多くの場合、蒸気機関車時代は機関車の「旅客用」「貨物用」の区別がありました。要求される性能が大きく違ったためです。
(まぁ日本だとD51が客車牽いてたり、C57が貨物牽いてるのもそんなに珍しくなかったりしますけど)
電気機関車でも1950年代までの「旧世代」ではやはり「旅客用」「貨物用」の区別がありました。余裕のない出力で速度か力のどちらかを取捨選択しなけりゃいけなかったから……と思います。
ディーゼル機関車や電気機関車の「新世代(1950年代以降。特に交流電機)」になると、ようやくこの種の区別がなくなってきます。運用上は客貨兼用として所要両数を絞るに越したことはないので、多少の無理があろうとも日本や西欧各国では兼用型にしてしまうのが主流になりました(註)。
ところが、ソ連では電気機関車の新世代以降も殆どの場合で「旅客用」「貨物用」は区別されて増備されてきました。理由はわかりませんが、列車本数がそこそこあって機関車の運用区間も長く、全体での機関車の所要両数が膨大になるため、兼用にして機関車を節約する意味がないからなんだと思います。
あと、貨物用電気機関車の大型化も大きな理由でしょう。2車体3車体の超大型機に軽い旅客列車というのはえらく勿体無い使い方でしょうから。
註:とはいえ、運行会社の関係で機関車の性能とは無関係に「旅客用」「貨物用」が区別されてしまう場合もこの20〜30年ほどの流れでもあります。Amtrak以降のアメリカ、分割民営以降の日本や西欧諸国など。また、超高速機や超大型機も兼用とは無縁のジャンルです。思えばソ連・ロシアの貨物機は「超大型機」が多いですね。



「かわいらしい両運転台の流線型」 ディーゼルカー AV AM758
製造年1939年。製造両数不詳。機関出力220馬力(機械式)。
可憐な印象のディーゼルカー。
英文解説ではルーマニアのMalaxaWorksで製造されたとあります。ただ、「写真で楽しむ世界の鉄道4」では、ルーマニアの頁に同型の気動車が紹介されており、こちらでは「ハンガリーのガンツ社製。480馬力機械式」と記載されていますが。
スタイルや工作、製造次期から云ってハンガリーの名門ガンツ社製造のほうが説得力ありそうな気がします。ガンツ社は二次大戦後も東欧諸国にたくさん急行・特急用のディーゼルカーを輸出した凄いところですから。
英文解説によると二次大戦中にソビエトにやってきて(鹵獲?)、1989年までレニングラードで使用されたと書かれていますが……。参考品として保管されていただけではないかと疑いたくなります。何より連結器が欧州仕様のネジ式連結器のままと云うのがなんともかんとも。
室内は24名のソフトクラス(2等?)と28名のハードクラス(3等)に分かれていたとか。

「今なお多数が現役。ソ連で最初の新世代電機」 交流電気機関車VL60 (ВЛ60)
1957-67年製造。製造2618両。
足回りはC-C。主電動機出力550Kw×6。設計速度100km/h(旅客用は110km/h)。
1957年製造開始。そしてソ連では初の新世代の電気機関車。
歯数比変えた旅客用(うち301両)や、勾配用の回生ブレーキつきも含まれていますが、形状や塗装のバリエーションはまではないのが意外ではあります。
日本で言えばED70かED71に相当しましょう。商用周波数の交流電機で水銀整流器式(増備途中でシリコン整流器に変更、既存車も遡及改造)。
日本のこの世代の機関車は試験的要素・少数生産・状態不良とかの理由でどれも長生きは出来ませんでしたが、このVL60は大量に生産され、そして多くは長生きしています(廃車は1980年代末より)。出来のよさもあったのでしょうし、長く使わなければならない経済的な環境もあったのでしょう。
製造は10年間でしたが、以後も類似する形状の機関車は作られ続けています(低い腰周り。前面二枚窓。リブの入った側面など)。その意味でVL60はソ連電機の「原型」と云えるでしょう。
そして、活躍期間や両数の意味でもソ連・ロシアを代表する名機とも云えるでしょう。
ちなみにwikipediaだと中国のSS1(韶山1)もこの機の派生系とされています。確かに1958年に最初に試作されたかいう中国初の交流電機6Y1は流れを汲んでますね。10年間で7両しか製造されなかった辺り、竹のカーテンはあまりに不気味と言いますかなんとやら。以下に写真もあります。
SS1は1968-1988に8号機以降が量産されていますが(もちろん現役)、こちらはスタイルはまるで別のものになっています。シリコン整流器はどこから仕込んだのやら?

「入換用の凸型交流電機」 交流電気機関車VL41 (ВЛ41)
1963-64年製造。製造78両。
足回りはB-B。電動機出力425kw×4。設計速度70km/h。
先のVL60の入換機版といえばいいのでしょうか。通常ならディーゼル機関車で済ませてしまう入換用機関車に敢えて電機を導入した理由がよくわかりません。凸型の交流電機はフランスには多数が居ましたが、関連はなさそうですし。
1975〜1977年にシリコン整流器に改造。1990年までに全廃された模様です。
日本の私鉄電機に見られる凸型よりボンネットが高く、そのぶん前面窓小さいので、凄く重量感のあるスタイル。実際92トン!という重量機でもあるんですが。


入換用ディーゼル機関車。詳細は全く不明……。
形式番号などの記載がないので、機関車扱いではなく「機械」扱いだった可能性が濃厚です。日本でも5〜35トンクラスの小型ディーゼル機関車は「貨車移動機」という機械として扱われてましたし。
足回りはジャック軸によるロッドドライブなんでかなり古風な印象です。車体は丸みのある近代的なにおいのするものですが。1950-60年代のものと推定しますが、如何に?


「液体式でも入換用なら成功機」 ディーゼル機関車 TGM3(ТГМ3)
1959-77年製造。製造3539両。
足回りはB-B。機関出力750馬力(液体式)。設計速度60km/h。
本線用に関しては大コケした印象のあるソ連の液体式ディーゼル機関車ですが、入換機ではそこそこ大成しました。この製造両数ならまぁ成功といえるんじゃないでしょうか?
(とはいえ、入換用でも総数は圧倒的に電気式が多数ですが…)
自重は68トンだそうでソ連の機関車にしては小柄です。或る意味、日本のDE10に近いのかもしれません(65トン、ただし1100馬力ありますが)。

「電気式入換機のひとつ」 ディーゼル機関車 TEM1(ТЭМ1)
1958-68年製造。製造1946両。
足回りはC-C。機関出力1000馬力。設計速度90km/h。
電気式で1000馬力前後の入換機…という一番需要の多そうなクラスの機関車は複数形式が平行して製造されています。いくら計画経済でも製造所間の技術競争位はさせたのでしょう。下手に統一するデメリットはわかっていたようです。
形状、性能ともによくも悪くも平凡かつ無難な印象。ちなみに後継機のTEM2が1960年から1984年までに6200両以上も製造されてたりします。

「前面4枚窓、2車体式からの脱却」 ディーゼル機関車 TEP10(ТЭП10)
1961-68年製造。製造335両。
足回りはC-C。機関出力3000馬力。主電動機出力不詳。設計速度140km/h。
製造したのはソ連式前面4枚窓のTE3/TE7と同じハリコフ工場なんですが、よくぞここまでモダーンにイメージチェンジしたものです。何より単車体で3000馬力もあります。
日本で言えばDD50からDF50への移行を思わせるものがありますし、丸窓とエアフィルタの配置と言う意味で、DF40(DF91)のようでもあります。爽やかなカラーリングも相まって、なかなかの美形といえるのではないでしょうか。旅客用ですが、同型の貨物用機も並行して製造。引退は1980年代の末。
ちなみにソ連の機関車と思えぬ(笑)カラーリングは、「写真で楽しむ〜4」のデビウ時の公式写真と一致します。この博物館ではデビウ当時のカラーリングを復元?しているようですね。

「TEP10とは同期のライバル」 ディーゼル機関車 TEP60(ТЭП60)
1960-85年製造。製造1241両。
足回りはC-C。機関出力3000馬力。主電動機出力不詳。設計速度160km/h。
TEP10と並行して、同じハリコフ工場で製造されました。電気式の旅客用でスペックも共通するもの多し。造りわけした理由がわかりませんが、設計チーム同士の社会主義的競争の末なんでしょうか? エンジンが別物でTEP10が対向12気筒、TEP60はV型16気筒なんだそうですが、機関車の外形まで変える必要はないでしょうし。あと、台車もまるで別物です。
製造両数という意味では勝利者はTEP60の方でした(25年も継続生産とは…)。
スタイルは好みの問題なんですかね? ちなみに「写真で楽しむ〜4」にはデビウ間もないころの写真も載っていますが、前面は最初から「非貫通3枚窓」です(笑)。いや、日本なら貫通扉ありそうですものね。真ん中の窓のところ。



「特殊な試作機かと思いきや……」 ディーゼル機関車 TEP70(ТЭП70)
1973-2006年製造。製造600両以上。
足回りはC-C。機関出力4000馬力。主電動機出力不詳。設計速度160km/h。
カラーリングに騙されました。この量産型っぽくない爽やかな塗り分け! 形状もモダンでソ連の機関車っぽさがまるでありません(妙な癖の強さはやっぱりソ連機なんですけど)。
足回りも複雑なイコライジングの入った軸バネ周りが量産型っぽくない雰囲気を醸し出します。そして機関室窓のモスクワ五輪のマーク(熊の子ミーシャで覚えた。ああ古…)!
帰国後調べてわかったのは、先のTEP60に匹敵する長期生産の量産機関車でした(笑)。
ただ、量産型はもっと地味なカラーリングで悲しいほどソ連・ロシアの機関車になってしまっているようです(苦笑)。また、複雑怪奇に見える台車もTEP60と同じ型ですね。
なお、車体外形・台車とも長期間の製造の間にずいぶん形は変わっており、最新バージョンは別形式のよう…(笑)。
(続きます)