2009年08月31日

【第6日目の6 20090531】スヴェルドロフスクからペルミ2へ。オベリスク見逃しました……。

 まぁ、もともとそんなに興味は無かったのですが。
 世界三大がっかりのひとつとまでいいませんが、価値としてはそれに近いものだと思うんですが(半分負け惜しみです、ええ)。
 もちろん、西(自由主義という意味ではなく、物理的に西。早い話がヨーロッパロシア)から来る者にとっては、ここは重要な意味を持つのでしょう(非自発的にここを超えさせられた人々のことを思うと、とくに)。
 しかし、東(もちろん、物理的意味で)から来る者にとってその感慨を理解するのは正直、難しいのですよ。
 で、ここでヨーロッパとアジアが仕切られる、といってもシベリアはすでにヨーロッパなんですよね感覚的に。駅にしても、鉄道のシステムにしても、そして肝心の沿線の風景にしても! 蒙露国境越えて以来、アジア的なものはほとんど感じられないんですよ。
 逆に言えば、よくぞシベリアをここまでヨーロッパ化しきったものだと思う由で。ハルピンや大連での嘗ての残滓を観ても思ったのですが、ロシア人のヨーロッパ人としてのこだわり、そして、それが現地に与える力というのは実は物凄く大きいんじゃないでしょうか? ヨーロッパの田舎とか云われてきたがゆえの拘りのようなものを感じるのです。

 と、いう前置きは兎も角、例によって写真がだらだら続きます。


 スヴェルドロフスク近郊の電車駅。ものすごーく殺風景(笑)。


 売店のほか、公認か非公認かわからない物売りまでも。商売になるってことですね。


 ボロバス。


 スヴェルドロフスク近郊の市電。片運転台車の2両連結運転。高圧母線を渡し、パンタは前の車のみ上げてますね。


 マルシュルートカの乗り場。


 巨大。


 まもなく郊外へ。例によってダーチャ?村へ。


 高所作業車。古そうにみえますが、本当に古いんでしょうか?


 操車場には時折さしかかります。
 レンガ組の好ましいスタイルの信号所。


 本日2両目の希少車。8軸の巨大タンク車。積み込み口が二つあるってことは日本のタキ64000同様の二室式なのでしょうか。


 電源車を挟んだ冷蔵車編成。


 電源車。


 ВЛ11の3重連。


 上の3重連の、中間機関車のアップ。高圧引き通し線がヘッドライト上を渡されています。警戒色なども入っているのでこの運転台は「生きて」いるのでしょう?


 除雪車は広大な操車場に対応した? 広幅形。


 回転式ローダーという大掛かりな保線機械はインパクト十分! コンベアが繋がっているようなので、バラストの掻き出しにでも用いるのでしょうか?



 そして、広大な森とか草原に。


 この日の昼食(笑)。


 綺麗な花と、醜い廃車。


 瀟洒な小駅舎。尖塔やら、アーチを描く窓が実に素敵。


 先の駅舎に付随するような小屋と給水塔。


 製材済の材木を積み込む側線。ここにも車両限界を測るためのゲージがあります。


 こんな景色が延々と。


 民家。小農地。


 こんな景色がまったり続く中で、オベリスクを見逃してしまったという感じ。流石に退屈して寝てしまいました……。昼寝にちょうど良い陽気でもありましたし。


 給水塔が蒸機時代のシンボルなら、変電所は電化のシンボル。


 ウラル山脈っぽい、山岳地帯に入ります。
 

 立派な岩。


 成金仕様の別荘その1。


 成金仕様な別荘。その2。


 こじんまりとした教会。なかなか良い雰囲気です。
 背後には広大な耕地が広がっています。


 ロシアにしては小規模なサイロと積み込み設備。


 ダーチャが並ぶ風景は、どこも共通。


 一見地味に見えて、実は結構凝った意匠の小駅舎。


 給水塔を撮りまくれるのも今日まで? 土台部分の石とレンガの使い分けが凝っていますね。


 不思議な形状の事業用車。用途不明。


 農村。木造の民家はよくみると凝った作り。


 広大な変電所。


 操業してないっぽい雰囲気ですね……。


 こちらもトワイライトな雰囲気。ゲートの放射上の意匠はロシアではよくみかけるものでした。


 コンクリの歩道橋には申し分程度の屋根が部分部分にあります。
 ディーゼル機関車は実用本位のゴツさ。


 ペルミの街が近くなってきました。
 

 花輪。よくみると正教の十字も。


 ペルミ市街。実用本位のアパート群と、実用本位の車庫・倉庫群がここまで並ぶと壮観。


 ペルミのロータリー。モニュメントがいかにもソ連的構造主義的。


 ロータリーに面した立派な建物は市庁舎でしょうか?


 凄く前衛的なアパート。いったい何時ごろのシロモノなのやら。
 丸くなった窓の部屋には住んでみたいものです?

posted by 西方快車 at 19:25| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

【第6日目の5 20090531】スヴェルドロフスク(エカテリンブルグ)にて。試験車とかゲテモノ客車だらけの構内。

 スヴェルドロフスクにはモスクワ時間で11:36着。23分停車。現時時間との時差が2時間にまで縮まっていて、現地時間だと13:36着。
 舌かみそうな名前の街ですが、革命家由来の名称なんだそうで。街の名前はエカテリンブルグと昔の名に戻っていますが、駅名はソ連時代のままです。


 構内には見慣れぬ配色(マルーンとクリーム。美味しそう♪)の郵便車が待機中。窓の外側に金網がありません。そのかわり内側に独特の鉄格子が嵌っていますが。
 大昔、荷物車(もちろん日本の)を見て「囚人を運ぶ車でしょ」と冗談言い合ったの思い出しました。荷物車の鉄格子は窓ガラスの保護のためですが、ロシアの郵便車に関しては防犯の意味合いも強そうです。


 進入する、だだっ広い構内を見る。左手にある隔離された?空間は郵便・荷物の扱い所と推測しますがさて? 中央で入れ替え作業中なのも荷物列車みたいですね。右端にはディーゼル機関車も見えます。


 構内、改めて。先の写真で右端に見えてた機関車よりさらに右方に発着番線が広がっています。客車列車が見える限り4本も待機中です。


 寝台車、最新型。新塗装が賛否両論だと思いますが、同じ形なのに旧来の緑に黄帯の車も後に見ました。中国もそうですが「国鉄色」への執着は案外強いようです。あ、最近のJRもそうか?
 ドアステップが自動格納なのか、目新しい形状ですね(おなじ新型客車でも先に紹介したボストーク号では従来の固定ステップでした)。

 
 郵便車。やはり金網なしで内側鉄格子つき。


 駅舎と売店。ちなみに3列車が到着したホームには売店ありませんでした。ビール補充しようと思っていたのに……。差別待遇?


 停車・留置中の客車群が先の写真の4本どころではありません。
 向かいに止まっていた客車ですが、至近距離でみると布団や枕がなんとも生活感を感じさせますね。真ん中のマークはロシアの国章でしょうか?


 ロシアの国章がシールではなく、きちんと鋳造物である車もあります。


 国章というより、国章をアレンジした鉄道部門のマークでしょうか。窓に中共国章が写りこんでいるのは、まぁ素敵な偶然ということで。
 それにしても。
 共産圏客車の「車体中央部・窓間」の国章や番号の表示は本当にかっこいい! 


 八角形の行先表示。窓の開閉ハンドルにぶら下げてあります。


 食堂車。ロシアでは希少車種でもなんでもなく、物凄くありふれた存在です。


 ホームに降り、その向こうに止まっていたのは試験車群でした(出窓に注目!)。おそらく、軌道試験車。


 足回り計測機器のアップ。小さい車輪とえらく華奢なフレーム。これで高速走行に耐えるのでしょうか? 軌道試験車(マヤ34のような水準を計測する)ではなく、レール探傷車(新幹線の初代923)の類なのかも?


 試験車。2種類目。ダークレッドの車体が美しく、特別車の類に見えてしまいますが(ペンシルバニア鉄道あたりを連想しちゃうのでしょうか?)、出窓そして足回り見ればやはり何らかの試験車ですね。片デッキなのにも注目! ロシアでは寝台車・食堂車でも必ず両車両端にデッキがありますから。


 台車アップ。防塵か遮光のためのゴムスカートが印象的。測定機材を吊るすイコライザー状のフレームも異様な形状です。
 あと、試験車でも横引きカーテンというのが、実にロシアらしいエレガントさ。こういうセンスは大好きなんですよ。


 お約束の図柄で一枚、編成が最後尾まで入り満足。


 構内留置の謎の客車。これも試験車でしょうか? 独特のカラーリング(昔の秩父鉄道とか東武を思い出してしまいました)に、小さい窓が並ぶ。窓間のコルゲートもまた異様な印象です。
 あと、手前の赤いパイプは何もの?


 入れ替え進入。ステップにたって誘導。


 ビールが買えず(笑)、やや憮然とした気持ちで乗車。
 もちろん動き出してからも勝負は続きます(構内ゲテモノだらけ!)。まずは入換ディーゼルの2ショット。足元には給水設備も見えます。


 これは誰がどうみても、架線試験車。
 検測用パンタにキューポラを装備してて、日本の同種の車同様です。客車自体は最新型がベースですね。
 ところで、構内の跨線橋がさりげなく試験車が留置してあるようなエリアに繋がってるのも日本から見れば無用心というかオープンというか……。中国もそうですが、この辺は鉄道趣味が一般的でないが故の無防備なのかもしれません。


 MECT36と表記されているので二等寝台車だと思うのですが、前後をへんな客車に挟まれていると油断できません(笑)。試験車のお供をしている(休憩用など)可能性もあります。


 軌道試験車と推測。展望窓はアメリカの軌道試験車の標準装備ですし、日本のマヤ34 2501にもありましたから。台車もよくみるとかなり特異な形状です。


 もちろん、機関庫とかもあります。流線型のは新型の軽快気動車らしいです。電機はおなじみЧС2ですが、ライト周りの赤が入っていないのが珍しい


 レンガと石造りの庫が実にいい感じ。その裏手に扱重車が留置されているというシチュエーションも素晴らしい。昔の品川の裏手で古そうな救援車?が留置されてて、それが新幹線から見えたことを思い出しました。最近の日本はこの手の「裏側」がすっかりなくなってしまいましたよね……。


 本日の締めもお気に入りのЧС2で(笑)。
 お花畑の中に佇む、萌黄と翠のドレスの媛君。異論反論は許しませんよ!
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

【第6日目の4 20090531】チュメニからスヴェルドロフスクまで。お馴染みの給水塔に貨物列車。ソ連電機の魅力。

 他に撮るものないのか……とか云われても困るんですが(苦笑)。
 ロシア入って3日目になると、流石に「作業感」が出てきたのは事実です。でも、こうして時間あけてから写真見直していると再発見もあったりするので、やはり撮っておいて良かったと思う由で。


 給水塔。赤レンガ。そういえば日本に多かったはずのコンクリ製の給水塔がまったく見当たりませんでした。コンクリ製に立て替える前に電化されてしまったから……なのでしょうか?


 踏切小屋。良い感じのストラクチャ。


 謎の施設。戦争映画にでもありそうな有刺鉄線が非常に怪しい雰囲気。


 西側のコンテナ見ると少しほっとします。


 給水塔。レンガの枠の上に八角堂を乗せたこれまで見なかったタイプ。


 ВЛ11(1975〜)の後期型。それにしても貨物列車、長! この種の操車場の頻度もモスクワに近づくほど上がっていくような気がします。


 この種のカットを何枚撮ったか、正直数えるのイヤ。


 民家も相変わらずウオッチング対象。窓周りの飾りが素晴らしい1例。


 民家とか小農地とか、車とか。


 風情のある集落。奥に見えるのは教会?


 教会というより、学校か何かでしょうか?


 何度か街も通過します。
 ロータリーに集うマルシュルートカ(乗り合いタクシー)。


 ロータリーに集う、いかにもロシアな車。どっちもまだ現行生産されてるらしいのは、需要があるってことなんでしょうね。


 給水塔。さっきと同じ四角のレンガ台座に八角堂。


 また見つけた西側のコンテナ。ところで、日本で路上走ってたり貨車に載ってると巨大に見えるISOコンテナがロシアだと小さく見えるのはなんでやら。というより、前後の貨車、デカすぎ! ロシアの車両のスケール感がさりげなく伝わる一枚。


 ВЛ10(1961〜77)の後期型…というより、1977年以降、もっと新しいタイプと推測します。そもそもВЛ10とВЛ11の違いっていったい(微妙な仕様違いか、メーカー違いか?) 
 ヘッドライト上に注目。3重連用の高圧引きとおし線が見えます。


 クラシックなクレーン車。背後の大味なトレーラーもいい味出してます。


 川沿いの工場。ロシアはこんなところも緑が多いのは、いまさらながら意外な印象でした。


 また操車場。おなじみ?のВЛ10ですが、前面にエンブレムや★マークなど無いすっきりした姿は珍しい感じ。


 さっきの新型にあった、ヘッドライト上の3重連用高圧引き通しがありません。
 それにしても、昔はかっこ悪いと思ってた「如何にも」なソ連電機なのに……なんでどっぷり萌えてるんやら。シベリア横断などでソ連電機好きになった方、居りましたらコメントくださいまし。
 

 操車場ながら一応旅客扱いもるのか跨線橋と小さいホームがあります。


 小型の操重車。日本で言うとこのソ60
http://junyoko.web.fc2.com/Q-fc/so60.html
 の仲間だと思うのですが、はて?


 鉄塔もたまに撮りたくなります。


 謎の線路。ロシアはこの手の謎の線路が多すぎです。


 小駅。古そうな木造ながら、大きな窓がモダンな感じ。


 近郊電車。交流型ではたまにみかけた丸型も、直流電車では割とレアな存在でした。この丸型電車も深入りするとヤバそうな魅力がありそうな……。


 いよいよスヴェルドロフスクへ。砂塵を上げ爆走? さりげなく貨物列車を追い抜いてます。


 引上線?で待機するЧС2。格好よく、どこか愛嬌のある、いつまでも現役でいてほしい機関車。
 いつになるかわかりませんけど、彼女らソ連電機に東欧電機の「撮り」のために再訪したいなと思う次第です。
posted by 西方快車 at 23:22| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

【第6日目の3 20090531】チュメニからスヴェルドロフスクまで。食堂車での朝食。ロシア寝台車訪問。

 チュメニ出て、景色も変化なく落ち着いてきたので朝食兼昼食に一日ぶりに食堂車へ。確かモスクワ時間で8時過ぎです。


 食堂車の厨房側から食堂を見る。65817というのは固有番号でしょうか? ロシアの旅客車の番号体系はどうなっているんでしょう?


 適当に頼んだら出てきた朝食?(200Pなので700円位) 付け合せのボリューム過大(笑)。でも味は良し。
 朝からビールもお約束。
 欧米客が屯っているのもいつもどおりですが、食堂車の向こうのロシアの二等寝台車からの来客もちらほら。


 食堂車は半端に古く、また古いままな車なんですが、窓周りを整え花でも飾ってあると印象が良くなるものです。


 同じ車に乗っていた、ノルウェー人のご夫婦。中国からの帰りだそうです。左手前にあるのはロンプラのシベリア鉄道編(やっぱり出てるんですね)。
 旦那さんのお土産?の帽子とシャツが強烈でしたけど、これ中国の何処で売ってるんでしょうか? こちらの拙い英語力では聞きだせず。
 何はともあれ、いろいろお世話になりました……。


 長閑な一角。右のお姉さんはロシア寝台車からの来訪でした。


 パンフレットの「(イメージ)」風に撮ってみました(笑)。美化200%くらい。


 食堂車に掲示されていた時刻表。
 モスクワ基準で、モスクワが一番左上に、北京が一番右下に記されています。
 モスクワ⇔ウランバートルの6/5列車の方がモスクワ⇔北京の4/3列車より上に書いてあるのは何か恣意を感じるのは勘ぐりすぎでしょうか?
 印刷物としては、中国の寝台車通路に掲示されているものより立派。あっちが漢字タイプ?ででっち上げた代物なら、こちらはDTPアプリで作った感じですねぇ。
 あと、イコンが飾られているのが今のロシアらしいです。


 厨房横通路にあったメーター群。こんなものが目立つところにあるのが「ソ連」っぽくて嬉しい(笑)。


 さて。
 3/4列車においては食堂車が事実上の中露国境になっています。別に禁止されているわけではないとおもうのですが(止められたり注意されたりしたわけでもない)、食堂車の向こうのロシア側の寝台車に足を運ぶのはためらわれる雰囲気がありました。
 でも、食後にドサクサ紛れにロシア側に行ってしまいました。

 
 寝台車(MECT36)通路。二等寝台という意訳が適切なのかどうかのクペ(4人個室寝台)。モンゴルの同種の車と違いカーテンが豪華なのはロシアのこだわり。天井灯は白熱灯管球?(国内で最後に見たのが野上電鉄で1993年でした。ロシアじゃまだ作ってるんですね……)。通路の絨毯上にタオル地の布をかけるセコさは蒙露共通(笑)。なお、化粧板の合わせ目など中国18系だと金属製の押え金使っている部分が、ロシアの車だと木製です。
 RW19や阪急電車(笑)が金属を木製っぽく見せて高級感を出しているのとは対照的……。


 石炭ボイラー。中国とは違う形でした。


 最後尾の展望。もちろんドアつきでガラス越しですが。
 こまめに通いたい場所ではあるんですが、RW19からはちょっと遠すぎ……。ここの展望目当てで乗るなら、ウランウデ→モスクワでロシア車指定で乗るのが早道でしょうかね?
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

【第6日目の2 20090531】チュメニ。モスクワ発北京行の20列車「ボストーク号」との出会い。


 構内でお出迎え! チュメニ表記のある客車。ロシアでは珍しく、殆どリブの無い車体です。


 はたらくくるま、はたらくおじさん。

 
 チュメニには、モスクワ時間6:51着(現地時刻8:51)で20分停車。
 例によって進入時に窓開けてカメラ構えて「備えて」いると、反対側に特徴的な赤茶色の客車が止まっているではありませんか!


 あのカラーリングはロシア持ちの北京行列車……20列車「ボストーク号」です。

 「ボストーク(東方)」こと19/20列車も3/4列車同様の、北京〜モスクワ間の国際列車。使用車両・担当乗務員はロシア側で、満州里経由で距離が長い分1日時間も掛かる由。その分運賃も少し高いのですが、モンゴルのビザ要らない分で相殺でしょうか。
 肝心の客車は殆どが新型車(MECT36およびMECT18。増結車は古い車のこともあるとか)。中国の高包にあたるMECT18にはシャワー(共用?)もあると伝え聞きます。
 ただし、個室設備はロシアの一等寝台(リュクス)の定番の「1室に2名分の下段寝台のみ」という作りと思われ、客室個別の洗面台まではないらしい……洗面台が無いということは電源もない可能性があります。
(この辺、資料がまったくないため確信が何一つ無いです。19/20列車の新型車になってからの旅行記など、全く見当たらないのも残念。どなたかご存知の方、ご教示を!)


 20列車も機関車は、ロシアのEF58(あ、いい切っちゃった…)ЧС2の662号。どうやらЧС2でも後期形は前面窓左右に縦帯が入っている模様。


 荷物車に2等寝台車。専用車ということでモスクワ〜北京は車体に直書きされています。


 2等寝台(なんと身障者対応!)と、1等寝台車。身障者対応車はドア幅が広いのが特徴です。1等寝台車の内部を伺うことが出来ないのが実に残念無念。


 食堂車。旧型車の塗替車。ただしカーテンを見る限り、内部はそれなりに更新されているのでしょうか?

 
 ホームに下りて例によって最前部へ。3列車牽いてるЧС2の248号は縦帯なし。


 今度は最後尾に。待機する本線用の大型ディーゼル機関車。


 ЧС2の色違い。ツートンカラー。黄緑がちょっと派手。


 これから北京へ向かう20列車と、北京から来てモスクワへ向かう3列車の並び。


 構内待機のディーゼル機関車。


 チュメニ駅舎。近年に建てられた半端に近代的なタイプ。一番面白みが無いといったら失礼でしょうか。まぁどことなく構造主義の伝統みたいなものは感じられなくも無いのですが。
 あと、ここまでくると激寒地仕様の屋根・壁ありの跨線橋ではなくなります。


 線路を渡るな…?の注意書き。どこかで見たような車両がロシアっぽい緑になってます。
 新幹線の威光ってどれほどのものだったのやら……。


 こちらはちゃんとロシアの近郊電車の絵柄になってますね。


 一足先に発車していく、20列車。チュメニでは架線の張り方が日本同様に、横梁から吊るされています。
 

 3列車もまもなく、発車。今度は構内の客車を撮っていきます。
 平凡な?旧型の2等寝台車(MECT36)。3列車についているのも同型。


 窓配置から食堂車かと思ったのですが、ロシアの食堂車に必ずある「PECTOPAH(RESTORAN)」表示が無いので、べつの特殊用途の車かも?


 郵便車、荷物車の一群。郵便車の窓に金網がありません。


 保線基地にて、大型ブルドーザーを搭載したフラットカー。除雪用?
posted by 西方快車 at 19:21| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月25日

【第6日目の1 20090531】イシムからチュメニへ。操車場と貨車と沼と森と。

 一度目がさめたのはモスクワ時間で3時過ぎ、イシムを出たあたり。イシムには15分停車なので下車できた可能性もあったのかもしれないのですがどんなもんやら。


 イシムを出てしてまもなく。これで3時過ぎの明るさです(現地時間でも5時過ぎ)。
 ロシアでは「青白」パターンをあたかも警戒色のように使ってますね。


 でっかいサイロ。この種の施設もシベリア! とかソヴィエト!! というイメージに合致しますよね。


 荷物車を混成した貨物列車。
 左の赤錆色の有蓋車は明らかに他の客車・貨車より背が低いのが分かります。右方の荷物車も全長の短い変な車です。ロシアの客貨車は謎がいっぱい……。


 広大な操車場。背後の建屋もでかい。


 広大な草原(笑)。今日もいい天気。


 鉄道施設以外はこんな景色が長く続きます。折をみて洗顔したり歯磨いたり、コーヒー入れたり……睡眠の続きしたり。


 キロポスト。星の印が如何にも、って感じです。


 やはり、貨物列車とのすれ違いはしばしば。牽引はВЛ11(製造初年1975)。ВЛ10もそうなのですが、この種の機関車は飽くまで「片運転台のD形機」のようで、これを2連・3連でユニット化して運用している模様。日本や中国のような2車体のEH級……というわけではないようですね。
 屋上の機器箱の大きさに驚きます。車両限界の余裕ですね。


 おなじみの給水塔。レンガの円筒。塗装されずレンガ地肌というのは珍しいものでした。


 駅名は控えられませんでしたが、これまた素敵な駅舎です。


 踏切待ち。遮断棹がやたらごっついこと、強行進入を防ぐため地面から鉄板を上げているのが印象的です。


 操車場の隅から伸びる、怪しい線路。朝の散歩道兼用。


 事業用と思しき客車。手前の木造車が凄く怪しい雰囲気。
 奥の客車も小田急3000 SE車のような配色ですが、事業用にしておくには勿体ないほど似合ってます。


 森とか、沼とか。


 大河を渡る。


 農村。都市近郊のダーチャとは思えないので、コルホーズの自営地由来と推測しますがはて?


 踏切の監視小屋。多くの踏切は警手の居る有人でした。


 3時間ほど走って、チュメニが近づいてきました。
 例によって、広大な操車場が近づいてきます。


 ВЛ11の3並び。


 アパート群と、奥に控える大きな煙突。


 石油系と思しきタンク車はモンゴルから沢山…飽きるほど眺めてきましたが、複式ボギー8軸の超特大といえるタイプは稀少車なのか初めて見ました。日本でのタキ50000やタキ64000のような3軸ボギーの大型貨車を思い出されます。超特大が標準になりえないのは何処も同じようで……。

 
 トラクター2台積みに、でっかい円筒という恰も模型のような積荷。背後の、発電所の放熱塔にアパート群もやっぱりソ連っぽい情景です。


 操車場のコントロールセンター?


 おなじみの石油系タンク車ですが、タンク体の直径やドーム部分のプロテクタ形態、台枠に個体差があるのが分かります。


 穀物用と思われるカバードホッパー車。


 入換用ディーゼル機関車なんですが、足回りのゴツさが気になってました。で、よく見ると足回りが8軸! 1車体で動輪8軸という機関車は世界をみても余り無いでしょう(アメリカにはDL・ELともに数機種が思いつくんですが)。


 何屋さんでしょうか? 鎌とハンマーのマークはもはや郷愁の対象?


 大型スーパー?
 まもなく、チュメニです。
posted by 西方快車 at 22:43| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

【第5日目の8 20090530】走る老舗旅館(もしくはクラシックホテル)RW19の夜。

 中国の寝台車、RW19は走るクラシックホテル、という表現でおおむね間違いはないと思います。現在使われているのは1995年製ですが、1958年製の初代とほぼ大差のない車ですので……。
 ありがたいことに下手に改装・高級化されずに未だリーズナブルな料金で利用できるのもありがたい。まぁ中国だとクラシックなホテルが「超高級」ということは殆どないようですが。
 この辺、どちらも日本の「貧乏人」には有難い話。客車も宿も古いものが好きなんですが、この辺は下手に価値が再評価されすぎてしまうと、手の届かない価格になってしまうことも多々あったりしますので。
 いろいろな考え方はあると思うのですが、その意味で現在ワゴンリの古典寝台車を押さえているあの会社はどうも好きになれません……貧乏人の僻みといえばそれまでですけど。
 
 コンパート内、散らかってるのはご愛嬌ということで。


 もう一枚。照明は蛍光灯と白熱灯の切り替えができます。他、寝台灯(白熱灯)もあり。

 ちなみにRW19初代は当時として既に「レトロ」な嗜好で作られていたんじゃないでしょうか。仮にも1958年といえば日本では20系・西欧ではTEE・アメリカでは超絶モダンな客車群の時代です。この時代にあのインテリアというのは、製造者・運用者・顧客(高級幹部?)の趣味としか思えないんですよ。
 余談ですが、同じような趣味の鉄道事業者は日本にもありますよね。梅田を起点に3方向に幹線を持つあの会社……。1958年というと1010とか1300とかの初期高性能車の時代ですから。なつかしや。


 さて。

 バラビンスクを出ると、流石に暗くなってきます。それが現地時間で23時過ぎというのですが(上の写真)。暗くなったおかげで、景色眺めたり線路や機関車や貨車を追っかけるのからは開放され、本日2度目の洗濯を済ませ(やはり暑いのでそれなりに汗かいた)、思い切って洗面台で髪を洗ってしまいました。RW19の洗面台は一応シャワーとしても使える構造なんですが、以下の理由でどうしても抵抗があったんですよ。
・殆ど水しか出ない。お湯にならない。冬は加温してると思うのですが(じゃなきゃ、凍結する)。
・水圧が低い。手を洗う分には問題ないのですが。
・水質。ロシア各地で給水してるので、どんな水質か分かったものじゃない。ただ、北京段の名誉のために記せば、客車の水周りは整備・清掃されてるので汚れてたり水が錆びてたり、ということはないです。

 
 そんなわけで、水圧低いのでシャンプー流すのにもそれなりの気合が必要(ちなみに髪はそれなりに長めです…昔のシンガポールだったら入国できない位に)。とはいえ、北京のホテル以来、3晩ぶりの洗髪は素晴らしく気持ちよいものでした。もっと水圧あれば全身沐浴したいものなんですが、まぁ髪だけでも満足と。

 あと、この機会なんで書いておくとウォッシュレット信者の自分にはトイレも重要な問題でした(苦笑)。結論から申せば「左手で拭いて、水で軽く洗って、左手はマジで石鹸で洗いまくる」という手で乗り切りました。おかげで旅行中、左手は普段よりも無駄に清潔だったと思います(笑)。

 洗髪して風呂上がったような気分でさっぱりしたあと、持参の浴衣で寛ぎます。
 先にクラシックホテルなどと記しましたが、こうしていると寧ろ日本の古い旅館で風呂上がり……という気分にもなるのは不思議なものです。これが列車内というのは、凄い贅沢なのかもしれません。


 夜の通路。洗面所の飾りガラスが印象的。


 開いてる窓から吹き込む夜風も気持ちよい。点々と点る蛍光灯が「和レトロ」を想起させるのかも知れません。

 3列車での夜もあと2回。惜しみを感じつつ寝たのはモスクワ時間での23時過ぎ。
 眠っている間にオムスクに15分停車しているはずですが、気がつく由もなく……。
posted by 西方快車 at 19:53| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

【第5日目の7 20090530】ノヴォシビルスクからババビンスクまで。RW19は飛ばすと103系風味?

 RW19含む中国18系客車の最高速度は120km/hということになってるそうで。
 ただ、さんざ既出ながら台車はコイルサス+トーションバーですからどう考えても高速走行には無理がありそうな代物。まぁ、或る程度の速度までなら新幹線がローカル線に見えるような(大げさ)頑強なロシアの軌道ゆえ、乗り心地に問題はありません。日本じゃ当たり前の[贅沢品]エアサスって必要なの? って疑問感じるほどに……。
 しかし、その或る地点を越すと……凄まじい揺れに見舞われます。
 お湯を使うのに不安を感じ、本読むのがキツい位に。
 この揺れ方思い出しました。103系が100km/h以上出してるときの品のない揺れ方なんですよ! 

 ただ、中国とロシアの名誉のためにあえて記せば、こんな揺れ方だったのはノヴォシビルスクからババビンスクの間だけでした。この区間の軌道のほうに問題あるのかも知れません。
 
 余談ですが、もうひとつ気がかりなのが冬のこと。昔の宗谷本線ではコイルサスの気動車(キハ56/27)でバネの間に雪が詰まって凍結し、それはそれは凄いことになったと聞きますが、同じ問題がシベリアでも起きてはないんでしょうか? 
 

 魅力的なストラクチャ。何かの積み込み設備。


 おなじみの給水塔(この日だけで何本撮ったのやら)。円柱型ですが、タンク部分が太い独特の形です。足元の小農地も印象的。


 給水塔。円筒で上半部が木製のタイプも他では見かけませんでした。


 ちょっと産業施設系廃墟入っているのもいいものです。


 変電所。こんなところにも構造主義的美学を感じるんですよね。レーニンも「電化は共産主義のなんとか…」とか云ってたような。


 雲から光が差す。こんな神々しい眺めが1時間近く続きます。


 夕焼け。何枚も何枚も撮った中の一枚。


 先の揺れが収まってきて、お湯使っても大丈夫と判断、晩飯。このほかに昼に買ったピロシキ2個。カップ麺は1.5倍のスーパーカップサイズ。味は微妙に欧州系スープっぽい味で日本にはないもの。ピロシキの中身は酢漬けキャベツ、揚げ物に酢漬けの組み合わせはなかなか良し。そういえば、この日は食堂車には行きませんでした。

 気がついたらババビンスク着。モスクワ時間で19:40(現地22:40)。うっすらと明るいので、現地時間の22:40という方が実感がわきません。20分停車。もちろんホームに下ります。

 ちなみにデジカメの感度は自動のままで、もちろん三脚は使用せず。それでもこの程度は撮れるありがたさ。


 駅舎が「ソ連的」な、正しく構造主義しているもの……ここまで徹底してるとむしろ清清しさを感じます。両翼部の階段室の窓が、凄くよい雰囲気なんですよね、アートしてます。
 で、この種の構造主義って、何か身近さを感じるかと思ったら……一昔前の日本の公共建築のような懐かしさを感じるんですよね(日本が真似したんでしょうけど)。
 で、日本だったらこの手は広告まみれになったり、或いは半端な改修で原型を失いそうなもの。しかしロシアでは原形とどめていることが多いような気がします。建築家への敬意があるんでしょうか。
(技術者への敬意という意味では、ロシアは誉めていい国だと思う由…)


 花壇が整備されているので、構造主義の割には冷たさを感じさせないんでしょうか。駅名のネオンサインも綺麗。車掌さんが夕涼み? あとは大人しい半野良?
 

 最前方に行ってみると、機関車を切り離している模様。


 切り離し。電機が唸りをあげ、引き上げていきます。
 

 仲間の許に戻っていきます……。右方に機関庫があり、よくみると同型機が屯してます。


 代わりの機関車が気がかりです。どんなのが来るのか? 幸いにも、今度もまた大好きなЧС2(CHS2)でした。248号機なので、先の132号機よりも妹になるのでしょうか(この両数あると姉妹という喩えがしっくりきませんけど)。
 下部のライトは入換時の標識も兼ねているのでしょうか? 


 いよいよ連結! 東欧生まれのЧС2は、東独生まれの18系客車によく似合うものです。
 機関車が連結されたらいつ発車になるかわからないので、車掌に急かされつつ客車に戻ります…。


 今度は客車から。反対側に止まっていた国内列車。


 ロシアの長距離列車には欠かせない、食堂車。窓周り水色のツートンカラーも共産圏の客車には不思議と似合う。


 車掌さん。こちらは制帽と上着でびしっと決めた姿。
 あと、客車のステップに注目。通常のステップの下に折りたたみ式の補助ステップがあります。同じものは中国の専運車で見かけましたが、この客車についている理由は不明です。


 賑わっているホーム。乗客の少なくなってきた我が3列車とは対照的です。鉄道が生きている国というのは乗っていて気持ちよいもの。


 開き直ったまでに合理的な跨線橋。ゴツさがいい味を出していますね。バリアフリーなんて言葉はとりあえず忘れましょう……。奥はおなじみの屋根つき壁つきですけど。


 3列車、発車。
 架線とレール、信号の構造主義的美しさ。

 帰国後の後付ですが(写真編集してるときに気がついた)、BGMは「君の知らない物語」で決まり。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7755595
 このアニメーションもまた、構造主義的といえば構造主義的なんでしょうか?
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

【第5日目の6 20090530】ノヴォシビルスク郊外の印象。

 なかなか進まなくてすいません。
 先日旅行中の写真を全てバックアップ取ろうとしたら、3500ファイル以上あることが判明……。36枚撮フィルムにして100本以上…。まぁ、駄目カットボツカットの方が多いのはいうまでもありませんが。
 デジタルのおかげでフィルム代気にせず撮りまくれる快感はこの上なく素晴らしいのですが、後で整理すること考えるとこれはこれで……。贅沢な悩みではあるんですが。

 と、いうわけでノヴォシビルスク郊外だけでまだ写真が片付きません。大きな街なので、郊外もまた広いのです…。


 おなじみの保存蒸機。青い車体に赤い動輪、イギリス機とも違った鮮やかさが印象的です(ロシア機特有の田舎くささはどうしょうもないんですけど)。で、右のモニュメントは如何……? 


 客車区にて。シックなカラーリング。


 かえりみち。少年たちも機関車も。
 この手のわけのわからない分岐も楽しみの一つ。


 まもなくオビ川が見えてきます。古い鉄橋の1連分が保存されているのでしょうか?


 オビ川。ならぶ道路橋の新旧が、ともに魅力的な形状をしています。鋼製アーチの美しさもさることながら、奥の新橋?のY型橋脚もいい味出してます。
 小屋の乗った艀もいい感じ。


 ロシア鉄道のマークが石文字?で作られています。


 おなじみ、巨大なアパート群。緑が多いので殺伐感は少ないのですが……。


 同じく。手前の小さな家々もアパート群に飲み込まれてしまうのでしょうか?


 それでも、都市空間に水と緑が多いのは、羨んでも、褒めても罰は当たりますまい。


 愛車を前にバーベキュー。楽しそう♪


 古いながら、風情のあるアパート。ベランダがサンルームに改造されてしまうのもお約束なんでしょうね。


 歩道橋もシベリアだとプロテクタつきが理想なんでしょうか(夏は地獄でしょうが)。バスはトロバスです。
 

 ちょっとトワイライトな感じのする側線。へろへろ〜な線路の先には?


 近郊電車の小駅は小さいながらガラス張りのモダンなもの(やはり夏は考えたくないですが)。スーパー?と直結で便利そう?


 別の小駅。たしかこの辺で投石に遭いました…本気じゃないようなので実害はなかったものの、驚きました。


 やはり、わけのわからない側線を走っていく石炭列車。この種の引込み線・側線が珍しくないのです。
posted by 西方快車 at 18:49| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

【第5日目の5 20090530】ノヴォシビルスクにて。流石にロシア第三の都市!

 ロシアの第一の都市でモスクワ、第二の都市でペテルブルグ……というのは誰でも出てくることかと思うのですが、人口規模で第三の都市、というのがわかる人は少ないんじゃないでしょうか。自分も例外に漏れずで、帰ってきてから「あの駅があんなに大規模だったのは、『ロシア第三の都市』だったからだったんだ……」と気がつく始末です。
 知名度が低い?のは、この街がシベリア鉄道建設によるもので歴史的には若いものであるからでしょうか。しかして、交通の要衝としてシベリア鉄道とともに発展し続けた歴史もある由です。


 荷物車が留置される側線は、例によって駅のはずれにあります。


 郵便車と思われますが、窓が何箇所も埋められています。仕分便に使っていた車を護送便用にでも転用したのでしょうか?


 荷物・郵便車の群れ。第一群。……もちろん、第二群もあります♪


 左手に見えるのは、荷物・郵便車の群れ、第ニ群。本線は左方に大きくカーブして構内に進入。
 ところで、左から二番目の客車が怪しい雰囲気。ドアも窓もない側面が大きく、用途的に謎な雰囲気ですよ?


 給水塔も2本並びで。片方は円柱、もう片方はおなじみの八角柱。お好みはどちら?
 背後の白いビルもソ連的なスタイルでいい味出してますね。


 ロシア鉄道の新塗色? 荷物車では今のところ少数派ですが、今後は増えてしまうのでしょうか? 個人的にはもちろん緑色のほうが好きなんですが…。ただ、ドアと「P」の縦棒を兼ねたデザインは面白いといえば面白い。少数派であるなら、こんな大胆な塗りわけもあっていいのかも。


 荷物車。これは第三群くらい。ちなみに写真はもっとたくさん撮ってますが、このブログが「客貨車ガイドブック(ロシア鉄道編)」になってしまう虞れありますので(苦笑)、涙を呑んで割愛しまくってます。
 どなたか、ロシアの客貨車研究しておられる方おりましたら、ZIPで喜んで贈呈いたしますよ……。


 ついにホームに進入。駅舎が大きい! そして立派。


 向かい側、2番線の列車は塗色も客車の製造時期もごちゃ混ぜのようです。


 発車案内。向かい2番線列車は……
「111列車。ノボォシビルスク16:29発、アドラー(Adler)行」
 アドラーは黒海沿いのリゾート地、ソチの近く(20km先)の町。所要5日走行距離4588kmという、これはこれで気合の入った列車なんですね。
http://www.poezda.net/en/train_timetable?tr_code=892034%3A%C0+
 6月〜8月のみの季節運行ながら、6月は隔日、7・8月は毎日運行というのも気合が入ってます(所要5日の列車毎日運行するのに何編成必要なんだか…)。
 ソ連時代から、ロシアでは羨ましいほど長期の「夏休み」が当たり前とされてるそうですが、リゾートへの往復だけで10日掛かるというのでは、休みが長いのも必然なのかも。

 我が3列車は16:01着で、15分停車の後16:16発。例によってモスクワ時間ですから、現地時間では19:01着、19:16発となる由。高緯度で5月末ですから19時とは思えない明るさ。体内時計がモスクワ時間のままなのは、この明るさにも一因あるのかもしれません。


 反対側を見ると、6面12線以上のホームが広がっています。計15線の規模っていうことになります。2本ある跨線橋のうち1本は屋根も壁もないオープンなスタイル。駅舎のない側が直接街に繋がってるようにみえるのは改札口が存在しないヨーロッパならでは。
 規模の割にすっきりして見えるのは屋根がないのと、ホームが低いためでしょうか。


 駅舎中央と屋根つきの跨線橋。階段部分にも立派な屋根、そしてドアがあります。立派な?デジタル時計がミスマッチなのがソ連的な雰囲気です。


 ホームに下りて、まずは売店へ。食糧と酒はあるので、特に必然性はないのですが……。
 飲み物の種類がやたら豊富。あと、ここでは「自分でとってカッサ(会計)に持っていく」という西側と同じスタイルです。価格は3.5倍すると日本円。市中よりやや高め。ここでもビールは40Pくらいだったので、ロシアではビールよりコーラが高いということに。
 なお、ほかの売店ですが惣菜数種類をつめた「弁当」状のものも売ってました。これはほかの駅では見かけなかったものです。


 列車の最後尾へ。
 3列車の改札中。ここから最後尾のロシアの二等寝台車に乗るお客さんもそこそこ居る由。
 先ほどの荷物車群に、給水塔も見えます。ビルにはエアコン室外機が並んでいるということは「全館冷房する必然性がないほど暑くないが、個別には冷房なしだとキツい」という気候と経済状態?が偲ばれます。


 1番線では入換中。趣味のよいツートンカラーの新型客車。
 最新型といっても、冷房なし、床下には蓄電池、台車は「コイルばね+トーションバーのシュリーレン系台車」と従来車との互換性を意識した車なのですが。


 荷車を牽くトラクター。


 一見大きく見える?トラクターが実は小型であることが分かります。
 背後ではディーゼル機関車が入換中。


 3列車の最後尾。バッファーと円筒ゴム幌の組み合わせは完全に欧州流儀。でも連結器は自連(明らかに日本のより一回りデカい)。端面にもリブがあるのが分かります。
 客車端面の隅に丸みがついているのが、共産圏ならではの余裕を感じる部分。
 ホームに目を移すと、照明が架線同様に吊橋状に渡され、吊るされているのがユニーク。


 こちらは向かいの111列車の最後尾。3列車のロシア寝台車とは明らかに世代が違う車で(側面のリブが多い)、端面のリブが縦です。バッファの形状も異なりますし。
 桟板裏面の赤丸はロシア独特のもの。後尾標識を兼ねているのでしょうか?


 111列車の3等寝台。既に乗り込んでいるお客多数。カーテンはヨットと海を描いた南国趣味。寝台側も窓が開閉するのは珍しい感じ。上部が内側に開くようです。


 111列車の改札風景。お客は軽装の若者が目立ちます。
 3等寝台車は「定員:寝台54名/座席81名」の表記。この列車では当然前者での使用でしょう。ちなみに定員81名だと、1区画を9名で使う由…狭そう!


 同じく、111列車の改札風景。車掌さんは若い女性と中年女性のペア。老若でスカート丈が違うところが面白いですね。
 3等寝台車ですが表記は寝台時の「定員54名」のみ。


 111列車の改札風景つづき。こちらは車掌が男女ペア。ところで、彼女らの制服が先の2枚と違うことに気がつかれたでしょうか? ネクタイの有無、シャツの色、スカートありスラックスあり……。
 お客は若者のグループに、親子連れ。なんとも楽しそうなシーン。


 111列車と3列車の並び。中国の乗務員こそがここでは異邦人です。


 111列車は季節列車ながら、食堂車つき。いや、食堂車なしの長距離列車がロシアでは考えられないことなのかも。カーテンが瀟洒…というより、そこそこ豪勢な印象であり、きちんと更新・整備を受けている車と見受けられます。
 背後では、駅舎の両翼部が見えます。


 3列車の最前部。
 機関車はマリインスクからのЧС2(CHS2)形。ちょっと古そうな機関車ですが、実際古くて製造初年は1958年! それを1973年まで作り続けたあたりは共産圏の共産圏たるゆえんですが。1000両余を製造した中の132番ですから、この個体も1960年ごろの製造なのでしょう。
 チェコスロバキアのスコダ社の製造。直流3000V用で、車軸配置はC-C。

 文句なしにカッコいい機関車。EF58をスマートに、かつ若干の近代化をしたようなスタイルに惚れ惚れ。ロシアの……というより、世界の「現役の」電気機関車の中でもっとも好きな機関車であると断言しちゃいましょう。


 上記機関車の側面表記。この先、ババビンスクの所属であることが読めます。
 それにしても、電気機関車をモチーフにしたマーキングが実に可愛い! 所属区の機関車への愛情が伝わってくるようではありませんか!


 目を反対に向けると、おなじみの近郊電車が。窓周り黄色のツートンカラーは電車にも似合ってます。


 111列車の前部を眺める。機関車の次位は荷物車が2両。
 背後のビルに、大きく機関車3態が掲げられているのが面白い。一番上は保存蒸機、真ん中がЧС2、一番下は新型機。
 車掌さんの老若ペア。シャツの色とか揃える気ないですね……(笑)。


 客車に戻り、今度は通路の窓から。
 階段の柱が、あたかも教会のアーチのような影を作り出す。
 ちょっと大胆というか、お洒落なお姉さん方が印象的なんですが、彼女らから見たら中国の客車に乗ってる東洋人の方がヘンなものなんでしょう、ね。


 今度は大胆なおっさん方。確かに暑い日ではありました。


 111列車の機関車ЭП2К形。2006年からの製造のロシア製。無理やりに西側の機関車を真似たようなスタイルであんまり好きにはなれません……。


 3列車の前方を眺める。線路が綺麗に整備され尽くされてますね。新品の枕木にバラスト、そしてぶっといレール。それにしても乗っている列車にカッコいい機関車がついていると、幸せな気分が増してくるってものです。この先も、どこまでも!
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

【第5日目の4 20090530】マリインスク〜ノヴォシビルスクまで。まったりと。

 腹も満ち、太陽も快く挿して来て午睡には丁度よい塩梅。モスクワ時間で16:01着(現地時間19:01)のノヴォシビルスクまで6時間も停車しないのですから、のんびりもできるもの。

 とはいえ、思い出したように通路に出て窓開けてはシャッター切っているのですが。


 愛車とオーナー、その1.
 ソ連の国民車(だと思う)ラーダ。今も製造されてるって本当でしょうか? 元がフィアットなのでデザインは悪くないのですが……。以後、モスクワやペテルブルグでもよく見かけたので、生産が継続されてるかどうかはともかく、かなり最近まで製造されてたことは事実だと思います。
(北京で似たような生まれのVWサンタナを殆ど見かけないのとは対照的です)
 

 石炭の取り下ろし設備。無蓋車からがーーっと取り降ろすのでしょう。


 先に、車両限界ギリギリまで材木積んだ貨車の写真出しましたが、その綺麗に積み込める「答え」がコレ。車両限界のゲージで、積み込める限界が明示される由。
 日本でも明治期の写真に写っていたりするので、イギリスルーツなんでしょうか?


 今日で何本目かの給水塔。下半のレンガ部分は漆喰(かコンクリ)で整形されたタイプ。


 こちらは下半のレンガが露出したタイプ。瀟洒な八角堂タイプが「標準」化されてしまうのが、かの帝国の妙なゆとりを感じます(革命後のものかもしれませんけど)。
 自転車との対比で、大きさも量れますね。


 踏み切り待ちの車。手前のバンが如何にもソ連車という感じです。これも2005年地点ではまだ生産中だったとか……今でも造ってるのかも?


 普請中の民家。こと民家や別荘の建築に関しては「かわいらしさ」の追求を、ロシア人の潜在的な憧れとして感じてしまいます。


 愛車とオーナー。その2。
 荷運用の3輪バイク。合理的でモダンなスタイル。かっこいいお兄さんの後姿も似合ってます。


 鉄塔は森と沼を抜けて空も大地も果てなく。しつこいですが、シベリアは森と沼の豊かな(以下略


 カーブに来たので、例によって前方を狙います。マリインスクで機関車が交換されたことにやっと気がつきました……。この地点で形式は特定できなかったものの、ちょっと古風なスタイルに期待が膨らみます♪


 民家とか小農園とか。ダーチャと家庭菜園……というのは規模が大きいような気がしますけど、そこらの垣根はどうなってるんでしょうか?


 ノヴォシビルスクが近くなってきました。線路が増え、側線引込み線もあちらこちらに。
 それはそうと、ソ連=パイプラインというイメージは偏見のひとつでしょうか? 「ゴルビーのパイプライン大作戦」(1988 コンパイル)なんて落ちゲーあったような……。


 ガソリンスタンド。ソ連時代の凄さをきいたことあると、普通の印象……。


 事業用と思われる、謎の大型貨車。元は冷蔵車っぽい雰囲気ですが……。台車は車体の割に小ぶりなものなので、事業用に転用されたときダウングレードされたものでしょうか?
 

 ロシアではおなじみの操重車(クレーン車)。


 ちょっと「廃」なにおいのする工場。留置された貨車もいい感じ。


 近郊電車の小駅に出ていた、TGV-Aを描いた看板。鉄道趣味が市民権を得てない国のお約束、看板等に自国のものではない車両を堂々と描いてしまうのはロシアも同じようで(笑)。新幹線じゃなくてTGVなのは、ヨーロッパに近づいてる証なのでしょうか? 
 ……せめてICE3なら、サプサンがそろそろ運行開始されるので嘘じゃないんですけど(苦笑)。え、サプサンはシベリアにまで来ない? まぁ阪急の神宝線系でも通過電車にご注意の看板は京都線専用車の6300だったりしたんですから、似たようなもんかと(無茶な喩え)。


 車のハリボテ乗せた、大胆な看板。奥のビルもちょっぴりソ連的アヴァンギャルド入ったデザイン。


 レンガ倉庫?、建築中。よく見ると中の柱とか細いですし、かなり耐震性はヤバいのではと他人事ながら心配をば。赤レンガで中国みたいに民家ならともかく、ここまで大きなものを造ってしまうのは何というか…。


 こちらはまともな赤レンガの古工場。大きな窓にモダニズムの匂いを感じます。こんなのが現役?なのもロシアの羨ましい?ところ。


 ノヴォシビルスクの市街。ソ連的な広い道路と平面面積がデカそうな建築。そして並木。


 近郊電車の小駅。待つ人々。背後のアパートは近年のものかちょっとこぎれいなんですけど、その分テイストレスな感じも。
 ホームに屋根がついてれば、京成沿線のどっかに見える…というのは偏見かしらん。


 線路際のアパートの小公園。狭いながらも楽しそう……なにせ、長距離列車・国際列車の線路際なんですから。

 まもなく、ノボォシビルスクです。
posted by 西方快車 at 22:31| Comment(4) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月08日

【第5日目の3 20090530】マリインスクでの貨車ハント、機関車ハント。釣果は上々。

 天気がよく、ずっと暑かったので扇風機は回しっぱなし。おかげで洗濯物が乾く乾く。
 PC出しっぱなしで、MP3プレイヤーの充電しつつ、暇つぶし用に溜め込んどいたPDF眺めたり……。個室でPC出しっぱなし電源入れっぱなしだと自宅自室と感覚が変わらないのが恐ろしいところ。傍らには不二家の徳用菓子(ホームパイとカントリーマアム)にネスカフェに湯の入ったポット(京局京段備品)。なかなか快適な引きこもり環境です。ただ、暑いのと反対側の景色が気になるので、コンパートメントのドアを閉めっぱなしというわけにはいかないのですが。

 そんな中、現地時間14:07.モスクワ時間10:07にマリインスク着(ちなみに筆者の体内時間は相変わらずモスクワ時間。気分はまだ午前中)。例によって駅近くになると操車場が広がるため、「貨車ハント」も盛り上がるってものです。


 コンテナ車に40呎と20呎の二個積み。計60呎ですから長さに関しては日本のコンテナ車同様です。無論、幅と高さ方向の余裕がぜんぜん違うわけですが。積まれているのは冷蔵コンテナ。保冷じゃなくて冷凍機つきの気合の入ったリーファーですな。電源は?


 こちらは一回り小さな40呎一個積みの車


 リーファーコンテナへの電源供給にも、(冷蔵列車用の)電源車は大活躍。よく見ると車端部から電源コードが出ているのが分かります。また、かつては冷媒を送っていたものと思われる丸穴も見えます。


 今度は冷蔵車。冷凍装置とメンテナンス用ドアが目を惹きます。片車端にのみ冷凍機があるタイプ。
 余談ですが、かつての日本の冷蔵車は一部の例外を除き(試作車と米軍用)、氷で冷やす「保冷車」ばかりでした。コンテナも保冷コンテナばかりという時代が長く続きました。輸送距離が比較的短いためそれで十分だったと説明されています。対して、ロシアで冷凍装置つき「冷蔵車」やりーファーコンテナが多く用いられるのは、輸送距離が長く、保冷車では保たないから……と推測します。


 隣の車との微妙な形状の差異があります。冷凍機が両車端にあります。屋根カーブやリブの数も違いますね。


 材木を車両限界いっぱいにまで積み込んだ無蓋車。きれいな積載方法には秘密がありまして……(正解は後ほど)。

 貨車追っかけてると、気が付いたらマリインスクに入線……。……!!


 此処ではありがたいことに、ピロシキ売りのオバちゃんたちが居るじゃありませんか! シベリア鉄道の旅行ガイドなどを見ると「駅でピロシキなどを売っていて……」云々とか記されており、実は昨日から駅に着くたび珍品の機関車や客貨車同様(笑)に探していたのですが、ついぞ見つからず。この嬉しさといったら。
 ちなみに、マリインスクから先もピロシキ売りは見かけませんでしたから、3列車に関しては此処が唯一のピロシキ補給ポイントということになります。
(停車駅が少ない3/4列車はもともと不利ですね。この種の買い食いには)
 ありがたくも25分停車。悠々と買い物に降ります。
 中身が分からないものの(苦笑)ピロシキ3つ(100Pせず。300円位)に、ドーナツ1個(20P、70円位)。ほか、売店でカップ麺でかいの2個(1個35P…110円位)と、ビール1本を購入(40P。130円位)。


 買い物済ませて……ホームより前方を眺める。向かいは定番の?荷物列車。撮影時は気がつきませんでしたが、先方右手に直流電気機関車が屯っているのが見えます。


 ロシア人?の親子づれ、白人旅行者たち……ここでは中国人の車掌がむしろ「異邦人」に。


 構内の半野良。大人しい。ロシアでは野良か半野良な犬は見かけましたが、何故か猫は見ませんでした。


 ВЛ60。昔、鉄道図鑑の類の「世界の鉄道」のコーナーとかで、ソ連で載っていた機関車の定番はВЛ60かВЛ80だったような記憶があります。あの頃は「かっこ悪い!」とか思ってたのに、今となっては愛着がわいてくる不思議。板ばねの目立つ台車とか、赤いパンタ、エアタンクの目立つ屋上、独特の傾斜を持つ前面と魅力いっぱい。ロシア電機のダサさの象徴?である長い車体裾だって、どっしりした力強さにみえてしまうのです。
 側面表示は「Tch-1 BOGOTOL」。やはり所属区表示?


 ずらりと並ぶ、架線塔。ポスターにしてしまいたいアングル。
 欧州式の架線の張り方……というのは日本人から見れば羨望を感じるところでもあります。立ち並ぶ架線柱ならぬ架線塔から、つり橋のように渡される吊架線。横梁がない分、構内がすっきり見えるんですね。
 

 先ほどのリーファーコンテナ列車。こんな編成です。
 

 向かいに止まっていた荷物列車の機関車交換。ここまで牽いてきた直流電機は、左奥の引上線に。ここから交流電機に交換されます。交流電機はおなじみのЭП1ですが、よく見ると1号機ですね!
 同じ作業が、3列車の前方でも展開されていたはずなのですが、うかつにも見逃し、撮り逃してしまいました……(実はここで交流直流の切替ということを乗車時には知らなかったんです)。撮り逃したと云えば、駅舎も撮り逃しました。周辺が線路と列車だらけで目につかない状況ではありましたが。

 大いに参考にさせていただいたMr.Problem氏のサイトには駅舎の写真があります。
http://rw19.net/station/r-russia2.html
 ちなみに香港人が写真とってて捕まりそうになった……とか恐ろしいことが記されてますが、幸いにもそんな危なげな雰囲気はありませんでした。日本人のシベリア鉄道旅行記で「駅で写真とってて捕まった」みたいな話はありそうで聞いてませんので(注意された、のレベルはともかく)、極端に神経質になる必要もないんじゃないかというのが実感です。


 3列車最後尾。ロシアの寝台車MECT36。Hゴムのような無粋なもののない、リブの入ったグリーンの車体というと何故か東急5000系(丸いほう)が思い出されてしまうのです(妄想過多……)。妻面やら車体裾の丸みの処理とか、この辺の共産圏客車って意外と丁寧に作られた車であることが伺えます。


 列車に戻ってからも、撮ります。


 向いがわの荷物列車に付いていた、元冷蔵車の荷物車。日本でもレキ1で荷物車代用してたといいますので東西やること変わらず? 


 上記車両の、ドア封緘。郵便・荷物車のドア封緘は昔の日本も同様でした。


 かねてから気になっていた、郵便車の金網のなか。瀟洒なカーテンが掛かり、ここも長期間の「生活の場」であることを感じさせます。左手に見える古い中国式の魔法瓶も印象的(10年位前の中国のホテルや列車でみられた、コップ状の上蓋がついてて、その中にコルク栓のある、アレです)。


 郵便車のドアの中。消火器にごみ箱。テーブルの上にはダンボール?


 乗務しているのは私服のオバちゃん。どこか和む光景。


 去り際に、再度ピロシキ(と、そのほかあれこれ)売りのオバちゃんたち。


 荷物列車の最後尾。客車の端部はこうやって凸凹だらけのほうが格好よいと思う由。


 駅を出てまもなく。日本なら文化財もの?の石造機関庫。架線が入っていないので、ディーゼル機関車用に使われているのでしょうか? 右手み見える給水塔も丸みの強い珍しいタイプです。


 石造庫をバックに、交流電機の並び。
 さっきまで3列車を牽引してきたЭП1の48号機が引上げているところ。並んでいるのは一見同形式に見えるВЛ65(1992-1998)。ВЛ65に関して、1999年に仕様を一部変更したのがЭП1、という感じの模様。それにしてもВЛ65の4本+4本のジャンパ栓が賑やか。

 
 マリインスクの構内。公園のように緑が多いのが印象的。
 上方を見ると架線の絶縁装置?が目に付きます。マリインスクでは構内で交流直流の地上切替(日本では黒磯が唯一ですが、ロシアでは地上切替が殆ど)を行っているため、その関連と推測します。菱形の標識?らしいものもありますね。


 マリインスクでは、直流エリア交流エリアが混在しています。この辺は直流エリアで待機する電機も直流機。写真の直流電機ВЛ10は1961-1977年製造のソ連製。楕円のライトケースと星のマークが如何にも、って感じ。


 ВЛ10でも少し違うタイプ。ライトケースが丸形。星ではなくてロゴマーク、側面もВЛ60のような角窓です。奥の前面窓が斜めになっているタイプも、どうやらВЛ10の模様。三重連化されており、屋根上に強引に?高圧線が引き渡されています。


 ВЛ10の世代違いが並ぶ。


 今度は交流エリアへ。ВЛ80(1961-1994製造)とВЛ85(1983-1994製造)が並びます。ВЛ85の顔がВЛ65、ЭП1に継がれていった流れのようですね。
 中国の8G型(1988年製造)が、
http://www.geocities.jp/df4b2106/locoreview/E28.htm
(「China Syndicate」より)
 ВЛ85にかなり似ているのですが、本家のほうがスマートな印象ですね。周りにВЛ80やВЛ60に囲まれてるから少しはモダーンに見えるんでしょ……ということもでないようで。塗分とかのセンスの問題なんでしょう多分。


 ВЛ80の3重連形ほか。ВЛ10と一見区別が付きませんが、交流機は屋根に回り込む大きなルーバーがあるので、慣れたら簡単に識別できます。
 それにしても、この一齣にいったい何組の電機が写っているのやら……。9200kmの鉄道に平均20分間隔で貨物列車があり、平均速度を想定すれば機関車の量数も割り出せそう……すごい数字が出てきそうですが。


 ВЛ80。見た目はおっかないけど馴染むと人懐っこいロシアのオバちゃん……というイメージですね。擬人化するなら。


 交流電機ゾーンを過ぎると、貨物列車が待機するヤードに出ます。
 一番左のВЛ80と一番右のЭП1は交流機、右から2番目のВЛ10は直流機と、交直混在しているヤード。おそらく、貨物列車の交直切替をここで行っているのではないでしょうか?


 また冷蔵車(冷凍機2台のタイプ?)。隣は材木車にコンテナ積んで運用しているようです。


 電源車。屋根カーブが前後の冷蔵車と異なります。別の時期に造られたのでしょうか? 電源車のドアが開いているので、無人運転ではなく、乗務員がいるものと推測。


 フラットカーで輸送される「現代」。あの厄介な国が鉄路を開放さえしてくれたらこの種の貨物は増えそうなものなのに……。
 背後にも冷蔵車が写っていますが、それだけメジャーな車種でもあるわけです。日本と違って高速道路と冷蔵トラック、あるいは船舶輸送がありえない以上、この多さは必然的なものなのでしょう。


 コンテナ車。中央部が盛り上がった不思議な(しかして、強度確保上は有利な)形状をしています。40呎二個積のようですから、かなり長い車でもあります。右となりの車も珍奇……山形の側梁の中にコンテナを入れる造り。クレーン荷役で、かつコンテナに対して車両限界に余裕があると、積みつけもコンテナ車の形状も自由度が増すってことで。

 マリインスク周辺での貨車ハント、機関車ハントも落ち着いたところで昼食です。

 オームリは最後の1匹。ピロシキの中身はジャガイモ、写ってないけどドーナツ(どちらもそこそこ美味しい)。スープとビール。
 あとはジン呑んでしばらくおひるね……。
posted by 西方快車 at 20:49| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月06日

【第5日目の2 20090530】クラスノヤルスクからアチンスク、マリインスクヘ。退屈知らずの夏の旅。

 朝食。


 昨日のオームリ燻製3匹目と、クノールカップスープポタージュ(特売で10袋大箱が2個で500円)。あとは朝酒(秋葉原で買ってきたボンベイサファイア)。添えたのは不二家ホームパイw。オームリの皮を乗せると不思議とおつまみっぽい味に。


 ダーチャ(別荘)付帯の家庭菜園? よくみかけました。


 ダーチャの群れ。ロシア人のダーチャ好きは行かないと信じられない文化だと思う由。


 保線重機。多分マルチプルタイタンパだと思うのですが……。この種の重機は洋の東西を問わないスタイル(というか、日本の鉄道業界で唯一外国製品が幅を利かしているジャンルというべきか)


 保線重機でも、こちらは用途不明。


 タンク車。赤帯のあるタイプ。タンク車は多々みかけましたが形状面から殆どが石油・ガソリン用と推測されます。少し前の日本のように化成品用・粉末用・高圧ガス用などのバリエーションがあるわけではないようです。また、タンク体もストレートなものばかりで「異径胴」は見かけませんでした。
 

 上記タンク車の表記。SG-trankの火を吐く恐竜のマークが可愛らしい!


 塗装で手を抜かれた例。微妙に上下でズレているんですが……。


 台枠の側梁の省略が無く、ドームレスということは比較的近代的なタイプとなるはず。日本の感覚では。


 モスクワ時間7:06にアチンスク着。現地時間だと11:06ってことになります。3分停車なのでホームに下りる余裕もありませんが。
 反対側のホームに止まっているのはお馴染みの荷物・郵便専用列車。


 アチンスクの駅舎はソ連的無機的合理的なスタイル。でも、日本なら「構造主義的モダニズムの云々」とかで誉められそうなたたずまい。跨線橋はやはり屋根つき壁つきの防寒仕様。


 バラスト用のホッパ車。冷蔵車編成でも見かけた電源車とセットになっています。電源車は作業用の電源を供給するのでしょうか?


 給水塔……可憐なデザインに惚れ惚れ。ただ、このタイプがシベリア鉄道では一番標準的なもののようで、以後何度も撮る機会に恵まれました。雰囲気的には革命前からの生き残りのような気もしますし、あちこちで同形のをみるのは共産主義的な気も……正解はどちら?


 アチンスクを出ると、暫くしてチュリム河を渡ります。不思議な形のトラス橋。


 橋からはこんな眺めです。ロシアもまた北欧的な、森と沼の国なんですね(北欧行った事ないのでいいたい放題……笑)。


 信号機器の収容函?に、かわいい瓦屋根が! 手前の敷石もアヴァンギャルドな感じ。


 河を渡ると平原へ。レールの太さと道床のぶ厚さはこの鉄道の「ポテンシャル」を示すかのごとく……貨物輸送のための重軌道ですが、これが旅客列車の乗り心地にもプラスに作用している由。


 沼と森、そして工業の国。


 給水塔。おなじみのタイプ。


 民家群。色調が抑えられると国籍不詳に……。日本の田舎でも通じる雰囲気でしょうか?


 小駅が見えてきました。詰所?に駅舎、給水塔……駅舎が期待できそうな雰囲気ですよ?


 給水塔。個体差を後から割り出すのも楽しめそうです。


 駅舎。ITAT駅……と読むんでしょうか。正教教会を思わせる、風情のある煉瓦建。知られざるシベリア鉄道の宝物の一つでしょう。これがあるからこそ、車窓から目が離せずカメラからは手が離せません。


 コンテナ専用貨物列車。日本とは違い貨物のコンテナ率は高くありませんので専用列車は少ないです。 


 振り向き際にもう一枚。ロシアも緩急車省略していること、尾灯は1灯のみであることが分かります。あと、1520mmのロシアゲージに対してISOコンテナが「むしろ小さく」見えてしまう事実も。
 架線とコンテナの間の空間にも注目。コンテナもう1個重ねても大丈夫な余裕あり??? ひょっとするとシベリア鉄道でのダブルスタックカーの運行も可能かも……。
 余談ですが、モンゴルで見かけた無蓋車へのコンテナ搭載はロシアでは見かけませんでした。

 
 変電所。この辺りが交流電化されたのが1950年頃ですから、この建物もその時代のはず。1950年代のモダニズムは何故か心にのこるものです……。
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

【第5日目の1 20090530】大駅、クラスノヤルスクへ。ソ連的アパートとか貨車で喜べれば退屈知らず!

 時刻表上は、イランスカヤ(モスクワ時間23:15着[現地3:15着])に20分停車しているんですが、深夜なのでまったく気がつかず。全停車駅で駅舎を撮影しておきたいと思うも、貴重なRW19の寝心地と優雅な(笑)時間を天秤にかけますと、ねぇ……。


 目が覚めると、「現地時間」で3:40。5月末の高緯度、というのは物凄いものでもうこんなに明るい……。3時間も寝てないので、また部屋に戻って寝なおしですが。
 寝なおして、今度こそ身支度整え……天気もよいので2回目のお洗濯。

 干し終わって一段落ついた頃に、クラスノヤルスク到着。モスクワ時間で3:50ですが現地時間だと7:50。


 おなじみの、ホーム上の保存機関車。構内なので管理の目が行き届くのは保存機関車としてメリット大。旅人の目にも触れますし、よい保存方法じゃないでしょうか。機関車は1E型ですから恐らく貨物か入換用。足回りと缶胴の間の空間が印象的です(模型化が難しそう……)。


 20分停車なので、もちろんホームに下ります。
 

 立派なホーム屋根が印象的! 反対側(左側)にとまっているのはモスクワからやってきたところのエニセイ号。既に客を降ろして回送待ちの状態。


 白人旅行者が、窓ガラスの汚れに業を煮やして自ら掃除している……の図。仲間に撮られてるのもなんだかな。でも、気持ちはよーく分かります。


 ホームの前よりを眺む。照明などホームの小物がエレガントなので、エキゾチズム溢れる情景。


 最前部。ジマからのЭП1(1999-製造)、048号機。地味ながら力強く、どこかまじめな印象のする、やはり日本人にも馴染みやすいスタイルの名機……だと思うのです。車軸配置がB-B-Bというのも日本的?


 同じくЭП1。構内にもごろごろ屯っています。それはそうと、奥の機関庫とか、架線の重し(ロシア好みの青白の塗りわけ)、線路脇の信号線など欧州系のアクセサリも魅力的♪


 こちらはВЛ60。1957年から1967年に2618両!も製造された、ソ連の交流電化区間を代表してきた形式。最終製造から42年も経っているのに未だ現役機を多々みかけます……。ちょっとソ連的な味が強いのですが、慣れてくるとなかなか。元来は客貨両用らしいのですが、今は貨物用の模様。
 ところで、背景の機関庫の採光窓がなかなか素敵なデザイン。


 エニセイ号の客車。モダーンなマーキング。MECT54ですから3等寝台(プラッツカルト)、でも新型車。


 そして、圧巻・重厚。クラスノヤルスク駅舎。
 革命前の古いものかと思っておりましたが、実は近年(21世紀入ってから)の新築なんだそうです。ソ連時代に失われてた何かを取り戻すかの、ごとく。


 構内のはずれには、やはり荷物車が留置。高速道路網のないシベリアでは荷物車の役割は日本とは根本的に違うと思ったほうがよいのでしょう。
 背後のビルの窓の並び方も、ちょっと素敵♪


 エニセイ号を引き出しにやってきた入換のディーゼル。


 停車時間を5分ほど残して客車に引き上げ。発車。
 もちろん、発車後も大きな駅の周辺は気が抜けません。シャッターチャンスが戦場のごとくに襲ってきますので……。


 貨物用の機関車では時折「TЧ2」(ローマ字だとTCh2、意味不明)などの表記を見かけます。ЭП1でこの表記があるのは珍しい。クラスノヤルスクとも明記。所属区の表示なんでしょうか?


 ЭП1。何度も出てきますが、それだけ見かける機会も多い機関車ってことです。個人的に好きなのも、ありますが。


 今度はВЛ60がごろごろ。ごろごろ並ぶ中のほんの一部(笑)。
 機関庫の端部も素敵なデザイン。蒸機時代からのものでしょうね。
 



 ディーゼル機関車も新旧ごろごろ。


 機関庫エリアが終わると、今度は電車庫エリアへ!
 で……この悲惨な廃車体はいったい……。潰れた屋根に塞がれた窓。倉庫代用車なんでしょうか。周囲のほかの電車はまともなのばかりでしたが。


 巨大な、実にソ連的なアパート。手前には古風な戸建という好対照。


 ソ連的アパートの前景には、ソ連的な近郊電車が良く似合います。ここでも「流電」は健在です。


 日本の基準から見ると、ソ連的アパートは十分に「モダン」で「デザイナーズ」であると思うんですよね。集合住宅に建築的な理想とか思想とか込められてた時代がずーーーーっと続いたような。そんな理想が現実に押しやられた日本の団地や1970年代のマンション群の味気なさを見慣れていると羨望さえ感じますよ。ただ、管理の問題なのか平均的にボロいのはなんともし難いのですけど。セントラルヒーティングなんでしょうけど、どうせお湯の出が悪かったり錆びかけてたりするんだろうな、とか(偏見)。
 あと、ロシアでは車庫は必ず屋根付扉付なんだそうで。過酷な環境ゆえ?


 比較的近年に立てられたものか? サンルームは日本のマンションでの「ベランダ」に相当するのでしょう。


 ちょっと年季が入ってますね(笑)。デザインとか元の設計思想みたいなものは優れてるはずなのに、それを維持できないのが残念です。


 反対側を向くと貨物関係の設備。ロシアでよくみかけた電気式冷蔵車。「冷蔵−冷蔵−電源車−冷蔵−冷蔵」のような編成を組んでいます。


 先の冷蔵車から冷凍機を取り去った有蓋車。左端の埋められたグリルが哀れ。


 貨物駅の端っこ。ガントリークレーン、トワイライトな雰囲気の線路……。右にチラッと見える信号所も無機的なデザインに味わいがあります。
 こんなものでも喜んでいられると、シベリア横断は全く退屈しません。いや、退屈するヒマがありません!
 アグレッシヴな一日の始まりです……。
posted by 西方快車 at 22:53| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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