2009年11月30日

【第9日目の8 20090603】ペテルブルグ篇8(鉄道博物館5。ディーゼル機関車各種)

 なんとなく、前回までの補足、というより雑感。

 多くの場合、蒸気機関車時代は機関車の「旅客用」「貨物用」の区別がありました。要求される性能が大きく違ったためです。
(まぁ日本だとD51が客車牽いてたり、C57が貨物牽いてるのもそんなに珍しくなかったりしますけど)
 電気機関車でも1950年代までの「旧世代」ではやはり「旅客用」「貨物用」の区別がありました。余裕のない出力で速度か力のどちらかを取捨選択しなけりゃいけなかったから……と思います。

 ディーゼル機関車や電気機関車の「新世代(1950年代以降。特に交流電機)」になると、ようやくこの種の区別がなくなってきます。運用上は客貨兼用として所要両数を絞るに越したことはないので、多少の無理があろうとも日本や西欧各国では兼用型にしてしまうのが主流になりました(註)。
 ところが、ソ連では電気機関車の新世代以降も殆どの場合で「旅客用」「貨物用」は区別されて増備されてきました。理由はわかりませんが、列車本数がそこそこあって機関車の運用区間も長く、全体での機関車の所要両数が膨大になるため、兼用にして機関車を節約する意味がないからなんだと思います。
 あと、貨物用電気機関車の大型化も大きな理由でしょう。2車体3車体の超大型機に軽い旅客列車というのはえらく勿体無い使い方でしょうから。

註:とはいえ、運行会社の関係で機関車の性能とは無関係に「旅客用」「貨物用」が区別されてしまう場合もこの20〜30年ほどの流れでもあります。Amtrak以降のアメリカ、分割民営以降の日本や西欧諸国など。また、超高速機や超大型機も兼用とは無縁のジャンルです。思えばソ連・ロシアの貨物機は「超大型機」が多いですね。








「かわいらしい両運転台の流線型」 ディーゼルカー AV AM758

 製造年1939年。製造両数不詳。機関出力220馬力(機械式)。

 可憐な印象のディーゼルカー。
 英文解説ではルーマニアのMalaxaWorksで製造されたとあります。ただ、「写真で楽しむ世界の鉄道4」では、ルーマニアの頁に同型の気動車が紹介されており、こちらでは「ハンガリーのガンツ社製。480馬力機械式」と記載されていますが。
 スタイルや工作、製造次期から云ってハンガリーの名門ガンツ社製造のほうが説得力ありそうな気がします。ガンツ社は二次大戦後も東欧諸国にたくさん急行・特急用のディーゼルカーを輸出した凄いところですから。

 英文解説によると二次大戦中にソビエトにやってきて(鹵獲?)、1989年までレニングラードで使用されたと書かれていますが……。参考品として保管されていただけではないかと疑いたくなります。何より連結器が欧州仕様のネジ式連結器のままと云うのがなんともかんとも。
 室内は24名のソフトクラス(2等?)と28名のハードクラス(3等)に分かれていたとか。


「今なお多数が現役。ソ連で最初の新世代電機」 交流電気機関車VL60 (ВЛ60)

 1957-67年製造。製造2618両。
 足回りはC-C。主電動機出力550Kw×6。設計速度100km/h(旅客用は110km/h)。

 1957年製造開始。そしてソ連では初の新世代の電気機関車。
 歯数比変えた旅客用(うち301両)や、勾配用の回生ブレーキつきも含まれていますが、形状や塗装のバリエーションはまではないのが意外ではあります。

 日本で言えばED70かED71に相当しましょう。商用周波数の交流電機で水銀整流器式(増備途中でシリコン整流器に変更、既存車も遡及改造)。
 日本のこの世代の機関車は試験的要素・少数生産・状態不良とかの理由でどれも長生きは出来ませんでしたが、このVL60は大量に生産され、そして多くは長生きしています(廃車は1980年代末より)。出来のよさもあったのでしょうし、長く使わなければならない経済的な環境もあったのでしょう。
 製造は10年間でしたが、以後も類似する形状の機関車は作られ続けています(低い腰周り。前面二枚窓。リブの入った側面など)。その意味でVL60はソ連電機の「原型」と云えるでしょう。
 そして、活躍期間や両数の意味でもソ連・ロシアを代表する名機とも云えるでしょう。

 ちなみにwikipediaだと中国のSS1(韶山1)もこの機の派生系とされています。確かに1958年に最初に試作されたかいう中国初の交流電機6Y1は流れを汲んでますね。10年間で7両しか製造されなかった辺り、竹のカーテンはあまりに不気味と言いますかなんとやら。以下に写真もあります。
 SS1は1968-1988に8号機以降が量産されていますが(もちろん現役)、こちらはスタイルはまるで別のものになっています。シリコン整流器はどこから仕込んだのやら?


「入換用の凸型交流電機」 交流電気機関車VL41 (ВЛ41)

 1963-64年製造。製造78両。
 足回りはB-B。電動機出力425kw×4。設計速度70km/h。

 先のVL60の入換機版といえばいいのでしょうか。通常ならディーゼル機関車で済ませてしまう入換用機関車に敢えて電機を導入した理由がよくわかりません。凸型の交流電機はフランスには多数が居ましたが、関連はなさそうですし。
 1975〜1977年にシリコン整流器に改造。1990年までに全廃された模様です。
 
 日本の私鉄電機に見られる凸型よりボンネットが高く、そのぶん前面窓小さいので、凄く重量感のあるスタイル。実際92トン!という重量機でもあるんですが。





 入換用ディーゼル機関車。詳細は全く不明……。
 形式番号などの記載がないので、機関車扱いではなく「機械」扱いだった可能性が濃厚です。日本でも5〜35トンクラスの小型ディーゼル機関車は「貨車移動機」という機械として扱われてましたし。
 足回りはジャック軸によるロッドドライブなんでかなり古風な印象です。車体は丸みのある近代的なにおいのするものですが。1950-60年代のものと推定しますが、如何に?




「液体式でも入換用なら成功機」 ディーゼル機関車 TGM3(ТГМ3)

 1959-77年製造。製造3539両。
 足回りはB-B。機関出力750馬力(液体式)。設計速度60km/h。

 本線用に関しては大コケした印象のあるソ連の液体式ディーゼル機関車ですが、入換機ではそこそこ大成しました。この製造両数ならまぁ成功といえるんじゃないでしょうか?
(とはいえ、入換用でも総数は圧倒的に電気式が多数ですが…)
 自重は68トンだそうでソ連の機関車にしては小柄です。或る意味、日本のDE10に近いのかもしれません(65トン、ただし1100馬力ありますが)。


「電気式入換機のひとつ」 ディーゼル機関車 TEM1(ТЭМ1)

 1958-68年製造。製造1946両。
 足回りはC-C。機関出力1000馬力。設計速度90km/h。

 電気式で1000馬力前後の入換機…という一番需要の多そうなクラスの機関車は複数形式が平行して製造されています。いくら計画経済でも製造所間の技術競争位はさせたのでしょう。下手に統一するデメリットはわかっていたようです。
 形状、性能ともによくも悪くも平凡かつ無難な印象。ちなみに後継機のTEM2が1960年から1984年までに6200両以上も製造されてたりします。



「前面4枚窓、2車体式からの脱却」 ディーゼル機関車 TEP10(ТЭП10)

 1961-68年製造。製造335両。
 足回りはC-C。機関出力3000馬力。主電動機出力不詳。設計速度140km/h。

 製造したのはソ連式前面4枚窓のTE3/TE7と同じハリコフ工場なんですが、よくぞここまでモダーンにイメージチェンジしたものです。何より単車体で3000馬力もあります。
 日本で言えばDD50からDF50への移行を思わせるものがありますし、丸窓とエアフィルタの配置と言う意味で、DF40(DF91)のようでもあります。爽やかなカラーリングも相まって、なかなかの美形といえるのではないでしょうか。旅客用ですが、同型の貨物用機も並行して製造。引退は1980年代の末。

 ちなみにソ連の機関車と思えぬ(笑)カラーリングは、「写真で楽しむ〜4」のデビウ時の公式写真と一致します。この博物館ではデビウ当時のカラーリングを復元?しているようですね。


「TEP10とは同期のライバル」 ディーゼル機関車 TEP60(ТЭП60)

 1960-85年製造。製造1241両。
 足回りはC-C。機関出力3000馬力。主電動機出力不詳。設計速度160km/h。

 TEP10と並行して、同じハリコフ工場で製造されました。電気式の旅客用でスペックも共通するもの多し。造りわけした理由がわかりませんが、設計チーム同士の社会主義的競争の末なんでしょうか? エンジンが別物でTEP10が対向12気筒、TEP60はV型16気筒なんだそうですが、機関車の外形まで変える必要はないでしょうし。あと、台車もまるで別物です。
 
 製造両数という意味では勝利者はTEP60の方でした(25年も継続生産とは…)。
 スタイルは好みの問題なんですかね? ちなみに「写真で楽しむ〜4」にはデビウ間もないころの写真も載っていますが、前面は最初から「非貫通3枚窓」です(笑)。いや、日本なら貫通扉ありそうですものね。真ん中の窓のところ。






「特殊な試作機かと思いきや……」 ディーゼル機関車 TEP70(ТЭП70)

 1973-2006年製造。製造600両以上。
 足回りはC-C。機関出力4000馬力。主電動機出力不詳。設計速度160km/h。

 カラーリングに騙されました。この量産型っぽくない爽やかな塗り分け! 形状もモダンでソ連の機関車っぽさがまるでありません(妙な癖の強さはやっぱりソ連機なんですけど)。
 足回りも複雑なイコライジングの入った軸バネ周りが量産型っぽくない雰囲気を醸し出します。そして機関室窓のモスクワ五輪のマーク(熊の子ミーシャで覚えた。ああ古…)!
 
 帰国後調べてわかったのは、先のTEP60に匹敵する長期生産の量産機関車でした(笑)。
 ただ、量産型はもっと地味なカラーリングで悲しいほどソ連・ロシアの機関車になってしまっているようです(苦笑)。また、複雑怪奇に見える台車もTEP60と同じ型ですね。
 なお、車体外形・台車とも長期間の製造の間にずいぶん形は変わっており、最新バージョンは別形式のよう…(笑)。

(続きます)
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

【第9日目の7 20090603】ペテルブルグ篇7(鉄道博物館4。ディーゼル機関車は電気式か液体式か?)

 ソ連・ロシアの鉄道車両について記しているときって「未知のものに触れる」という快感があるんですよね。研究系趣味の醍醐味が十分に、そして意外と手軽に(wikipediaと翻訳サイトのおかげで)味わえる、と。
 もちろん、深みにはまるにはこの程度じゃだめで、ロシア語文献読む覚悟とかどこかで必要になるのかもしれませんが。

 あと、wikipedia以外にロシア(ソ連)の機関車を一覧したサイト見つけました。
http://scado.narod.ru/rail/index.htm
 もちろんロシア語ですが、以下を経由すると直接日本語に翻訳できます。
http://translate.google.co.jp/?hl=ja#ru|ja|
 一覧表やスペック、主要形式のイラスト入りなのが強みです。
 



「前面4枚窓のソ連スタイルの決定版」 ディーゼル機関車 TE3(ТЭ3)

 1953-73年製造。製造6809組!
 足回りは二車体(C-C)+(C-C)。機関出力2000馬力×2。主電動機出力?kw。設計速度100km/h。

 「写真で楽しむ世界の鉄道4」には、一組で2000馬力しかなく力不足であったTE1に対し、米ボールドウィン製の機関車が援助できたことから、それをモデルとして国産化した…とか記述があります。
 しかし、先の電気機関車Little Joeキャンセルの流れからいって、冷戦下の1953年にありえた話なのでしょうか? もう少し時代が下ればまた事情は変わってくるのでしょうけど。
 その辺の事情はさておき、出力は一気に2倍の4000馬力。足回りも3軸台車となり、TE2の貧弱さから脱却しています。

 ソ連の前面4枚窓のディーゼル機関車としては最後の形式となりました。ただし、だらだらと?1973年まで20年も製造が続いています(後継機種あるのに!)。結果、製造数はなんと6800組以上! 広大な鉄道網の至る所にこの機がいたのでしょう。廃車は1970年代に始まり、1990年代に全廃されたようです。が、まだ専用線などで生き延びている機もいるのかもしれません。
 なお、前面形状はこの保存機のような小窓の機と、後期型のTE7のような大窓機がありました。

 余談ですが、3TE3という3車体形(2000馬力×3)もありました。
http://scado.narod.ru/catalog2/r_t_3tae3.htm
 ロケット(ミサイル)の射場で使われたようです(中間車体は前面貫通扉つき?)。ソ連のディーゼル機関車の使われ方は本当に広いですね……。



 2軸ラッセル車。
 機関車の大きさに比べてえらく小さい古風で、かわいい除雪車。
 ロシアのラッセル車の特徴は以下。
「両頭式で、前後にラッセルヘッドがある」
 (日本での大多数は、片方のみにラッセルヘッド)
「前後とも、台枠がラッセルヘッドから大きくはみ出してる」
 (日本ではラッセルヘッドは突出部のないスマートな形状。連結器さえ格納する場合がある)

 後者ですが、除雪効率に問題なかったのでしょうか?
 台枠の突出はバッファーのこと考えると仕方ないのかもしれませんが……。




 ボギー台車のラッセル車。複線区間用で右側だけに雪を除けるタイプです。
 さすがに先の2軸ラッセル車よりは大きな車です。しかし、小柄なのは変わらず、車体木造なのも変わらず……。革命前とは云いませんが大戦前の古い車かと思いきや1956年製。ケチるところはとことんケチってますね。客乗せる車じゃなきゃ強度や耐久性なんて関係ないと割り切る合理性なのか、あるいはだらだら木造車のままで改良しなかっただけなのか……。
 排雪能力は1mとありますけど、台枠とか連結器が雪に引っかかりそうです。

 ちなみ赤と黄色の鮮やかなツートンカラーは現在のロシアの事業用車全般に見られる色です。この古く見える木造除雪車も、案外近年まで現役だったのかもしれません……。



 博物館…というか、屋外展示場を振り返る。


 シベリア鉄道沿線でたくさん拝んできたレンガ組の給水塔は、ここでも現役!


 「電気式vs液体式。液体式の大馬力機の行く末は?」 ディーゼル機関車TG102 (ТГ102)

 1959-66年製造。製造69組
 二車体で足回りは(B-B)+(B-B)。機関出力1000馬力×4。設計速度120km/h。

 本線用ディーゼル機関車でも液体式ばかりなんて国は日本くらいのものでしょう。
 西ドイツが液体式主流で少し電気式もありという感じ割と日本に近く、(1980年代までの)中国は電気式と液体式半々くらい。で、世界のほかの国々では本線用のディーゼル機関車はイコール電気式という状況でした。アメリカやその影響受けた国では顕著でしたし、フランスやイギリスも同様。
 現在は中国も電気式一本になり、日本も新造機DF200は電気式になりました(……が、あんまり増備進んでないですね(苦笑))。ちなみに液体式のDD51量産してたころの日本でも、輸出向けはしっかり電気式ディーゼル機関車作ってたんですよねぇ。技術的ガラパゴスはこの国のお家芸なんでしょうか?

 それはさておき。
 ソ連でも本線用大型液体式ディーゼル機関車の研究はされていました。1959年に独自に?4000馬力のTG102を生産開始したのですから大したものです。この地点で最先端の西ドイツ(V200 etc)に追いついたかに見えました。また、ソ連内でも電気式TE3に性能面で並ぶものでもあったのです。

 しかし、製造は僅か69組。電気式TE3の1/100に過ぎません。そして不都合も多かったのか?廃車も早く、1973年から1979年の間で長く見ても18年の生涯。
 そのうえ、以後の液体式での量産形式もありませんでした。
 ソ連においても電気式と液体式の勝負は、前者の圧倒的優位に決着がついてしまったのでした。

 なお、TG102量産以降にもTG300(1961年)やTG400(1962年)という西独製の試作機も輸入しています。西ドイツのV200やV320に相当するもので、軽量がメリットだったそうで。もちろん今では黒歴史ですが(何処かに放置されてる可能性を否定できしきれないのもロシアなんですけどね)。






「ソ連の電機もアメリカンスタイル。1500両以上の量産機」 直流電気機関車VL22 (ВЛ22)

 1938-41/1946-1958年製造。製造1578両。
 足回りはC+C。電動機出力470kw×6。設計速度90km/h。

 アメリカンスタイルの直流電気機関車。日本人にも馴染みやすい印象なのは、車体がGE(車体はアルコ)製のED14に、足回りがWH製(車体はボールドウィン)のED10あたりに辺りに似ているからでしょうか。
 ちなみにVL22の前に製造されたVL19やSs型は更にアメリカっぽい形状だったりします。

 ソ連の鉄道電化は1928年にようやく始まりましたが、欧米はともかく日本よりも16年も遅れてのこと。逆に言えば或る程度完成された技術の中から「選び放題」だったのかもしれません。ドイツ・スイスやフランス流儀ではなく、アメリカ式を選んだ理由はよくわかりませんけど。
 なお、同じころの日本も本線用大型電機に関してはアメリカ流儀でいくことを本決めし、EF52やED16の量産に入ってました。
 
 VL22は戦前に37両が、戦後に1541両が製造されました。戦前のは一種の試作だったのでしょうか? 戦後の分は、電化区間がどんどん延びていくなかでの大投資だったのでしょう。この時代にこの両数の生産は他例がないはずです……。
 活躍区間はモスクワ近郊にはじまり、最終的にはシベリア鉄道のイルクーツクやスルジャンカ(バイカル湖畔)にまで至りました。この辺りは後に交流電化に変更されましたが、この間のジマ駅前に保存されたVL22は、かつてこの辺りが直流電化であったことを今に伝えています。
 廃車は1977年から1980年。まずまず長生きしたと云えるでしょう。




「車体は新世代、足回りは旧世代」 直流電気機関車 VL23 (ВЛ23)

 1956年試作。1958-1961年製造。製造489両。
 足回りはC+C。電動機出力470kw×6。設計速度100km/h。

 車体はぐっと近代的になりました。
 しかし、スペックに関しては先のVL22と大差ありません。更には台車周りもVL22とほとんど同じ(笑)でがっかり?感は相当なもの(笑)。
 日本で言うならEF15の足回りにEF60の車体を載せたような代物(或いは、ED10の足回りにED60の車体載せたようなもん?)…と言えるんでしょうか。旧世代と新世代の橋渡し……というのはちょいと力不足な感じです。
 1990年までに引退しています。

 すでに紹介済のVL8もそうなんですが、この時代のソ連電機はスカートが台車に固定されています。20年位前の関水金属のNゲージ電機のようですね(笑)。

(まだまだ続く)
posted by 西方快車 at 23:55| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

【第9日目の6 20090603】ペテルブルグ篇6(鉄道博物館3。西側から嫁いだ機関車の話とか)

 ソ連の機関車の資料としてはwikipedia露文版のほか、「写真で楽しむ世界の鉄道 ヨーロッパ編4(1965 交友社)」を活用しています。シリーズの中でもイギリスとソ連の鉄道を取り扱ったこの巻は特に売れなかったようで、1992年ころに書泉で「新品」で購入できたのでした。
 今でも古書での出回りはありますし、資料性が高い割には相場も低め(海外モノは不人気)ですので、入手の機会あればお勧めです。





 「シベリアに嫁いだ、フランスの御令嬢」F型 交流電気機関車

 1959-60年製造。フランスのアルストム社製。製造50両(T型40、P型10)。
 足回りはC−C。主電動機出力4740kw。設計速度100km/h(T型)/160km/h(P型)

 1960年代、冷戦下のソ連は西側からも機関車を輸入していました。フランス製のF型電機、西独製のK型電機等……。1950年代にはアメリカからの輸入予定もありましたが、流石にコレはお流れになっています。

 そういえば、日本からもサハリン向けにはD51とかキハ55タイプの気動車(帝国車両:1955頃)や客車(東急車輛:1975年頃)とかありました。東急車輛製の客車は国内で試運転までしながら、その輸出の事実が公表されたのがソビエト崩壊後という物凄い話も……。
 
 話をフランス機に戻せば、西独機とともにシベリア鉄道に発生した交流電化区間に投入するためのものでした。西側生まれなのに一番過酷な環境に投入されてしまった由。いや、苛酷な環境だからこそ実績のある西側製を導入したのかもしれません。
 ちなみに同時期の1959年、ソ連国内でも交流電機VL60(ВЛ60)形の量産が始まっています。西側からの助っ人は国産機に対する「保険」だったのでしょうか? 幸いにもソ連国産の交流電機は大成功を収め、VL60は2618両も製造され今なお多数が活躍する名機に……。
 一方で西側機は少数派(F型50、K型20両)のまま、少しづつ数を減らしていき1987年には最後の1両が廃車……それがここに保存されているF07号機というわけです。よくぞ残しておいてくれたものです!
(正確には、F型は1970年までに7両を除き廃車。K型は1978年までに全廃されたようです。異邦の花嫁たちは短命に終わりました)

 F07号はF型でも貨物用のT型でしたが、流れるようなスマートなフォルムは旅客用のP型と共通します(P型は前面窓隅が曲面ガラス。更にスマート!)。藍色のカラーリングもとてもお洒落……この姿は、シベリアではさぞかし華々しく見えたに違いありません。
 一方で屋根上に目を向けてみると、使用環境考慮してか高圧屋根上機器がカバーで覆われているのが印象的。スマートながら重装備、巧く両立しているではありませんか。





「未来的フォルムの果てに」交流電気機関車 Chs4(ЧС4)

 1967-72年製造。チェコスロバキアのシュコダ社製。製造280両?(初期機)
 足回りはC−C。主電動機出力5100kw。設計速度180km/h。

 Chs4Tという後継機が1972年以降に製造されてて、こっちはお世辞にも格好よくありません。角ばったボディが破綻しまくってます。

 <参考画像>

 しかし、その前身Chs4のスタイルはどうでしょう? 少しクセはありますけど、丸っこいボディに楕円のライトケース、大きな前面窓、角型ヘッドライトとデザイン上は不思議とまとまっています。
 先のフランス機が美形なら、こちらは個性と愛嬌で勝負といったところ。好対照です。
 ちなみに愛称は「水族館(アクアリウム)」。

 さて、この不思議なボディは「グラスファイバー製」と聞き更にびっくりです。電気機関車のボディをグラスファイバーで造ってしまうなんて大胆な発想、西側では出てくるものでしょうか? まぁEF62の屋根はFRPでしたけど。

 そして、その試作機S699はは更に大胆なスタイル。
 (ただし、チェコ国内向けで1435mm軌間向け)
http://www.parostroj.net/vozidla/S699/S699.htm
 小松崎茂がデザインしたんじゃないかって位に未来志向が炸裂しきってますね。あまりにも大胆で現実を見ていない姿は清清しいほど、というか、模型や図面見せられても存在を信じる気になれないでしょう。
 実は1960年代後半の鉄道ピクトリアルでイラスト見たことあるんですが(古本屋の立ち読みのため手許にないのが遺憾)、「まさかこの形で作ったわけじゃないだろ?」と思ってた位。
 こんなS699をChs4は巧く「現実」に落とし込んだと云えるでしょう。

 この愛嬌あるChS4も先述のように、1972年からは角ばった車体のChS4Tに移行。
 そして、残るChS4もグラスファイバー製ボディに無理がきたため、1999〜2007年にかけて48両?が新規ボディに更新、ChS4Tのほど醜くはないものの、今風の大人しい姿になってしまいました。

 残る200両ほどは未だ原形とどめているのか、或いは既に廃車されているのか……。少なくともシベリア鉄道の交流電化区間では姿を見ませんでしたが、どこか人知れぬ地方で活躍続けているのでしょうか?




 試作と思われる3軸ボギー台車の無蓋貨車。現在見られる無蓋車はすべて通常の2軸ボギーですから、輸送単位の増大を狙った試作が、試作に終わってしまったものと思われます。同じ頃の日本国鉄も、同じような失敗やらかしてましたね。
 ちなみに試作車では、2軸ボギー複式(2-2 2-2)という無蓋車も存在したそうです。


 鉱石車? ロシアの貨車にしては小柄です。積載物の比重が重いのでこんなスタイルなんでしょうか。このタイプの車は尋常に見かけるものでした。


 木造の無蓋車。流石に現役車はいないものと思われます。ただし、木造有蓋車は未だ見かけましたが。
 日本では木造有蓋車がなくなった後も木造無蓋車は見られましたので、淘汰順が逆ですね。
 ロシアでは無蓋車に石炭積むような負荷が高い使い方してますから、木造だと「もたない」のかもしれません。


 展示場を振り返って。


 「旧世代と新世代の橋渡し?」直流電気機関車 VL8(ВЛ8)

 1953-67年製造。製造1724両(1724組)
 足回りは(B+B)+(B+B)で二車体。主電動機出力470kw×8。設計速度100km/h。

 貨物用の大型2車体電機。
 ところで、日本・欧州ともに1950〜60年頃に電機機関車は旧世代から新世代に移っています。旧世代機は「とにかく台車で強度を確保。車体はただの機器収容箱」という造りなのに対し新世代機は「車体で強度を確保。台車はモーターを結わえるただの一装置。早い話が電車と同じ」という感じ。この移行は日本でのEF15やEF58から、EF60・EF61などへの流れが一番分かりやすいでしょうね。
 で、ソ連も例外なくこの移行を経験しています。先のChs1やChs4は明らかに新世代機、そして後で紹介する機関車には如何にもな旧世代機があります。

 このVL8は台車で強度を確保した旧世代機なのですが、後継のVL10の製作後も1967年まで製造されてしまいました。日本で言えばEF15辺りが昭和43年まで製造されてしまったと言えばいいのでしょうか? ただ、高速性能は優先されず頑丈で力強さが要求される貨物機なら、旧世代の作りでも差し障りは無かったのでしょう。
 1700組以上も作られた量産形式ゆえ、今も一部が健在のようです。

 スタイリングに関しては好みが分かれるでしょうね。ソ連・ロシアの新世代機は例外なく足回りを短めのスカートで覆った姿で腰が低く見えるのですが、旧世代機は異常なまでに腰高ですから。
 個人的には、新世代機の腰の低さのほうが好みなんです……。







「ソ連初の、本格・本線用」ディーゼル機関車 TE2(ТЭ2)

 1948-55年製造。製造528組(264組?)
 二車体、足回りは(B-B)+(B-B)。1000馬力×2。主電動機152kw×8。設計速度93km/h。

 この機関車の前部に掲げられた最低の独裁者の時代を肯定したくは無いのですけど(苦笑)、二次大戦後間もない1948年にディーゼル機関車の標準化・量産を果たしたのは流石です。当時、日本はともかく欧州各国でもディーゼル機関車の開発は手間取っていたはず。
 このクラスのディーゼル機関車を量産段階に持ってこれたのはアメリカとソ連だけでした。
 
 ただ、この図体でも1両だと1000馬力で600kwという出力はどんなもんやら。日本のDD50(1953)といい勝負……「必ず背中合わせの重連」という使用方法も含め、共通点は少なくないですね。
 また、車体の割に台車が貧弱なのも印象的です。主電動機が電車並みのものですから仕方ないのですけど。
 それでも、量産した思い切りは褒めてもいい。
 頑丈なのか持ちはよく、1978年に廃車開始、引退は1987年です。ここは早期に引退したDD50やDF50との差ですね。

 スタイルはこの機関車から始まるクセの強ーい前面4枚窓。ただし1948年という時代考えると物凄くモダーンな印象ではあったのでしょう。中央アジアやらモンゴルにまで、確実に新しい時代を伝えはしたはずです。
(最後に素朴な疑問なんですが、あの前面の肖像はフルシチョフ時代に外されたりしなかったんでしょうか?)








「TE2と同じ歳なのに古臭い」ディーゼル機関車 TE5(ТЭ5)

 1948年製造。製造2両。
 足回りはC-C。1000馬力。主電動機?×6。設計速度93km/h。
 
 試作機です。ですが、スタイルはどこか古臭い。とても、先のTE2と同じ歳とは思えません。
 形状から貨物・入換を想定していたんでしょうか。前後のボンネット内は冷却ファンのみ内蔵し、凸型の中央部に機関や発電機を搭載したものと思われますが、ここはユニークなレイアウトです。

 1992年に博物館入りした?ようなのですが、1992年まで現役だったとはちょっと思えません。保留機だったのでしょうか?
 でもこんな珍機でも価値あるものとして保存してくれる、ソ連・ロシアという国は懐が深いなぁとも思うのです。日本の黎明期のディーゼル機関車は殆どが喪われてしまいましたからねぇ。






「無難なスタイル?」ディーゼル機関車 TE1(ТЭ1)

 1947-50年製造。製造297両。
 足回りはC-C。1000馬力。主電動機?×6。設計速度93km/h。

 先のTE2に先駆けて…というより平行して製作された機関車。TE2が如何にも本線向けなら、こちらは支線・入換向けという設定なのでしょうか? 機関出力は同じですが、足回りは6軸で牽引力を優先したものと思われます。スタイリングは凄ーく平凡というか無難というか。アメリカの入換機を参考にした可能性は否定できませんが……。でも丸みを帯びた車体は、1947年製には思えないモダンさがあります(調べてみるまで1960年代くらいの機関車かと思ってた位)。
 1980年までに引退したようです。この博物館には色違いで2両収容。


 博物館はこんな形で本線につながっています。新規の収蔵も容易というわけですね。
 
(まだまだ続きます)
posted by 西方快車 at 21:14| Comment(2) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

【第9日目の5 20090603】ペテルブルグ篇5。(鉄道博物館2 量産機に試作機に…)

 平日昼間、ということであんまり人は居ませんでした。
 それにしても気になるのは空模様。だんだんと雲が濃くなってきてるんですけど……。
 ちなみに、博物館車両展示場は完全に野外です。いや、写真撮りやすくていいですね(天気がよければ)。

 とりあえず、所蔵車両は全部抑える!方針で撮っていくことに。
 先ずはホームに面して一列に並んだディーゼル機関車・電気機関車から。足回りが撮れないのは残念ですが、他に邪魔なものがないのはマシでしょう。

 なお、ほとんどの読者の方には馴染みのない形式ばかりと思いますので、可能な限り解説書いていくことにします。wikipedia(露文)のリンクも可能な限り張っておきます。
 なお、ロシア語>日本語の翻訳はgoogle翻訳が、かなりいい感じで使えます。筆者と一緒にロシア鉄道車両の深い世界にはまりましょう……。


 

 「世界一速い」旅客用ディーゼル機関車TEP80(ТЭП80)

 1990年製造(1988-89説も)。2両のみ製造の試作車?
 足回りは特異な1車体8軸(B・B−B・B)。6000馬力の電気式。主電動機出力は4552kw。
 設計速度は160km/h。そして試験上の最高速度は271km/h! 1993年に記録されたもので、あまり知られては居ませんが(筆者もはじめて知った)ディーゼル機関車の世界最高速度記録なんだとか。
 引退時期不明。博物館には2007年収蔵。
 
 スタイルはなかなかスマートで、西側でも通用しそうなものですね(独自のおへそライト除けば、西独製といわれても信じられる雰囲気)。スペックに関してもソ連末期って実は凄い時代だったんだなぁ…と唸らされずにいられません。
 ところで2両された、もう1両は今はどうしているのでしょうか?





「これも速い! ライバルは高速電車」ЧС200 直流電気機関車

 1975年製造。チェコスロバキアのシュコダ社製。製造2両(試作)+10両(量産)。
 足回りは2車体8軸(B−B+B−B)。主電動機出力1050kw×8。
 設計速度は220km/h。これまた大変な高速機関車です。モスクワ⇔レニングラード間への投入を意図したものでしたが、当時高速電車として有名なER200も同じく区間で製作・テストしていた由。高速化を機関車方式・電車方式の二系統で考えていたのでしょう。
 機関車方式の結果が良かったのか、1979年に量産機がまるでちがうスタイルで製造されています。こちらは今もモスクワ⇔ペテルブルグ(165/166列車「ネフスキー」)間で健在の模様。ライバルのER200は既に引退してますから、ロシアでは機関車方式が高速鉄道(200km/h級)の勝利者になったのですね。
 とはいえ、1形式数百両のオーダーが当たり前のロシアで試作含めて12両というのは少数派に過ぎ、かなり心細い勢力ではあります(エリート中のエリート、といえば格好いいのですけどねぇ)。

 この試作機に関してはお世辞にもスマートではないですが、量産機はもう少し西側的なスマートなスタイルになっています。






「かわいらしい。『ロシアのED58』」Chs1(ЧС1)

 1957-60年製造。チェコスロバキアのシュコダ社製。製造102両。
 足回りはB-B。主電動機出力2340kw。最高速度120km/h。

 今も多数が現役の「ロシアのEF58」ことChs2の前身といえますが、Chs2がC-Cの6軸機であるのに対してこちらはB-Bの4軸機です。強引に云うなら「ロシアのED58(カツミのHO模型)」「ロシアのED5100(定山渓鉄道→長野電鉄→越後交通)」ってところでしょうか。
 何か取りたてて欠陥がありそうな機関車には見えませんが、1980年代前半までに引退してしまいました。長生きしてるChs2とは対照的です。
 保存機はEF58 4試験塗装を思わせるグリーンの濃淡が可愛らしい。最終配置がシベリアのバラビンスクですから、この可憐な姿でシベリアの気候と戦っていたのでしょうか?


ロシアではこれでも多扉車「3ツ扉のエレクトリーチカ」直流電車ER10 

 ロシアの近郊電車エレクトリーチカは今も昔も2ツ扉車が主流ですが、少数ながら3ツ扉車も使われたようです。1961年製。8両固定編成(4M4T)で使われたそうですから、通勤輸送の改善に役立ったのでしょう。
 関係ないですが、通勤輸送の改善とばかりに中長距離に4ツ扉車濫用するどこかの国も困ったものです。

 この保存車の「赤」は珍しいですね。デビウ当時は(緑ではなく)この色だったのでしょうか?


「高速を狙ったものの…」ディーゼル機関車TE7(ТЭ7)

 1956-64年製造。製造113組。
 2車体で足回りは(C-C)+(C-C)。2000馬力×2。主電動機出力206kw×12。最高速度100km/h。
 2車体の電気式ディーゼル機関車で旅客用。貨物用のTE3の旅客列車向け高速バージョンとして140km/hの高速を狙った…そうですが、有耶無耶のうちに最高速度は100km/hに落とされてしまいました。
 製造113組は日本の感覚では多いような気がしますが、ほぼ同型の貨物用TE3は6800組以上が製造されてますから、ロシアでは少数派。それでも標準型の強みで、1990年代末までは現役だったらしいです。

 ソ連の本線用ディーゼル機関車はTE1(1948)からTE3、TE7と前面4枚窓の半流線型で造られ続けました。TE3の最終製造は1973年です!
 あの特徴的な形状は好み分かれるところでしょう。
 例えば、中国のDF3(東風3)はソ連TE3と共通するところ多いのですが(ソ中蜜月の、そーいう時代)、前面だけはまるで似ていません。中国人の美観感覚には適わなかったのでしょう(笑)。

 個人的には力強い印象なので嫌いではないのですけど……。少なくとも今のアメリカ国鉄(笑)旅客用機関車よりはずっとまともなスタイルでしょうから(笑)。



 

 操重車(クレーン車)。英語解説パネルのない展示もあります…。1939年製造。自重134トン、扱重45トン……と推測されます。
 緑の車体に赤いクレーンが良い意味でおもちゃ的でかわいらしいですね。

 かわいらしい?というとお次も相当なものですよ?







「かわいい?入換兼移動発電機」ディーゼル機関車 TGE(TΓЭ)

 かわいさを微妙に履き違えたようなちょっと困った姿のこの機関車。こんなセンスはバリバリ共産主義の許で……と思いきや、製造国は西側のオーストリア。
 1960年製造。両数不明(最低でも16両?)。小さく見えますが重量は48トン600馬力ですから日本だとボギー機の領域ですね。液体式で3軸駆動。
 なお、工事用の電源として使える300kwの発電機も搭載しています。駆動も電気式にすれば液体変速機要らないのに……と考えちゃいけないのでしょうか?






「逆テーパーが印象的」な量産入換用 ディーゼル機関車ChME3(ЧМЭ3)

 1964-91?年製造。チェコスロバキアのシュコダ社製造。製造両数不詳(数百両?)。
 足回りはC-C。1350馬力。電気式:主電動機出力不詳。最高速度95km/h。
 
 シベリア鉄道沿線でもよく見かけた、現役の量産入替機の1号機。どうってことのない平凡なディーゼル機関車です。エンジンと発電機と冷却ファンを適当にレイアウトすると、ディーゼル機関車は必然的この形に落ち着いてしまうんでしょうね。
 デザイン的には逆テーパが秀逸だと思います。個人的には好きな機関車のひとつ。
 塗りわけは現役機だと派手なのもありますが、やはり緑+警戒色が落ち着いてていいですね。





「初期の入替用」ディーゼル機関車 VME1

 1956年製造。ハンガリーのガンツ社製造。製造両数不詳(最低43両?)。
 足回りはB-B。600馬力。電気式:主電動機出力不詳。最高速度80km/h。

 ガンツはディーゼルの名門…なんですが、スタイルもスペックも冴えない印象です。先のChME3との時代差を大きく感じてしまいますが、1950年代末〜1960年代初頭はそれだけディーゼル機関車の進歩が早かった時代なんでしょう。
 1975-85年に引退した模様です。





「偉大なる量産機。その第一号」ディーゼル機関車 M62-1

 1964-1985年製造。製造両数3273両?(正確には不明)
 足回りはC-C。2000馬力。電気式:主電動機1472kw。最高速度100km/h。

 共産圏標準型…としか言いようのない標準機。モンゴルでも多々見かけました。北朝鮮で電気機関車に改造されているのも有名ですよね。東欧にもごろごろ。
 ここの保存機は現在使われているものに比べ、前面の装飾がシンプルかつライト形状が異なるため、まるで別の形式に見えます。そこそこ美形だとは思うんですが、数が多すぎると魅力が失せると思うのは気のせいでしょうか……。

 ところで、後ろに見えるちょっと背の低く見える藍の機関車は何ぞや?
(続く。暫く…続く)
posted by 西方快車 at 22:45| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

【第9日目の4 20090603】ペテルブルグ篇4。地下鉄。鉄道博物館への道は遠し?(鉄道博物館1)

 今になって振り返ると、ペテルブルグでの行動って無駄が多すぎですね……。

 早朝5時に着く。1時間ほど駅でのんびり。
 市電に乗る・撮る。1時間は多分、無駄にした(笑)。
 そして(お目当ての)鉄道博物館の最寄駅に着いたのがやっと11時半。

 この種の博物館は10時には開くものですから、最寄駅に9時半に着いてりゃ合格。午後に訪問地を余計にひとつ稼げそうなものなんですけど……(あるいは地下鉄を複数系統乗り回すとか)。

 それはそうと、ノヴォチェルカスカヤからは地下鉄で移動。
 地下鉄はモスクワ同様の「深くて、豪華」「電車の形はほぼモスクワと同じ。ラインカラーの概念がなく、どの線も電車の色が同じ」、そして「どこか写真撮るのをためらわせる雰囲気」……ですので写真がないのはご勘弁を。

 で、サンクトペテルブルグ地下鉄のwikipediaの項目にはおどろおどろしい事書かれてますが、実際はどうなんでしょうか? 街に慣れて空気読めりゃ何とかなるかもしれませんが……。

 ちなみに帰国後知ったのですが、モスクワの地下鉄は写真撮影禁止ではないそうで。

モスクワ地下鉄公式・英語版に「フラッシュでの撮影は避けてください」との記載あり…フラッシュ未使用なら可と解釈できます。

 ペテルブルグの地下鉄に戻りますが、モスクワとの違いは以下。
「切符ではなく、コイン状のトークンを使用している。トークンは単能の自販機で買える」
「一部の駅では、『ホームドア』が存在する」
「似たような形の電車ながら、照明が白熱灯の車も健在。白熱灯車は(昔の銀座線のように)瞬間停電あり」

 
 ホームドアは予備知識なかったのでびっくりしました。ただ、如何にも社会主義体制下、すべてがイエスマン体制での代物なんだろうなぁとは思いましたが……。
 日本での採用例のようにATOとかで電車をぴったり止める技術的裏づけがあるとは思えませんので、電車とホームのドアがずれることあるでしょう。また、(日本のように)完璧な安全策がとられているとも思えません、ホームドアでは、電車とホームの間に人が取り残されたら非常に危険!です。
 そして、ドア自体がエレベータのドアのような窓なしの鉄扉! 閉塞感はかなりのもの。
 はっきり云って失敗作でしょうね……これ。

 さてさて。
 サンクトペテルブルグの鉄道博物館は日本での知名度が低いようです。ペテルブルグは他にも見るとこあるだろと云わんばかりに「地球の歩き方」からもハブられてます(苦笑)。

 そこで、以下の情報を頼りにしました。
「海外の鉄道風景集」:サンクトペテルブルクの鉄道博物館
 博物館所蔵車両の写真や解説もあります。そして博物館が元ワルシャワ駅の構内を利用したものとも。

 あと、英語の紹介サイトもみつけました。

 最寄は「地下鉄のフルンゼンスカヤ駅かバルチースカヤ駅」とのことですので、ロシア鉄道も接続してて少しは分かりやすいと思い、バルチースカヤで降車。

 ロシア鉄道のバルチースキー駅構内。立派で風情あるコンコース! (ペテルブルグの)モスクワ駅のように、正面はクラシックでも中は共産主義モダニズムっていうびんぼっちゃま的な落差がなく、すべてがクラシックな駅です、すばらしい。


 バルチースキー駅の外見。立派な駅舎なんですが、残念ながら?発着しているのはエレクトリーチカのみ。


 駅前で見かけた古い?ラーダ。角ライトや4灯はよく見かけましたが、流石に初期型?の2灯は滅多に見かけず。


 古いロシアセダン。後のベンツもどきと違ってスタイルが整ってます!

 最寄り駅には着きましたが、案内看板も案内地図もありません(期待した自分がバカ)。英語で「レイルウェイミュージアム」で通じるとも思えず……あてずっぽうで探さざるを得ません。
 まずはバルチースキー駅から西側(中心部から離れる方)に歩いてみました。

 15分ほど歩いた先の景色が以下。



 怪しげな線路……。
 レールが見えたときには「鉄道博物館近し?」とか思ったのですが、どう考えても博物館というより「トワイライトゾーン」的なへろへろ線路。これはこれで味のある情景ではありますが、鉄道博物館というご馳走の前ではタダの時間の無駄?でした。

 流石に間違いを確信し、バルチースキー駅に戻ります。
 今度は東側(中心部に向かう方)へと、駅前の大通り(アブヴォードヌィ?)を進んでみます。
 
 こっちが正解でした。
10分も歩かないうち、バルチースキー駅と同じサイドにかつてのワルシャワ駅々舎が見えてきます。あの裏に目指す鉄道博物館があるはず……。

 ……柵越しに見える至宝の車両群! そして小さな事務所(窓口)が見えてきました。ちなみに休館日の情報なしに来ましたので、「ここまできて、今日休みだったらどうしよう……」という不安も今更ながら膨らむのですが。


 鉄道博物館の窓口。解読する限り……開館は11時から17時半まで(入場17時まで)。
 月曜火曜が休館日
のようです。ちなみにこの日、6月3日は水曜日でした(ほっ)。


 入場料金等の詳細。すいません、ここまで訳す気力ありません。行かれる方は自力で解読されたし……。自分は150P(¥500位)払いました、多分西側外国人料金?


 いよいよ入場!

=========================================


 以下余談です。

 ロシアの鉄道博物館は他にもノボシビルスクにある模様。

ブログ【サイベリアンドリーム】:シベリア鉄道博物館より。
 同上、写真。

 あと、海外鉄道写真の投稿サイト
http://www.railfaneurope.net/
 によれば、モスクワ(近郊?)にもあるとのこと。
http://www.railfaneurope.net/pix/ru/steam/P/pix.html
 蒸気機関車Π(P)型のページ。「at Moscow railway museum at Rizhsky Vokzal」のような記載あり。

【追記】
 モスクワの鉄道博物館はリガ駅構内にあるそうです。車両40両ですからそこそこの規模。
http://www.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/musei/mus30.html


 他に、シベリア鉄道沿線で記録したような駅構内保存の蒸機・電機もあります。半ば放置の保管車やら非公開のもの(絶対にあるはず!)も鑑みれば、ロシアの保存車両の世界は相当に深い深い森ではないでしょうか?
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(2) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

【第9日目の3 20090603】ペテルブルグ篇3。市電その2。連接車や連結?車

 さて。
 ペテルブルグの市電の現行車両は世代的に3種類あると推測されます。

1:角ばった丸ライトの電車。菱形パンタグラフ
2:角ばった角ライトの電車。Zパンタ
3:丸みの強い新型電車。Zパンタ。台車にはカバーあり。

 他のタイプはとりあえず確認できませんでした。

 車両形状的には以下に大別されます。
A:ボギー車
B:2車体連接車
C:2車体「連結車」

 「連結車」はボギー車が片方にしか台車のないトレーラを引っ張る固定編成で、強いて言えば連接車の仲間というべきでしょう。この街特有のものでしょうか? 少なくとも古今東西で類例する電車は聞いたことがありません……しいてあげれば、3車体連接になりますが国鉄キハ391が該当するでしょうか。



 
 「連結車」はこんなの。後部車の台車位置に注目! メリットは後部車の重量の半分が前部車に掛かることで粘着力が確保できること……と推測されますが、さて?

 転回場での撮影も一段落ついてきたので場所を変えます。というより、さすがに重苦しい空の下でソ連的アパートに囲まれていると気がめいってきそう……。
 またアレクサンドルネフスキーに戻り、小奇麗な並木沿いを狙ってみます。


 普通の連接車。


 背景の建物変わると印象が違うものですね……。左のは電停を示す標識。電車がきちんと片運転台で描かれています。

 ここで何カットか撮り、お次はノボチェルカスカヤの交差点に移動し、中心部っぽいところを抑えます。

 上にかかるのはロシア国旗。国旗イメージしたモニュメント、電車の前ガラスにもロシア国旗……。


 同じ場所にて。新型のトロリーバス。なかなかスマートな形状であり、明らかに電車より優遇?されています。


 中心部といえど、レールはへなへな。そして石畳もバラストも見当たらない軌道……。但し、並木が整っているので見栄えはしますが。
 ボロボロかつ安普請な市電でも「情が移る」ような魅力があるのは、並木とか背景の建物のおかげかもしれません。


 「連結車」のドア側。前部車のセンタードアが「ワイドドア」として機能します。


 「連結車」の後ろ。


 賑やかな交差点。左の地下道は地下鉄駅へ。


 電車の中からみかけた看板。ほうき掲げた?魔女。どことなくロシア風のアレンジですよね。
 
posted by 西方快車 at 22:09| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月16日

【第9日目の2 20090603】ペテルブルグ篇2。市電を求めて。ボロ電車にも情が移る…?

 とりあえず、ガイドブックの地図頼りに市電が走ってそうなところを目指します。アレクサンドルネフスキー橋付近で#7、#65系統が拾えそうと分かったので1kmくらい歩きます。
 ペテルブルグの街は割と「緊張感」がなく、デジイチ(但し普及機)下げてても問題ない雰囲気なのは助かります……。


 途中でみかけたトロリーバス。かなりのボロ車ですが現役。屋上機器のカバーは欠損してるわ、車体は歪だらけだわ……。車内は運転席と客室を完全に仕切っているのがユニーク。


 古風な街並みの奥にエントツ控えているのがやっぱりロシアって感じがします。


 ホテル・モスクワ前にて。ハマーベースのロングリムジンがロシアにもあるとは……。成金の乗用車ではなく、結婚式用と思われますが、こんなところは西側化してますね。


 こんな車が数台並んでました。


 アメリカ・日本(東京)で御なじみのオープンバス、こんなのも今のロシアにはあるんですね。
 でも、こんな寒い日に乗りたくない乗り物(笑)。それこそ冬はどうするんでしょ(耐寒バス?)。
 で、川沿いの電車道が見えてきました。


 正教寺院をバックに、いよいよ電車のお出まし。
 サンクトペテルブルグもモスクワ同様、片運転台で片側ドアの車です。この車の集電装置は菱形パンタ。


 ネヴァ川沿いをゆく。ちょうど川沿いに転回場があります。この車はビューゲル風のZパンタ。

 ペテルブルグ市電は、話に聞いていたとおりの角ばってて造りも安っぽい、如何にも共産主義「末期」色の強い、お世辞にもカッコいいとはいえない代物。
 でも、電車である以上は趣味対象であることに違いはありません。そして、何枚も写真撮っているうちにだんだん情が移ってくるのが不思議です。


 そんな風にそろそろ情が移ってくるか来ないかの頃にやってきたのは、最新型?と思しき丸みの強いスマートな?電車。この電車は素直にカッコいい! 西側に追いついたデザイン!! 
 でも、ン年後にはボロくなっていそうで不安ですけど。使用環境が苛酷な割に、車体が華奢すぎるんですよ!!


 新型が気に入ったので乗車してみました。
 運賃は確か30P(¥95位)。ロシアの物価からするとちょっと高いですね。一日券の類もないですし。
 モスクワは乗車券を事前購入ですが、ペテルブルグは車内で切符(ボローい紙片。回収されないので手持ちあり、近日公開)を販売します。当然ツーメン(云うまでもなく、車掌・運転士とも女性率は高し)。

 ステップ3段のノン・バリアフリー。どことなく安っぽい内装は新型といえども……。でも座席に部分的にもモケット張っているのは褒めてもいいことかと(古い電車にそんなものはない)。左手のピンクの椅子は車掌席?

 走り出してみると、乗り心地も期待通り……派手で賑やかな(苦笑)、スマートさとは程遠い感じ。加速とかもそんなによくありません(日本の路面電車に比べて)。


 ネヴァ川を渡り、10分くらい走ると転回場が見えてきました。あんまり長く乗っていると何処まで連れて行かれるか分からないので、その次の転回場が見えたら降りることを決めます。
 景色は街から郊外へと移っていきます。瀟洒な街並みも消え、だんだん無機的なアパート群が立ち並ぶようにも……。アパートも途切れ途切れになってきたところで二つ目の転回場。終点まで乗りたい誘惑を抑え、降りてしまいました。


 右のが乗ってきた新型車。左のが別系統の連接車。

 へろへろ〜な軌道にへろへろ〜な架線。
 併用軌道というより、道路の真ん中に専用軌道がある感じ。勿論この状態では線路に入ってくる命知らずの?車はいないでしょう(笑)。雑草茂りメンテはお世辞にもよくありません。間違っても最近西側で流行の?緑化軌道(日本だと鹿児島市電)という洒落た代物ではありません(笑)。
 唯一褒めたいのは、立派な並木。


 電車の停留所表示。ここはスタンド式の表示もありますが、市内の多くは架線からぶら下げた表示のみです(写真左上のような感じ)。系統番号が明記されているので、なんとか迷わずに乗れる感じです。
 ちなみに系統図の掲示は街中の何処にもありません……。
 あと、帰国後ネット探しても見つかりませんでした。
 未だにペテルブルグ市電の全容が分からないままです…。


 連接車。塗分けパターンは「適当」という感じで統一されていません。運転台のカーテンがすっごくロシア趣味ですが、担当運転士の「趣味」なんでしょうか? なお1両目連結部付近の窓なし部分は機器室です。床上に機器室設けられる「ゆとりある」設計なんて、西側の低床電車のエンジニア(パズルのように機器を詰め込まなきゃいけない!)から見りゃ夢のような話でしょう。


 振り返って転回場。三世代?の電車が並びます。多分、左から古い順でしょう……。色の青・赤も特に区別区分はない模様。それにしても一番左の電車の垂れ下がりが酷い。
 

 本線から転回場へのアプローチ。平面クロスありの楽しい線形。


 青い連接車。


 ベンツマークつき! あの会社・グループは鉄道車両部門は持ってないよな、とかそーいう問題以前のような(笑)。この電車がブツけて勝った成金からの戦利品を掲げているんじゃないかと勝手に推測してますが…?


 青いボギー車。
 背景のアパートもいい感じでソ連チック。


 草生した転回場をゆく。なお、本線から方向かえるだけではなくて、転回場の中だけでグルグルと模型のように走り続けられるような配線にもなっています(そんな使い方してるところは見ませんでしたが)。


 転回場から本線への出走待ち。


 転回場に入ってきた新型電車。


 左の韓国系?乗用車さえ居なけりゃ、ソ連時代といっても通じそうな雰囲気(笑)。

 よく見ると、転回場の線路には石畳の跡がみえます。
 古きよき時代?には、本線も転回場もすべて石畳だったのでしょうか……? 現状からすると気が遠くなりそうですが、ロシア以外では石畳orコンクリの方が当たり前なんですよねぇ。


 出庫。平面クロスを渡る。

 そんなわけで、次回も市電編が続きます。
posted by 西方快車 at 23:54| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

【第9日目の1 20090603】ペテルブルグ篇1。モスクワ駅とか。

 先のエントリで記し忘れてました。MECT36の寝台幅は上下とも600mmです。日本の開放B寝台が700mmですからちょっと狭いのですが特に狭いと感じるほどではありません。車両自体が新しいということ、絨毯やカーテンなどインテリアが上質ということで、開放Bよりずっと気持ちの良い車です。

 さて。
 56列車は早朝5時過ぎにペテルブルグ着……。4時40分には起きて身支度しなけりゃいけません。感覚としては大昔あった東京〜名古屋とか、上野〜仙台の寝台車のような感じでしょうか。シベリア横断の長距離列車の「生活」する感じに比べりゃ身近なものさえ感じさせます。
 で、ひとついえるのは「この距離なら二等寝台(クペ)で十分」ってこと。体調悪くなければ多分三等寝台でも大丈夫だったでしょう。いや、日本だったら座席夜行で過ごしちゃうような距離・時間ですからね。
 
 到着して下車しての第一印象は「寒い!」。モスクワの暑さと比べるとまるで別の国。

 
 ホーム。屋根がどうやって支えられているのか不思議なつくり。柱が全くありません。


 行き止まり。ピンクの建屋がモスクワ駅々舎、結構大きいです。駅舎とホームの間に広場があるのはロシア流儀なんでしょうか。開放的で気持ちよいんですが、雨や雪の日は大変そう。


 乗ってきた列車を振り返って。分かりにくいのですが、客車の床下2箇所づつ赤灯が点いています(何かの警告?)。あと、やっぱりChs2Tはブサイク…。架線柱がやたらゴツいのは、これがホーム屋根を吊るしているためだから。合理的というか大胆というか。


 乗ってきた客車。MECT36新型。機関車との連結を解いているところ。作業員が私服ノーヘルという姿なのが日本から見ると違和感ありますね。但し蛍光ジャケットで安全性は高そうですが。

 とりあえず……時間つぶしです。まず、トイレが無料かつ綺麗なのは助かりました(笑)。


 駅での時間つぶしの基本はやっぱり「鉄」。56列車に続いてやってきた64列車。このあとモスクワからの列車が8本位続くはず。


 こちらもモスクワからの26列車。ネオン状の愛称・行き先表示が格好いい!


 おなじみ?エレクトリーチカ。こぎれいな新車ですが、保守的な?グリーンの車体ばかり。
 ちなみに、エレクトリーチカ乗り継ぎでモスクワ〜ペテルブルグ間の移動が可能だとか。挑戦された「勇者」はいらっしゃいませんか?


 駅舎に入り、コンコース内。ここはモスクワのペテルブルグ駅と類似したつくり。シンプルなモダニズム。


 コンコースに掲げられた大路線図。


 エントランス部が古風なのもモスクワと共通。アーチが綺麗。壁には電光時刻表。


 シャンデリアも点る、どこか優雅な空間です。少し前までの阪急梅田駅を思い出しましたが(笑)、あっちに比べて装飾控えめで趣味もよく、広告の類がないのも好感。


 表に出るとこんな感じ。モスクワに比べるとどこかこじんまりとした佇まいです。
 駅周辺の雰囲気が(治安的に)良いのも印象的。モスクワの駅前の居心地の悪さがありません。


 駅前通り。小奇麗で古風、そして上品。写真たくさん出てきますが、ペテルブルグの街並みはずーーーーとこんな感じです。


 タクシーその1。ロシアのベンツもどき高級車? 但しデザインは微妙に破綻してますし(ボンネット長すぎでバランスが悪い)、車体裾のサビからみるように造りも粗雑。


 タクシーその2。大衆車ながら元がイタリアンデザインのラーダは破綻がなくカッコいい。ルーフキャリアもおしゃれに見えます。でもフロントグリルの半分は欠落してますが。


 タクシーその3。ロシアリンカーン(勝手に命名)。先のロシアベンツの先の型と推測しますがさて? フロントグリルの上、ボンネット蓋が分厚いので無駄に重苦しい印象に陥ってます。自動車に関してはまだまだソ連の悪いところ引きずってしまってますね、この国は。

 とりあえず、市電のるために駅前を離れます。時間はあるのでノンビリ歩きつつ、街並み綺麗なのでそれもまた楽し。まぁ、バスに乗るとどこ連れて行かれるのか分からないリスクが高いので歩くしかないんですが(苦笑)。


 この街でもトロリーバス健在なり。


 雰囲気のある古ビル。モスクワの中心部も綺麗な街並みでしたが、ペテルブルグはそれに輪をかけてよくなる感じです。


 ロシア版「ひぐらしのく頃に」? シベリア辺りに雛見沢みたいなところあったらいろんな意味で死にそうですよ。

 それにしても寒い。街を行く人の格好がモスクワとまるで違うのは印象的でした。あっちじゃ肌さらして道行く人も多々なのに、こっちは皆上着着こんでますから。
posted by 西方快車 at 22:05| Comment(2) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

【第8日目の4 20090602】モスクワ篇6。レニングラード駅と、ペテルブルグ行56列車の驚異のサービス!

 市電撮って地下鉄で2駅。昨日降り立ったところのコモスモーリスカヤ(レニングラード・ヤロスラベリ駅前)へ。19時40分頃。
 サンクトペテルブルグに向かう56列車が20時20分発。日本の感覚ならば余裕たっぷりですね(笑)。

 問題の体調はだいぶマシになってはきましたが、まだ回復には至っていません。普段使いの小型トランク一つしか持っていないのに、妙に荷物が重く感じる辺りは微妙にヤバげ。あと、朝食以来何も口にする気がしないというのもヤバい状況ではあるんですが。
 「(汽車に)乗るなら呑む」な私で、乗る前には酒やら食料やら買い込む習性があるのに、ぜんぜん売店へ足が向きません。というか食べ物と酒見るのがイヤという感じ。


 レニングラード駅の裏手。売店群というより小さな市という感じ、混沌とした雰囲気も含め。体調さえ良ければ酒とか食い物とか買い物楽しそうなんですけど。

 ただ、モスクワにも少しは慣れて精神的な余裕はできてきて、昨日はカメラ出す気になれなかった駅周辺も撮っておきます。でも中心部に比べるとやはり治安はヤバげな感じで緊張感は解けないのですが。


 レニングラード駅。その名前の街は改名されて久しいのに、駅名はレニングラードのまま(笑)。立派な建物なんですが、よくよく見ると裏手は安っぽい増築に見えます。


 レニングラード駅とヤラスラベリ駅の間にある地下鉄コモスモーリスカヤ駅。立派な立派な建物ですが、残念ながら出口専用。入り口を迷わずに探せる人、居るのかしら?


 レニングラード駅の向かいにあるキエフ駅。


 キエフ駅の、奥にみえる「スターリンゴシック」は何でしょうか?

 治安というと、一応駅構内は撮影禁止らしく(正確には不明で、解禁されてるという話もあります)、変に気を使わなければならないのが何とも。一度オバハン駅員に注意されましたけど、笑って誤魔化しました。
(余談ですが、この手が通用しない国がありました。それがロシアでも中国でもなくて、寧ろその辺の国と対立してる某大国というのが何ともかんとも。あんな国、滅びりゃいいのにと思いますが、その時は日本も道ずれだよなぁ…多分)


 レニングラード駅のエントランス。入ってすぐに切符売り場。奥に待合室、その奥に頭端式のホーム。


 切符売り場の時計。如何にも社会主義芸術的デザイン……と云いたいところですが、冷静に考えると普通にモダニズム寄りなアールデコ系のデザインですね(笑)。


 左が発車時刻表。右が到着時刻表。


 切符売り場。列は短めなんですが、1件1件に処理時間が掛かるので効率はお世辞にもよくありません。あとフォーク並びという概念はロシアには(あと中国にも)未だ無いようです。
 ここのインテリアは典雅なエントランスとは異質です。物凄く構成主義的というか「正しい」モダニズム炸裂というか。ただ、広告の類が無いのですっきりしていることは褒めたいところ。そんなところも含めてソ連が保存されてるような感さえ。


 待合室。左右に小奇麗な売店やカフェが展開し、ここは西欧的雰囲気。ただ、天井の造作はやっぱりソ連的。


 待合室からホーム方向を見る。日本なら改札がありそうなところです。
 ロシアの鉄道がヨーロッパ流儀だと思うのは、ホームを改札などで立ち入り制限していないこと。地方の駅は分かりませんが、少なくともモスクワやペテルブルグはオープンです。
 ……列車別改札という前時代的(且つ鉄道趣味者に優しくない)習慣は中国とアメリカの共通点かも。


 ホームの終端。車止めが極めて簡素なことに驚かされます……日本なら大掛かりな衝撃吸収装置か砂利盛がありそうなものですが。しかも客車はかなりギリギリまで推進運転で入ってきてます。機関士と誘導手の高い技量が伺えます……ミスったらドカンですからねぇ。

 ちなみに構内に対して、ホームではカメラ構えててもあんまり煩いこと云われない印象。ただ、コンパクトデジカメでの撮影に徹してます。小型カメラのほうがスパイみたいで印象良くないと思うんですけどねぇ……。


 肝心のC-ペテルブルグ行56列車。20:20発。「名無しの普通急行」にふさわしい?新旧の客車ごちゃ混ぜに繋いだ編成。ただし、色は見事にコミュニスト・グリーン一色。個人的には嫌いじゃないです。


 先頭部へ。直流電気機関車はChs2T(1974年ごろ?製造)。どう考えても当時の政治や経済体制の如く破綻した造形の機関車ですが、見慣れてくると違和感が薄れてくるのが不思議(笑)。
 よくよく見ると、ホームの屋根とコンクリ製架線柱もソ連構成主義的スタイル。必見。


 窓に飾られた花。食堂車以外の車でも飾られています。分厚いカーテンとともにロシアの美風ですね。

 改札は乗車時に。パスポートチェック(国内なのに全乗客へ実施。ああダメ国家…)もあるので時間は掛かり気味。幸いにも?乗車したクペ(MECT36.二等寝台)のは新型車でした♪
 基本的に宿も客車も古いのが好きな私ですが……このロシアの新型寝台車に関しては、素直に「いいなぁ」と思えました。まず欧州の新型車の如く小奇麗なこと。古い客車にはあった設備が、新型だと省略されたなんてことがないこと(日本だとありますよねぇ。冷水機とか)。もちろん、通路も個室も絨毯でカーテンは横引プリーツ。期待が膨らみます。


 通路。LED表示付き! 照明は白熱灯色で落ち着いています。絨毯やカーテンの趣味もモダーンで良い感じ(写真で見る限り「赤い矢」辺りはかなり派手なんで、良い意味で差別化されてますかね?)。

 さて、指定された部屋に向かうと……。
 予備知識では「今のロシアでは男女相部屋になることはない」と聞いてました。実際、発券時にパスポート見てるわけですから男女別部屋にするのは容易なはず。
 されど、部屋に既に乗り込んでいたのは若いカップルと、若い女性の1人旅。もちろん、皆(スラブ系の)ロシア人。とはいえドキドキしたのはこちらだけで、向こうはそんなの気に留める様子もないのは幸い。思えば、男女別部屋はどうかとか考えるのは、北国の強い女性たちに対して、はなただ失礼な考えなのかもしれません。
 あとカップルの方の女性が英語出来たので、彼女が通訳してくれ、かなり友好的に盛り上がることもできました。こちらが中国から列車で来たというと、それだけで話の種になるってものです。


 個室内。ペテルブルグ到着後に撮影したため散らかってるのはご容赦を。
 下段は左がセットした状態で、右が座席状態。座席の背を手前に倒して寝台に切り替えるというこの種の寝台車としては理想的な様式です(日本のオハネ14系700番台カルテットと同じ)。
 座席のすわり心地はそこそこ良好。寝台車のレベルとしては中国の一般的な軟臥とか日本の開放B寝台と近いのですが、なんか快適さが段違い。良い意味で欧州の洗礼を受けてるんですね。
 ただ、いいとこ尽くめのこの車も冷房の設備はありません(笑)。扇風機も無いので(ただし窓は開く)真夏にはちょっと乗りたくないです。
 あと、消灯前にはラジオ流しているのが昔風。内容は今風のポップスでしたけど。

 気がついたら列車は動き出していました。更にサプライズがやってきます。


 アメニティキットの配布!


 中身。無駄に豪華。国際線の飛行機でサービスで定評のあるキャリア(CXとかSQとか)でも此処までのものは呉れなくなりましたからね(笑)。紙スリッパ・歯磨き歯ブラシ・スポンジ・石鹸・櫛・靴べら・ペーパータオル。全てロシア鉄道マーク入り。石鹸の包み紙はご愛嬌(0系新幹線未だ健在也!)


 そして、車内食の配布! 一部の列車(それこそ赤い矢とかグランドエクスプレスとか…)では運賃に食事が込みになってるとは聞いてましたが、こんな無名の急行でもこんなサービスがあるとは……!!
 メインと付属品のパックのセット。付属品パックの絵はきちんと今度投入されるICE3(サプサン)になってます……今後は0系新幹線を駆逐していくのでしょうか?


 ただし、期待させといて中身はショボい。そして、見た目だけでなくマズいのも閉口。茶色いのはカーシャという麦粥なんですが、味がなくボロボロ(機内食の塩と胡椒は捨てずに持って帰るべきです。こーいう時重宝します)。
 ちなみに日本人だから口に合わなかったということではなく、同室者も残してました……というか完食したのは自分だけ(笑)。ちなみにカーシャの名誉のために記せば、翌日の昼にヨーリキパーリキで食べたのは美味しかったと。無理して粥出すより、普通に黒パンとバター&ジャムでも呉れた方がいいような気がしますがどんなものやら。

 食べ終わった頃に「この列車は素晴らしいレストランです。皆様、ごゆっくりご賞味ください」みたいな放送が流れたようで、同室者一同が大笑いしてました。私も意味を教えてもらい、大笑い。
 でも、まずいなりに、体調悪くても食べ切れたのは良かったのかもしれません。朝からすれば夢のような回復なんですから。


 付属パックの中身。ジャムとバター。ビスケット。チョコウェハース。インスタントコーヒーと紅茶1パックづつ。ミルクとシュガー。ナプキン。プラ製のフォークとナイフ。
 他にペットボトルの水1本(もちろんガス入の方。ただし、ボトルの厚さからするに安物)。
 なお、コーヒーや紅茶用にカップは車掌に申し出ると貸してくれるようです。同室者は借りてましたが、金属製の枠の付いたガラス器で思わず小田急ロマンスカー思い出したり。

 翌朝5時に着く列車ということもあり、消灯は早々と22時前に。普段なら「早すぎ!」と思うところですが、微妙に残る熱と頭痛のおかげであっさり眠ることが出来たのは幸いでした。
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(2) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

【第8日目の3 20090602】モスクワ篇5。広告電車に新型車に旧型車、モスクワの市電

 3時間ほどの空き時間はカメラ電池切れで昨日撮れなかった市電の再訪に充てました。
 本格的に乗り鉄撮り鉄する余裕(時間・気力・体力)は全くなかったため、地下鉄との接続の便がよいチーストゥィエ・プルデゥイ駅周辺での1区間の乗車と撮影に留めましたが…。
 さすがに列車に乗るという動かしようのない予定が迫っている中で、どこまで連れて行かれるのか分からない電車に長く乗る度胸はありません。
(なにせモスクワ市電の全容というのがいまだによく分かりませんし)


 地下鉄チーストゥィエ・プルデゥイ駅。周辺に食品店などあり凄く便利。ここで市電に接続します。


 やってきたのはなんと広告電車! チーストゥィエ・プルデゥイ(池)の周辺をぐるぐる回る運用に入っていました。飽くまで広告用なので客扱いはしていません。派手ですが統一感があり、センスは良いと思います。


 台車。車輪が露出した台車にこの派手な塗りわけ。おもちゃの実物という風情。


 広告電車の後ろ。云うまでも無く片運転台・片側ドアです。


 次にやってきたのはおそらく最新型……。しかし微妙な最新型
 車体の中ほどが早くも「垂れ気味」なのはこの写真でも分かりますでしょうか? 共産主義の悪い時代というか最悪の時代の仕様が今に引き継がれて、如何にも寿命の短そうなダメ電車作ってしまっているように感じられるのです。
 そのうえ、この角度からは分かりませんが床はえらく高く、昨今の路面電車の低床化・バリアフリーとは無縁のダメダメ加減。まぁ旧型車の更新改造の可能性もありますが。
 乗ってみましたが、車内は凄くチープな造りで小汚いものでした。


 レールは溝つきレールです。


 渋滞が酷いため、電車がまともに走れない……の図。


 そこらの酒屋で見かけた面白い一品。カラシニコフなウオッカ。木箱入りのギフト用。お値段は8384ルーブルで¥27000位? どっかの国なら本物のカラシニコフ買えるような気がします(笑)。これ贈ったら喜びそうな友人の顔が浮かびましたけど、値段と重さ考えて断念。


 先ほどの広告電車が待機中。背後のビルの壁面は動植物のレリーフがあり、凄く社会主義的にお洒落な感じ。

 チーストゥィエ・プルデゥイ(池)。遊泳禁止のマークが凄く意味深。わざわざ掲げてるってことは、ここで泳ぐ奴が居るって意味なんでしょうか?


 市内至る所で見かけた日本料理のチェーン。看板の怪しさに突っ込んじゃいけません、多分。
 数年前に日本料理ブームがあったと聞きますが、今はブームから定着しちゃってる感はありますね。


 再び広告電車。こんな並木道走ってる姿はやはり様になります。


 もうちょっと待つと、今度は広告のない旧型車が来ました。
 少し古そうに見えますが、先ほどの新型車と違って車体の劣化がありません。きっと社会主義とか計画経済とやらがそこそこ巧くいっていると信じられてた時代に造られたのでしょう(憶測)。


 後ろ姿。片運転台の路面電車ならではの「最後尾のシート」には憧れますね(笑)。


 ドア側。床はやはり高め。


 池の周辺にあった成金っぽい建物。ただし、全体に造りがえらくチープでまるで日本の(以下略)。モスクワだと本物の古ビルがたくさんありますので、この手の擬似レトロは凄くチープに見えてしまうんですねぇ。
posted by 西方快車 at 23:57| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。