。


 コンテナ輸送ニ態。奥は尋常にコンテナ貨車にISOコンテナ積んでいるのですが、手前の2両は無蓋貨車でISOコンテナを輸送しています。貨車のサイズが大きく、クレーン荷役だからこその合理的な技です。
 先にも記しましたが、そんなに貨物列車の本数はありません。それ以前に旅客列車も少ないのですが。


 砂に埋もれる線路……。


 ゲルの集落。そして馬。


 小駅。マイトゥの周辺。


 マイトゥの駅舎。停車する列車は朝に普通が2本のみ! しかし、綺麗に維持されているのは嬉しいことです(単線ゆえ、信号場としての業務もあるのでしょうけど)。


 ゲル集落。線路際にも意外とあるものです。北に向かうにつれ、緑が増えてきます。


 幻想。エアブラシで描いたかのような景色。



 小駅。もちろん通過。ここに停車するのは1日1本。


 馬と草原。


 平地の国……に見えて、鉄道は勾配がそこそこあります。幾つもの丘を、Ωカーブを繰り返してクリアしていきます。速度はゆっくり。「四重連」の機関車だってさまになるってもの。
 

 有名な?「アンテナ」。軍用ではなく、民間用のものと聞きますが、びっくりする光景。


 ここも趣のある小駅、ホンホル。ここも朝に2本が停車。


 駅長さん?は女性。通過を確認! カラフルな柵も目を引く部分。


 さて。
 12時半頃に、そろそろウランバートルまであと1時間ほどだからと談話サロンモードの食堂車退散して部屋に戻ったのですが、なかなか着かない、町が見えてこない……。
 定時の13:20になっても草原の中のウネウネカーブを進むのみ……。遅れを感じてはいましたが、確信できたのはウランバートル着で駅の時計を確認したときでした(笑)。まさか2時間も遅れてたなんて!


 ほどなくウランバートルのはずなのに、こんな景色が続きます。丘を越えて越えて。

 
 今度こそか、今度こそか……と思って幾つも丘をこえ、ついにウランバートルが近づいてきました。民家はゲルもしくはロシア調。


 町の中にもあるゲル村と、背後の無機的なアパート群(共産圏のというより、日本の団地みたい)が実に対照的。


 今風のビルを建築中。されど手前にはゲル村(スラムってわけではなさそう。小奇麗なので)。また、背後の山にも住宅開発が進んでいます。この辺の土地区分は謎だらけ……。


 ウランバートル駅付近。有名な保存車両群は反対側だったので見逃してしまいましたが、貴重なアメリカンDLは撮影できました。2両輸入で現役1両の稀少機だとか。
http://www.geocities.jp/ub_railfan/dl/dash7.htm
 上記参照。このほかにもアメロコやソ連機のアメリカン改造!とかもあるようですが、目にしませんでした。3軸のロッド式入換機は撮り逃してしまいました。かわいらしい機関車だったのですが。

 RW19では、白人旅行者たちやモンゴル人、あと自分以外に一人だけ居た日本人客も降り支度……。もちろん同胞者とも握手して、手土産?に日本のチョコレート押し付けておきました。

 自分に関してはこの先モスクワまで4泊も控えているので、「近かった」「まだ、此処までか!」ような錯覚がしますが、実は北京から31時間以上も経っています。
 此処まででも十分、気合の入った長距離列車なんですね。
 
posted by 西方快車 at 22:49| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

【第3日目の3 20090528】モンゴルワールド! モンゴルの食堂車

 9時か10時頃、朝食……と思って食堂車へ。メニューを見る前に白人旅行者のグループに声をかけられ、同じテーブルに。必死でへたくそ英語でコミュニケーションとりつつ、奢って貰ったビール頂いてるうちに朝食のオーダーのタイミングは逃しっぱなし。
 まぁ、そんなに腹減ってなかったのもありましたし、目的地とかウランバートルで何するのとか、モスクワまで行くのに退屈しないの……とか、カメラ(日本製強し)や携帯電話(NOKIA展覧会になるのは必然)の自慢話とかで話がそこそこ盛り上がったのもありました。あと、話題といえば、日本の物価高とか(モスクワは高そうだとか云ったら、東京のほうが高いだろ! という反応。当然といえば当然ですね)、この列車の手配に幾らかかったかの話とか(自分が頼んだ上海の会社はかなりいい仕事をしてくれたと実感……)。

 で、ロシアでも思ったのですが、彼ら彼女らは食堂車利用するのが上手だなぁ……と。
 サロンカーやラウンジカーのような感覚で旅行者同士の談話室として利用してしまうんですね(もちろんビールやコーヒーはオーダーした上で)。さらに感心すべきは同国人同士で固まったりしないこと。語学力もコミュニケーション能力も欠如した自分をフォローしてくれたことに改めて感謝をば……。



 さて。
 モンゴルの食堂車といえば特徴的なインテリアについて語らないわけには行きますまい!
 壁、天井、テーブルクロス、簾(ブラインド)。あらゆる部分にモンゴル的な装飾やアイテムが溢れており、如いて言うなら走るモンゴル・テーマパーク!! これほどエキソチズムに満ちた食堂車というのは古今東西、他にちょっと思いつきません……。



 1950〜60年代のアメリカの食堂車や展望車にはネイティブアメリカンアートや、或いはカウボーイの小屋をイメージした内装の車がありましたけど、それも昔の話で今のAmtrackは平凡なアメリカンスタンダード。あと、水戸岡鋭治氏(云わずと知れたJR九州のデザイン顧問)が食堂車デザインしたら凄いものを作りそうですが、その可能性も残念ながら現状では低そう。このモンゴル鉄道の食堂車の価値が分かるってものです。

 コンセプトという意味でも間違っておりますまい。この列車の食堂車の利用層は、西洋からモンゴルへの訪問者が殆どなわけで(中国人・モンゴル人は殆ど利用せず)、そこを喜ばせるという意味では最適・最高の演出であると。
 但し、ロシア系の古い食堂車ですから車両そのものは老朽化していますし、モンゴルテーマの改造してからも或る程度時間もたっているのか?装飾の木部に痛みも無いわけではありません……それでも、この車の魅力が薄れるってことはありますまい。
 3次・4次利用されるなら是非ともモンゴルの思い出に、御利用をお勧めします! ウランバートルまでの利用であっても、朝食には余裕たっぷりですから。
(余談:支払いはモンゴルの通貨持って無くても、人民元でOKです)



 なお、モンゴルテーマの食堂車は利用した102号の他、105号があり相互に使用されている模様。内装は微妙に異なるようです。また、予備車として稀に106号(近代的でモダンなインテリア)が使われることもあるとか。
UB RAILFAN「車両ガイド 客車編7 食堂車」および、「モンゴル鉄道ガイド 食堂車の案内」を参照。105号の内装写真は後者にありますが、お好みはどちら? あわせて国内列車用104号の内部写真もありますが、これから102・105号の原型が想像できますね。また、106号の写真は「中国鉄道倶楽部」のボーゲン氏が撮影されたものが「中国鉄道旅行記(K23次)」に掲載されています。ところで早くも休車中の中国製新型食堂車107号はどんなインテリアだったのでしょうか?)


 厨房よりの一角にカウンターを増設してあります。サロン的な利用を考えれば便利。売店としても機能します。ラジカセとテレビは年代モノですが気にしちゃいけない。女性は私服ながら従業員(民族衣装モチーフの制服でも着ていれば完璧なのですが)。


 一輪挿しには造花。四角い枠は共産圏の食堂車に共通する飲み物立てです。今は用を為していませんが。


 ここも凝ってる、天井の装飾。


 厨房横の通路まで手を抜いていません。ここだけ簾ではなく、横引カーテン。


 食堂の厨房の無い側を見る。仕切りドアまで装飾されています。
 なお、写真を撮るの忘れてましたが、この先食堂とデッキの間の倉庫?に増設されていた冷蔵ショーケースは中国のハイラール製品でした。万事ロシア流儀のモンゴル鉄道にしては珍しいことです。


 モンゴルは北に向かうにつれ、車窓に緑が増えてくる……草原の国!
 で……肝心の食事は昼過ぎというか、ウランバートル到着後までお預けになってしまいました。
 料理の写真とか印象は、もう暫くお待ちを!
posted by 西方快車 at 22:03| Comment(2) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日

【第3日目の2 20090528】チョイル停車中にて。モンゴル国内の編成。

 ここは光線状態から客車の「形式写真」撮るには最適の場所。蒼い空を満喫!


 モンゴル鉄道の食堂車。102号。綺麗なライトグリーンに黄帯が映える。以前(2008年ごろ?)は独特の青緑だったそうですが、個人的には今の色が明るくて好み。床下機器(蓄電池箱?)が多めなのも、食堂車らしい重厚さ。


 格好よいモンゴル国章。緑の車体に映えること!


 台車。枕ばねがコイルサスとトーションバーという構造は中国18系と同じです。軸ばねもシュリーレン系、東側の台車のお約束です。


 こちらはモンゴル鉄道の1等寝台車(MECT18)、606号。カーテンの開き方からモンゴル国内の旅客も居ることが推し量れます。号車番号は「0」。
 ちなみにこの車が1等寝台と知ったのは帰国後です。窓割から2等寝台車と思ってました(苦笑)。
 ちなみに窓の洗浄はモンゴル車のみ。中国車は砂で汚れたまま……。


 この車も国章つき。地球に客車のイラストつきサボが格好よい! ステンシルなのもいい味出していますね。
 

 この光線状態を生かさない手はありません。中国の客車もついでに撮影。硬臥車YW18通路側。今から思えば他の客車も撮っておくべきでした!


 チョイルの駅舎。やはり人影はない。


 交換(すれ違い)の貨物列車の2M62。紋章つき。


 先の機関車の側面。


 2M62の連結面。運転台をツブした?跡が、日本の私鉄電車の運転台撤去車を思わせます。前面窓塞いで貫通路設け、側ドア潰していますが、ライトケースやスカートは残っているのが印象的です。


 タンク車。あとから分かったのですが、完全にロシア型。この先でこのタイプはごろごろ。


 先のモンゴルの寝台車MECT18、606号の通路。(これも後から分かったことですが)ロシアの同形車が横引カーテンなのに対して、この車はロールアップのブラインドです。また、床の絨毯に汚れ防止の布かけてしまうセコさは?ロシア同様。


 鉄道趣味が市民権を得てない国のお約束は「印刷物や駅の案内に、自国とは無関係の車両が使われることがある」だと思うのですが……モンゴルも例外ではないようで(苦笑)。アムトラックの中古機を買ってきたら面白そうですよ?

 さて、3次のモンゴル内の編成は以下になります。

←モスクワ                            北京→
2M62-2M62-行李-硬-硬-硬-軟-高包-高包-食堂-1等寝台-硬-硬-硬-硬
 (斜体は、ザミンウデ−スフバートル間。モンゴル車)
 
 モンゴル国内の寝台車は定員18名の1等寝台車ですが、早い話が定員36名の2等寝台車を「下段のみ」にした車で、中国のRW19のような趣はありません(しかし、各種写真や旅行記参考にする限り、ロシアでの1等寝台は現在はこのタイプが標準のようです。昔はRW19のようなタイプもあったそうですが)。
 それにしても、3次のモンゴル国内の運賃や料金はどんな扱いになっているのでしょうか? モンゴル国内で利用できるのがモンゴル車だけだとすると、3次に乗るためには1等の運賃・寝台料金が必要? 個人的には、モンゴル車は2等寝台でも十分だと思うのですけど……。ちなみにモンゴル鉄道では「客車=寝台車」であり、座席車は存在しないとのことです(ここも或る意味ロシア流儀ですね。ロシアでも「座席車」は少数派ですから)。

 チョイルを出ると、次はウランバートル。
 しかし、4時間後のことです。

 そろそろ食堂車に行ってみましょうか……。
posted by 西方快車 at 19:33| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

【第3日目の1 20090528】モンゴルへ。第一印象は「砂漠の国……」。

 上段寝台にまで差し込んでくる日差しで目が覚めました。確か6時位。辺りはずーーーーと砂の海。よくみるとまばらに草も見えるので砂漠とは違うのかもしれませんが。環境云々を抜きにすれば、日本にはありえぬ珍しい眺めであるのは事実です。しばし見惚れました。

 6:20頃。ザインシェンデ着。今から思えば時刻表より1時間遅れ。しかし、モンゴルと中国の時差が分からない(周りに聞いても要領を得ない。冷静に考えたら、車掌に聞くべきでした)! だから、列車が遅れていることにだって気がつきませんでした。
 しかし、だんだん走っているうちに「何かヘンだ、遅れてる!」と感づいてきます(鉄の野生のダメ勘)。しかし現在時刻が分からないと確証もない。モンゴル内は乗りっぱなしですから実害は少ないのですが、現在時刻が分からないというのは不安なもの。というより、間違えた情報でモンゴル内で勝手に2時間くらい時差作ってました(苦笑)
 ちなみに、モンゴルの時間帯が北京と同じってことを知ったのは帰国後でした……とほほ。


 駅舎。立派! 時間が時間なので誰も居ませんが。
 独特の建築ですが、モンゴル風味取り入れたロシア(ソ連)風ですね。この「風味」は機関車から食堂車の味に至るまでモンゴルの鉄道情景全てに共通するもの……と今は思います。


 駅構内。右手は売店(もちろんこの時間は非営業)。町というか集落が見えます。民家の造りが洋風で中国とはまるで違います。


 砂漠! いや草原……?
 線路脇の柵はずっと続くもので、家畜避けの由。
 モンゴルの第一印象は、まさにこの景色でした。


 民家やゲル程度の「人工物」もめったに見かけません。

 さて、起床後の車内探索?で食堂車は隣に繋がっていることを確認しました。ガラス越しに派手派手なインテリアも見えます。但し営業時間が分からず……暫く様子見。




 暫く(といっても2時間も)走ると石炭?の積み込み施設が見えてきました。これが9:20頃。
 

 入換用のディーゼル機関車もロシアタイプ。軸箱周りに赤が挿してあるのがお洒落?


 積み込み施設は貨物駅に繋がり、そこには長編成の貨物列車が交換待機。ちなみにモンゴル鉄道は全線「単線・非電化」だそうで。
 貨物列車の編成は長いのですが、中国のように本数は多くはありませんでした。3次牽引はロシアンディーゼル2M62の重連(連結型の重連なので、実質4重連)。迫力満点。


 貨物駅終わると、あとは無限に広がる砂漠。そして単線非電化の「細い」線路。


 後ろを振り返っても、景色は同じ……。


 砂漠と草原の鬩ぎあい……。


 更に1時間ほど走って、10:20頃チョイル着。昇降はないものの……。
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月09日

【第2日目の9 20090527】ニ連(後編)。台車交換、連結注意。


 作業を見守る硬臥車の乗客。興味あるのはみんな同じ?


 隣線での作業。ロシア用台車のはめ込み完了(22:03)。

 さて、隣線での作業が一段落すると、今度はこちらの「高包-硬-硬-硬-硬」の作業に入ります。


 乗っている客車にジャッキが差し込まれる(22:04)。

 驚いたのが、ジョッキアップ・ダウン中には殆ど揺れや移動感を感じなかったこと。ショックも音も何一つありませんでした。窓からのぞいて、「あ、ビューポイントが高くなってる!」という感じ。


 ジャッキアップ中(22:05)。先の同アングルの写真と、ビューポイントの違いが分かるでしょうか? 多分、自分の足元では中国用台車が抜かれているはずです。




 ロシア用台車(5両分)がやってきました(22:12)。


 ロシア用台車が、足元を流れていきます(22:14)。


 台車交換場内部全景(22:17)。やはり不思議な情景としか言いようがありません……。客を乗せたまま車庫に入場しているようなものです。

 この後、ジャッキダウンしロシア側台車がはめ込まれ、あと電気(車軸発電)や空気(ブレーキ)系が繋がれている筈です。
 後者は動作チェックの必要もあるでしょうから、素人が想像する以上の作業量と思われるのです。やはり人海戦術頼りであり(しかも技能者の)、人件費安い国じゃないと無理な作業と認識させられるのでした……。


 全車作業終了。DF7Gが迎えに来ます(22:50)。


 国際列車の入換機にふさわしい、国章付きの姿。どんどん押し込んで、連結を繋いでいく……。


 隣線の再組成連結終了。引き出していく(22:57)




 隣線の客車がやってきました。これから連結!(23:04)

 さて。
 問題はこの連結作業。作業前の「突放」もいいかげん荒っぽいものでしたが、作業後に客車を再連結する作業もそれに負けずと荒っぽいというか生々しいというか……。
 連結、というよりは緩衝器の容量を生かしてどかんどかんとぶつけていく感じ。それが計5回!
 もう少しマシな言い方すれば、客車の連結ではなく、貨車の連結と云えばいいのか……。
 
 個人的には貴重な体験が出来て大満足なんですが、普通のお客さんにとってはどんなもんなんでしょうか? モンゴルやロシアの客車(19/20次)だと作業中は強制降車させる……というのは、安全という意味で何か分かるような気がします。
 それにしても……尋常の旅客車の連結作業というのが洋の東西問わず、実は物凄く丁寧に行われているんだなぁということが分かるってもの。ナマはあんなに荒々しいとは。そして鉄道車両というのが思ってる以上に「頑丈」であることを再認識させれらたのでした。

 再組成が完了(23:15頃)した列車は、以下の編成でもう一度、二連の1番線に入線します(23:30頃)。
「行李-硬-硬-軟-高包-高包-硬-硬-硬-硬」
 今度は4線軌道の「1520mm」側を使っているはず……。ちなみに低速なら1435mmと1520mmは併用できるそうで、先の台車交換場内は普通の?2線軌道です(此処の軌間はどうなってるのやら、間を取った1480mm位になってるのでしょうか? 合わせて、特殊なポイントも使われていそうな予感)。


 駅舎内で待たされていた乗客を再度乗せ、中蒙国境目指して出発。丁度0:00位。
 同胞者が有難くもビール(燕京と青島)買ってきてくれたので、中国通過記念?に乾杯! 見てる側も興奮し通しの作業中でしたので、ことさら旨く感じられたのは云うまでもありません。

====================

 残念ながら、中国の出国のこととモンゴルの入国のことはあんまりよく覚えていません。
 何より眠くて眠くて(前夜、ロクに寝てませんので)。まぁ特に覚えてないのは、どちらの係官も普通の応対だったからというのはあるんでしょう。ムカつく対応なら、眠くても覚えてるはず(苦笑)。
 ただ、自分のモンゴルのビザがトランジットではなく「観光」で取ってたので、モスクワまで乗って良いのか云々トランジットじゃないのか? とかいわれたのは覚えてます。モスクワまでこの列車で行く、トランジット!と云うと、なんとなく納得してくれたようでしたが。
(東京では乗車券がないとトランジットビザが取れない。ビザ申請時には乗車券は北京で発券されたところで手許にはなく、已む無く観光ビザ取った……ということを説明せずにすみました)

 噂どおり天井の蓋やら、コンパートメント内の洗面所の下カバー内まで確認してるのは見かけましたけど、そもそも中国からモンゴルに密出国する必要ってあるんでしょうか(笑)。飽くまで義務的にやってる感じでした。如いていうなら「全般検査」ご苦労様……という感じ。
 あと、入国時に自分のも同胞者のも荷物は特にチェックされず。新型インフル関連の体温のチェックはあったようななかったような……。ちなみに外は真っ暗。何も見えませんでした。

 結構待たされてからパスポート返却。同胞者のユーゴスラビアのパスポートは珍しそうに見られてたのが印象的でした。確かにこの国境越えるのはレアケースでしょう……。

 その後、直ぐに寝支度に。列車は動き出しています。
 同胞者も考えていることは同じとみえ、阿吽の呼吸で上段寝台降ろします。こっちは上で相方は下でシーツとか毛布カバーを掛け、互いに支度終わったところで、特に同意の用もなく電灯オフ。個室ドアロック、と。ただし、暑かったので扇風機は回しっぱなし。ブラインドも外が真っ暗である以上、開けっ放し。
 毛布2枚のうち1枚は暑いので通路上の荷棚に押し込み、デカ枕(この枕は逸品です!)に頭乗せりゃ寝るのはあっという間でした。北京とウランバートルの時差って何時間だったっけ……。そういえばモンゴルの食堂車繋いだはずだけど、連結の振動とか無かったなぁ……ほんとに繋がってるのかなぁ……とか考えたり考えなかったり。
posted by 西方快車 at 23:16| Comment(4) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

【第2日目の8 20090527】ニ連(前編)。台車交換場へ。旅客車の突放!?

 先に書き忘れてましたが、19時頃?車掌が出国カードと税関申告書、あとモンゴルの健康チェックシートを配りにきます。どれも片面中文・片面英文の親切仕様。出国カードの出国便(普通ならフライトナンバー)のところで、「車次」に丸をつけ、「K3」と書くのはちょっと楽しい。
 ところで、中国のこの手の書類って日本人はどっちのサイドに書くのが正しいのでしょうかね?
 ちょっと同胞者の前で見得張って、漢字読めるんだぞと中文側に書き込んでしまいましたが……(大馬鹿)。


 ニ連、20:37着のところ、少し遅れて21時丁度の到着。台車交換のため3時間余の「停車」。

 中国持ちの3/4次の場合、ニ連では降車して駅舎内で待つか、そのまま客車の中で「台車交換体験コース(勝手に命名)」に参加するかのどちらかになります。
 残念ながら?後者は鉄な人以外は興味ないようで、雨の中、殆どの乗客が降りていきました。
 一説には「ニ連の街に出ることができる」とも云われてるらしいのですが、同包者から後で聞いた話だと、駅から外には出してもらえなかったそうで。



 ちなみにモンゴル持ちの列車だと、全員強制降車で台車交換体験コースなし!なんだそうです。
 その代わり駅からニ連の街には出られるとか。3時間もあれば確かに飯食って呑むくらいの時間は取れそうです(站周辺に飯屋があるかどうかは知りませんが……)。


 二連の1番線。1435mmと1520mm併用の4線軌道に注目! 今は1435mm側に乗っています。

以下、自分が確認した限りでの二連での台車交換作業を記します。

 二連では先ず、編成を3つに割り、二連までの客車を外します(21:10)。

←ウランバートル                 →北京
「行李-硬-硬-軟-高包-高包」「餐-硬-硬-硬」「硬-硬-硬-硬」
太字がモスクワ行の客車、斜体がニ連までの客車)

 「行李-硬-硬-軟-高包-高包」を一度、二連站のモンゴル側にある台車交換場に仮に送り込みます(21:40)。


 台車交換場。一度目の入線です。


 台車交換場内部。プラスチック椅子は作業員用? もちろん降車はできません(危なすぎる!)。でも、窓開けて写真撮るのはok♪

 こうして編成前半を台車交換場に逃がしている間、本線(1番線)からニ連どまりの「餐-硬-硬-硬」を引き上げさせます(推測)。
 台車交換場に送られた客車は、再度1番線方に戻され、ここで残る「硬-硬-硬-硬」に連結(21:45)。以下に仮組成。
「行李-硬-硬-軟-高包-高包-硬-硬-硬-硬」

 次に、5両対応?の台車交換場に送るため、以下に組みなおして5両づつ台車交換場へ送られます(21:50)。
 「行李-硬-硬-軟-高包」/「高包-硬-硬-硬-硬」

 再び台車交換場に入り、結局はは全客車が1両づつ切り離され、ジョッキ位置に止められます(21:55)。


 台車交換場へ。2度目の入線。

 さて、乗客乗せたままの旅客車ですから機関車が1両づつ切り離していくもの……と予想してました。しかし停止時に凄いショック! あれは絶対に「突放」を行ってますね。

平面ヤードでは、仕分けをより効率的にするために「突放入換」が行なわれることがある。まず、入換機関車が推進運転で貨車の列を加速する。列の途中の連結器を解放した後、機関車は急ブレーキをかける。これを「突放」という。解放された連結器より先頭側の貨車は、慣性で走り続ける。貨車に添乗した構内作業掛が、突放された貨車のブレーキを操作し、貨車を目的の位置に停止させる。

 Wikipedia:「操車場」http://ja.wikipedia.org/wiki/操車場_(鉄道) より


 ちなみに客扱い中の旅客車の突放は日本では禁止されてました(笑)。

 一方、台車交換場の隣線では、「行李-硬-硬-軟-高包」が既にジョッキアップされ、中国用の台車が抜かれていますています(21:55)。なかなか手早い。








 完全に持ち上がってますね。



 場内に積み上げてある台車。スペース節約の為でしょうか? 台車や車輪は積み上げても痛まない(らしい)……というのは新知識ですが、日本の軽量化した台車だと違うのかもしれません。


 隣線での作業。ロシア用台車が「流されて」いきます(21:57)。ワイヤーで引っ張っているのだとか。


 隣線での作業。ロシア用台車のはめ込み(21:58)。作業は分刻みのスピーディーなものです。但し人海戦術ですが……人件費の高い国ではありえない作業だなぁと。

 以下、続きます。
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

【第2日目の7 20090527】集寧南。夕食……。何もない!


 まもなく集寧南。モンゴル風の建物も混じってきます。
 ところで手前の車止めは変な形ですが、中国では一般的なのでしょうか。


 集寧南にて待機の補修用列車。22系客車の転用。


 パラボラアンテナ。屋根の上に屋根があるのは、暑さ避けの天蓋でしょうか?


 集寧南站。16時丁度着。架線は此処まで張られてます。但し、構内に電機はまだ1両も見かけませんでした。
 ここでは6分停車ながら機関車交換もあり、DF4CをDF4Bに交換していました。


 高いホームながら、屋根も無い不思議な情景。本屋とは地下道で連絡。物売りワゴンが賑やか。ちなみに中国の物資・食料が購入できるのはここが最後ですので御注意のほどを。
(ニ連で降車する場合は別ですが)


 架線柱、照明柱が綺麗に並ぶ……。


 石炭車その1。箱型。ホッパー機構のない完全な「函」だと思われ。降ろす際は貨車ごとカーダンパーでひっくり返すのでしょう(側面の小ハッチは非常用?)。それにしても「真新しく綺麗な石炭車」は日本では考えられません。鉄道貨物が元気な高度成長の国ならでは……。


 石炭車その2。ホッパー車になっている? 上の函形貨車も含めてこの種の車は3両単位で棒連結器で「固定」されています。大同から大秦線へ直通する運用と明記されているのも印象的。


 集寧南を出発。牽引機がDF4Bオレンジに。


 バイクつきリアカー並べた路上市? 背後の商店群の看板はまだまだ中国漢族エリアっぽいですね。餃子に刀削麺に鴨……。


 レンガ工場?


 集寧南から5分ほど走ると、終に架線が無くなりました。ここから正真正銘の非電化区間へ。


 朱日和站。なかなかの異国情緒。2分停車で、事実上の運転停車。


 雨。此処までくると、さすがに寂しくなってきました。


 何もない、ひたすら内蒙古を行く。


 同じく……。

 せいぜい100km/hも出ていない列車で一日走っただけで景色が完全に変わってしまう中国は広い国なんでしょうか? 北京という首都が蒙古に近すぎるから……と考えた方が良いのかもしれませんけど。
 
 前後しますが、集寧南を出てしばらくのタイミングで、やはり同包者と申し合わせて夕食へ。
 期待はしませんけど、どんなものが出るのかなと楽しみにしつつ(矛盾は気にしちゃいけない)。

 写真はありません。

 理由は簡単。まさか昼と同じアレが出るとは……とほほ。
 燕京ビールも切れて高いハイネケンしか残ってないという状況もとほほ。おかげで餐車が妙に静まっていたことも付け加えておきます……。

 やはり車掌以下服務員も同じもの喰ってたので、文句はありませんが。

 食後、だんだん暗くなってきたので小説読んだり北京で買ってきたツマミ+持参の酒でまったりと。持参のネスカフェにインスタント味噌汁もお役立ち。
 しかし、フルメタルパニック(短編)はこんなところで読む本じゃないですよねぇ……ラノベは読みきるのにさして時間が掛からないので、この手の長旅にはお勧めしませんマジで。
 同包者はネットブック引張り出して、日記書いてるんでしょうか……?

 ちなみに自分の稚拙な英語力で出来る会話は既にし尽くました(苦笑)。
 彼は北京には2週間ほど長逗留してたそうで、ホステルに居座っていたそうな(他の中国の街には行ってないとのこと)。あと、日本語が今でも小説などでは縦書きすること、日本人だと中国語の筆談もできること……はネタになりました。

 完全に真っ暗になり、窓を開けると降り込むほどに雨が強くなってきた頃……ニ連着。
 いよいよ、台車交換イベントです!
posted by 西方快車 at 22:17| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

【第2日目の6 20090527】大同から



 大同付近の車両基地にて、DF7C(だと思う、自信なし)。背後の機関庫が「近代的なレンガ造り」という日本には有りえないスタイルです。


 大同には13:51着。ここでは24分停車。
 目の前にはDF4牽引の緑皮車22系ばかり(残念ながら全車硬座)のローカル列車が待機中。駅舎のテイストレス感が如何にも共産中国といいたいところですが、よく考えてみたら日本の地方都市もこんなのかもっとセンスないコンクリですよねぇ。


 K3次の最後尾。18系客車特有のバッファが目立ちます。中国の客車はアメリカ同様に「幌」が緩衝器として機能しているのですが、それと欧州式のバッファを纏め上げてしまった強引さというか合理性に感心!
 なお、当の緩衝器のパワーは後ほどニ連にて、身をもって味わうことになります……。

 テールライトは4つも付いてなかなか賑やか。車体埋め込みの3つはロシア用、外掛けの1つが中国用と推測します。埋め込みのテールライトは他の国内用客車にはありませんので。


 最後尾に気をとられていると、その一方、列車最前部では機関車交換が行われていました。
 電化区間は此処までなのか、電気機関車SS3は既に外され、ディーゼル機関車DF4Cが連結待ち。
 ところで、中国でもロシアでも連結手などの運転要員は「無帽。無ヘル」。日本から見ると違和感あるところです。特にスキンヘッドのおっちゃん。頭上注意ですよ!


 連結。ゴツいDF4Cはお世辞にも美形ではありませんが、こうしてみると結構頼もしい感じ。


 待機するフレンチ電機8K。彼女らの活躍もここまで。


 代わって此処からのヌシはDF8B。貨物機なのに何故か特快色。25K客車あたり牽かせたら似合う?



 大同を出発。こちら側はレンガつくりの平屋民家ばかり。
 この手の民家は無くなってくもの……と思ってましたが、町のところどころにレンガを積み上げたスポットがあります。要は、今もこのスタイルの民家はいまなお「量産中」の模様。
(まぁ日本で云う、木造新築と思えばいいんでしょうね)
 

 謎の貨物線? 至るところから分岐し、そして合流していきます。
 中国の凄いところは、この手のトワイライトな線路が多く、その殆どが「生きて」いるか、はたまた今なお拡大拡張中ということでしょうか。貨物側線を見ると「死んでる(使われてない)よな……」と思ってしまう日本人鉄の偏見は前向きに打ち砕かれるってもの。
 鉄道に関しては旅客も貨物もむちゃくちゃ元気な国です!



 長い長い運炭列車とすれ違い。信じがたいことですが、こんなのが5分に一度やってきます。とてつもない貨物輸送密度!
 なお、電化工事も終わっているのか? 真新しい架線柱が林立。ここらも暫く後には電機だらけになるのでしょうか。

 

 その一方で、旅客扱いを止めて久しそうな廃站も。


 防風林?の植林中。


 ひたすら真っ直ぐに。


 高圧送電柱? 独特の形状。「鉄塔京包線」?


 谷を越えて。改良されてばかり?の真新しい高架橋。軌道強化も随所で見かけました。


 運炭列車を2本も追い抜く。どちらもDF8Bですが、左右でスカートと屋根の形が違います。右が新型でしょうか?


 また、レンガ民家の甍の海を見渡して……。そろそろ街か、停車駅か。
posted by 西方快車 at 19:39| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

【雑草】白人旅行者は何でバックパック(巨大)を好むのか?


 今度の旅行に限らず、前から思ってたことなんですが、誰か合理的な解説をしてほしいです。
 「バックパッカー」という言葉への沢木耕一郎世代的憧れが未だに生き残っているのでしょうか彼ら彼女らには?
 或いは日本人や中国人旅行者が好む車輪付トランクへの云われなき偏見があるのでしょうか? またバックパックのデカさにかんしては、「荷物は少ない方がスマートな旅人である」という日本人のイメージから、程遠いものを感じるような気がするのですが。
(昔、中国東北部に蒸機撮りに来てた英国人が食糧を全持参してたという逸話を聞いたことがあります。そこまで中華料理嫌いかイギリス人!)

 あわせて云えば、Tシャツ短パンカジュアル系が多いですよね彼らには……。現地の人のほう襟付きシャツ長ズボンなどそれなりの身なりというのはお約束なんでしょうか。

 さて。
 RW19のコンパートメントに関しては、ベッドやソファの下などトランク系の収容力は結構あるのですが、巨大バックパックに関しては置き場がないです。
 というわけで、RW19には「バックパックは似合わない!」という結論で締めさせていただきます。
(そもそも、昔は高級幹部が乗ってたはずの車なんですし、ね)


 北京→ウランバートルまで同包のセルビア人の荷物(左右両方とも)。
 登山用品レベルのバックパックのおかげで、寝台対面のソファがツブされるという現実。こういう場合、「そこ座りたいから退けてくれませんか」といわなかった自分が悪いのは云うまでもありません(苦笑)。
 

 ちなみに自分が持ち込んだのは古風な革張りトランク(ただし、安い豚皮製。ユーラシアトランクとか云ってるアレ。通販とかで買えます)の大きいのと小さいの。客車の雰囲気に合わせてるつもり……もありますけど、これまでも国内旅行とかで常用愛用してますので。
 ちなみに空港で荷物受け取るときには便利、凄く目立つので(笑)。
posted by 西方快車 at 23:34| Comment(2) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【雑草】ぬいぐるみと旅行!

 5月27日。軟臥車の通路にて。





 ぬいぐるみの旅行記、という感じでブログを発表されているのでしょうか。とても楽しそうでした。便乗失礼をば、と。

 ところで。
 ものすごくどーでもいい話ですが、誰かk19/20次「ボストーク(東方)」号に以下のぬいぐるみ持ってゆっくりしていくツワモノいらっしゃいませんか?
http://akibahobby.net/2008/10/phantasm_yukkuri.html
 東方、といってアレ(同人STG)しか思いつかない自分が……正直イヤ。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/wcanvas/500012739000.html
 生首がシュールすぎるなら、こっちでも可(爆)。これは普通にかわいい……かな?

http://giftshop.jz.shopserve.jp/SHOP/n008.html
 コレ持ち込んだら、神。全長70cm級。そもそも通関できるのかしら?
posted by 西方快車 at 23:25| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

【第2日目の5 20090527】最初の停車駅、張家口南。昼食。車内探索。


 編成の前半。SS3-XL18-YW18-YW18-YW18-RW18-RW19-RW19(乗車)


 編成の後半。RW19の後ろはCA18、その後ろにYW18が7両。


 原発? なわけはないですよね? 火力発電所と思われ。社会主義国っぽい乾いた地方都市風情。


 謎のアーチ橋、完全に覆われている。水道橋でしょうか?


 黄色いタンク車は日本なら液化塩素という毒性侵食性の高い高圧ガス……というヤバいもの運んでる車なんですが(タキ5450など)、中国では「食油」専用車。手摺やら妻面の梯子やら欧州スタイルなのも印象的。

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 そんなわけで。
 退屈するまもなく、北京出て3時間余で最初の停車駅の張家口南。11:03着。3時間余といえば日本の感覚からすればずいぶんな駅間距離です。とくに筆者は普段国内では青春18旅行ばかりなので、3時間といえば「駅間の所要時間どころか、一つの列車で始発から終着まで乗っている時間。それも東京⇔静岡間直通クラスの長い部類で」ということになったりするわけで。
 この辺も「時差調整」をしなければなりません。
 

 どうってことのない中国の地方駅です。北京と違い、幸いにも低ホームですから(大陸はこれでなくちゃ!)、とりあえずホームに下りて撮れるうちに客車の「形式写真」を撮っておきます。特に餐車CA18は中国国内の運用ですから、撮れるうちに撮っておかないと……。


 これからモスクワまで5泊お世話になる高級軟臥車、RW19。


 餐車CA18は現用18系の中でも製造時期・製造所が違い(18系は1995年のドイツ製に対し、CA18のみ1991年中国製)、リブなしの姿。窓枠は外側はアルミで近代的ですが……。

 一方で、牽引機撮るのを忘れてました。10分停車では一番前まで行くのが億劫だったのはありますが。北京からのSS3を足まわり含みで撮れなかったのは無念。


 RW19の台車。車体に明記されてませんが120km/h対応。コイルサスとトーションバー?のみと思われる台車であり、日本の基準からすれば「安っぽい」。但し、中国国内ではそんなに飛ばさないのと軌道状態が良かったため乗り心地は悪くありませんでしたが。
 台車からの配線(車軸発電機orブレーキ?)がソケット式で簡単に外せるのがこの客車の性格を物語っています。

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 張家口南を出て、混み具合のころあい計って同包者と一緒に昼食へ。


 CA18車内。食事無料とあって混んでます。インテリアは「日本のオシ24原型辺りと比べたら、或いは9年前乗った22系餐車のCA23よりは幾らかは上等」という感。

 問題は無料の食事。もちろん過大な期待はしませんでした。ちなみに飲み物は盆に乗せて売りにきます。ビールは燕京が5元、ハイネケンが15元(!)だったような。


 おかずがしょぼいことには文句は言いません(盛り付けの偏りにも)。おばちゃんの投げてよこすような対応も(忙しいのは分かりますから)。でも飯がぼそぼそなのは何とかならないのでしょうか(苦笑)。
 普通にご飯として食べるのは無理で、セロリの炒め物を乗せて油分で流し込む感じ。あと写真に撮るの忘れてましたが、追加で鶏のから揚げも「購入」しました。量がそこそこある代わりに40元も取られましたが…。まずくはないものの、骨が多くて閉口しました。マジでお勧めしません!

 服務員の名誉のために記せば、車掌以下服務員も同じ飯です(笑)。

 あと、中国の米のいまいちさに関しては、以下が参考になります。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20090625/1027317/?P=1
 「検証! 中国米は日本製の炊飯器で炊くと美味しくなる?」


 食後は軽く列車内探索。


 硬臥車通路。あっさり風味、簡素な内装ですが床は絨毯。なお国際列車用18系だと硬臥でも2段寝台で4人一組。ドアつき個室となります。実は軟臥なみの乗り得な車。ちなみに3/4次は中国国内折り返し車もありますが、そちらもこの硬臥となっています。


 軟臥車通路。フレームや手摺などが「赤い」のが強烈に中国をアピールしています。軟臥は普通に4人一組。硬臥との差は定員が1室4人分少ないだけで僅かにシートピッチが異なるのみ。


 高包車通路。メイプル調の木目仕上げ。硬臥や軟臥とは明らかに「別の空気」が流れているというと誉めすぎでしょうか。ワゴンリ……というのがおこがましいなら、戦後生まれのUハンザなら欧州系のファンにも納得してもらえるはず!
 あと、他の車と違って、通路の折りたたみ小椅子にもカバーが掛かっています。


 通路に面した個室内洗面所窓の意匠がまたエレガント……やはりこの車はワゴンリの末裔なり!


 悪い意味で時代が変わったような印象がするのは、先ほどの餐車の厨房部通路。窓枠は外側からはアルミサッシなのですが、二重窓の内側はなんと木製。これでも1991年製造の車です……。

 ちなみに北京発時の編成は以下のとおり。15両編成ですが、下記*印の客車は北京⇔二連(中国内)の運用で、モスクワに行くのは10両。

 ←モスクワ                 北京→
     5 6 7 8 9 10    増 増 増  1 2 3 4
 行李-硬-硬-硬-軟-高-高-餐*-硬*-硬*-硬*-硬-硬-硬-硬

 行李は荷物車。餐は食堂車。硬は硬臥車、軟は軟臥車。高は高包車。

 上記を強引に日本語訳?すると、以下。
 ニ-ハネ-ハネ-ハネ-ロネ-イネ-イネ-シ*-ハネ*-ハネ*-ハネ*-ハネ-ハネ-ハネ-ハネ
 (*は北京⇔二連)



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 しばらくすると、景色は「いかにも」な、広々したものになっていきます。地形が独特(地質学の教科書とかにでていそう……)。


 といっても、直ぐに都市部になるのも中国。
 ベランダがなく、ガラス張りのサンルームを設けたアパートはロシアと同じ様式なんだな……と帰ってきてから気がつきました。ボロアパートにもエキゾチズムを感じられる得な性分(笑)。

 そろそろ、次の停車駅です……。
posted by 西方快車 at 22:19| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【雑草】国際列車の乗車券

 中国発の国際列車の乗車券は5枚綴り。
 発券は5月12日付ですが、上海の旅行会社に取って貰ったのは中国での原則どおりの、出発10日前の5月18日。何か事情があるのでしょうか?
 なお、乗車券は出発後まもなく回収され、冊子の一部(2、3、5枚目)が降車前に返却されます。駅(モスクワ)での集札はありません。手許に一部が残っています。


 1枚目。乗車券というより、代理店のCITSが付加した「表紙」と判断します。
 記載内容は乗車券+指定券として常識的な「列車番号」「始発駅」「終着駅」「日付」「時刻」「号車・等級・寝台番号・席数」。
 そしてパスポート番号と国籍が記載されます。
 寝台番号は「複数の寝台」を使うことも考慮した記載なのが印象的。
 等級の「1/2」は意味不明。2等まであるなかの1等、という意味でしょうか? 或いは2人部屋の1人使用という意味か? 軟臥や硬臥の場合はどんな記載になっているのでしょう?



 表紙の裏。パスポート番号が一致しないと乗車できない旨、持込荷物は35kgまで(飛行機に比べてなんて緩い!)、発車40分前までに改札を受けること、が記載されています。
 印象的なのは
「CITSは中国から日本、韓国への乗船券も扱っています」との記述。西洋からの旅行者むけへの案内だと思うのですが。
 なお、この「表紙」のみ「中文・英語」表記です。



 2枚目。ここから乗車券本体? ここからは中文・露語、そしてドイツ語表記となります。
 英文表記がないのが、東側の国際列車らしいところ。
 有効期間4ヶ月(指定券なしの乗車券のみの期間?)。乗車券価格(乗車券+寝台券の総額?)が記載。
 右上のボカしはパスポート番号です。


 2枚目裏。注意書き。払い戻しの注意など?


 3枚目。「乗車券」。運賃がスイスフランと人民元で記載。複数人の旅客にも1枚の乗車券で対応する書式と思われます。
 裏は白紙です。


 4枚目。「寝台券」。寝台料金がスイスフランと人民元で記載。なお、等級と号車の指定はありますが、寝台番号までの指定はされていません(表紙には明記されている、寝台番号の割り当てはCITSが行った?)。
 カレンダーと時計、列車、寝台のアイコン表示がとても可愛らしい! これが手許に残らなかったのが残念。裏は白紙。


 5枚目。露文での注意事項? 読めません……。2枚目裏の中文とは違うことが書いてあるようなのですが。
posted by 西方快車 at 21:51| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

【第2日目の4 20090527】K3次発車。豊沙線経由も悪くない!

 北京のホームではかなり希少な車までメモリに納めて最初から大満足。汗を拭いつつ、10号車のコンパートメントに戻ります。
 5分ほど待つとなんの音もなく動き出しました。
 脳内でRailwayStoryのテーマ曲が流れ出す……といいたいところですが、蒸し暑い車内にはちょっと閉口。
 そのうちに誰かが(多分車掌氏)通路側の窓が開けてくれ、扇風機のスイッチも入れてくれたので随分すごし易くはなったのですが……。ちなみに後者は漢字読めない西洋人には分からないスイッチというオチ。
 スイッチが分からない、というと室内灯のスイッチも最初は分かりませんでした。日本と違って日中も付けっぱなし、ではありませんので北京站の屋根の下では薄暗く、そして走り出してトンネルにでも入ろうものなら真っ暗! 慣れればこれも風情ですけど。

 発車して、北京周辺の機関区に客車区を眺めるうちに、リネン類に昼食夕食の食券を配りにきます。



 食券は有効時間が改定してありますね(苦笑)。無料ということ強調して配ってたのも印象的。あと客車のクラスによって色が違うようでした(車内で緑色のも見かけましたので)。

 そして、豊沙線へ。2007年に豊沙線経由になった時には随分惜しまれた……ようですが、なかなかどうしてこちらの景色も素敵ではありませんか。北京出て30分も走ると山あり谷あり碧に溢れる車窓が続き、長旅の序盤を盛り上げてくれます。










 あと、豊沙線というとフランス製電機8Kの活躍。
 長大な運炭列車を引く8Kと「次々と」すれ違います。貨物列車の運転密度はかなり高く、10分に1回はすれ違ったでしょうか。
 ちなみに「貨物列車の長大さ」と「貨物設備の充実」に関してはこの先モスクワまでずーーーっと意識させられることになります。






 広大な操車場。


 待機する8K。フレンチロコの美意識は20年以上異邦に居ても薄れることなく……。機会あればゆっくり「走り」を撮りたいものです。


 8K。少し先になりますが大同にて。

 写真取り捲りつつ、先ほど仕入れた朝食消化し、買い込んだ燕京ビールを同包のセルビア人にも勧めて乾杯! 拙い英語で(ちなみに先方はネイディブ並)で、氏がニコンのデジ一眼持ちであること、本国ではホンダ乗ってることを聞き取ったのでした。考えてみると、お金持ちなんでしょうね? 職業はPGかSE……のようでしたけど。
posted by 西方快車 at 18:37| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

【情報】中国とモンゴルの鉄道情報リンク

 すいません。しばらく更新できませんでした。
 今後しばらくは毎日更新を心がけます。

 あと、先のエントリにて中国の鉄道車両に関してはちょっと暴走してしまいました。
 よくよく考えてみたらDF11とか専運とか24系とかいきなり言われても「(JNR)DD11の誤記? 或いはそんな架空形式?」「専用貨物列車?」「あ、ブルートレインの一形式でしょ!」と思うのが普通の人でしょうか。いやそれさえも普通と思う自分が異常ですか。
 そんなわけで、中国とモンゴルの鉄道(車両)事情に関して、自分が参考にしているサイトを示しておきます(全て日本語です)。

「不思議な転轍機」
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/
 架空鉄道と中国鉄道情報のサイト。中でも圧巻の「中国鉄路車両図鑑」は以下。
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/china/locotop.html
 現在、蒸気機関車・ディーゼル機関車・客車の情報が充実しています。特に客車情報が特濃であり、24系が如何にレア客車であるとか、25系列が如何にバリエーションに富んでいるか……が理解できるようになります。
(ここ観ると、日本のブルートレインのことは忘れそうになりますよ!)
 この濃さで電気機関車や動車組(CRH等)のコンテンツにも期待したいものです。
 あと、少し前の北京地鉄事情も、五輪後に激変しているだけに貴重な記録。

「China Syndicate」
http://www.geocities.jp/df4b2106/
 中国鉄道車両図鑑は以下、
http://www.geocities.jp/df4b2106/locoreviewheadline/index.htm
 こちらも濃厚です。電気機関車各形式への思い入れたっぷりの解説は必読。客車の試験塗装のことやスペシャル機関車のことやらこちらにしかない情報も多い。「不思議な転轍機」と併せて利用されることお勧めします。試作的要素の高かった国産動車組の情報も充実(今は亡き……がほとんどなのが切ない)。

「UB RAILFAN」
http://www.geocities.jp/ub_railfan/index.html
 まさか存在するとは思わなかった(失礼!)日本語のモンゴル鉄道情報サイト。帰国後気がついたのは一生の不覚。
 客車と機関車の詳細が分かります。内容濃厚!
 ブログ(更新頻度高)も濃厚です。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/ub_railfan

「中国鉄道倶楽部」
http://railway.org.cn/
 先ずはここが基本! 中国での鉄道での移動を考えているなら必ず一読するべきサイト。地球の歩き方鉄道の旅シリーズに中国篇がないのはどうかと思うんですが、このサイトがあればそんなの不要という感じ。
 あと、中国鉄道部はここの管理人氏を外部顧問に雇うべきだと思います(笑)。
posted by 西方快車 at 19:26| Comment(0) | リンク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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