余談ですが、廃止されたと思しき昼行準急23/24列車は7時間22分(モスクワ12:30発、ペテルブルグ19:52着)というものでした。
参考までに、12月17日までのモスクワ発時刻を張っておきます。
024 モスクワ12:30 > ペテルブルグ19:52 所要7:22
160 モスクワ16:30 > ペテルブルグ22:00 所要5:30 アブローラ
166 モスクワ19:00 > ペテルブルグ23:30 所要4:30 ネフスキー
(※この他に夜行が多数)
午前中の列車が1本もないことと、速達便が夜に集中しているのが印象的です。
そして、12月18日からのモスクワ発時刻。
152 モスクワ06:45 > ペテルブルグ10:30 所要3:45 サプサン
156 モスクワ13:00 > ペテルブルグ17:15 所要4:15 サプサン
160 モスクワ16:30 > ペテルブルグ22:00 所要5:30 アブローラ
158 モスクワ19:00 > ペテルブルグ22:45 所要3:45 サプサン
166 モスクワ19:15 > ペテルブルグ23:30 所要4:15 ネフスキー
152列車は「革命的」ですね。モスクワ早朝に出て、ペテルブルグまでの日帰りが可能になったわけですから! この列車こそ、夜行中心のロシアの鉄道を変えて行きそうな予感がします。
閑話休題。
今回は伝統ある「アブローラ」の歴史と、或る200km/h客車の悲話を紹介します。
ネタ元は前回同様、
「забытые поезда россии (忘れ去られたロシアの列車)」
http://rt200.narod.ru/index.html
から。
●伝統の特急「アブローラ」(オーロラ)号
この列車は今はモスクワ⇔ペテルブルグ間に5時間30分を要しています。
しかし、所要時間が5時間を切っていたこともありました。
モスクワ⇔レニングラード間の高速化と昼行運転の第一歩がガンツのディーゼル動車でした。しかし、本命は通常の客車列車にあったようです。
1957年には、ТЭ7(TE7)形ディーゼル機関車が最高速度140km/hをだし、この区間を5時間54分で走らせることに成功。
1960年5月には上を受け、同ТЭ7牽引の昼行特急「アブローラ」が設定されました。所要時間6時間20分。ガンツのディーゼル動車に比べ、10分の短縮。また、それまでの最速客車列車は夜行「赤い矢」号で7時間55分を要していましたから1時間半もの短縮となりました。
昼行ですから客車=寝台車のロシアであってもこの列車は座席車仕様。2−2配置のソフトクラスでした。
(おそらくリクライニングシート。ER200同様の左右逆向けの、1方向け固定?)
1962年に同区間電化完成。「アブローラ」は牽引機をУС2(ChS2)とし、所要時間を5時間27分に短縮。
そして1965年、所要時間は4時間59分となりました。「アブローラ」の一番良かった時代。
その後ER200や「ネフスキーエクスプレス」によって「アブローラ」の地位は下がっていきます。今は途中2駅停車ですから、所要時間が延びてしまったのも已むを得ないのでしょう。
そして、サプサンへの置換えを待つ現在……。オーロラという愛称が何らかの形で引き継がれることを願いたいものです。
http://rt200.narod.ru/de.html
写真はこちら。
専用のツートンカラーの客車が鮮やかです。また、「ロシアのEF58」ことУС2のカラーリングが今と全く異なるのも注目。
●ロシアの「或る列車」? 高速客車РТ-200(RT200) 「ロシアントロイカ」
写真はこちら
http://rt200.narod.ru/photo.html
図面はこちら
http://rt200.narod.ru/draw.html
1960年代末(おそらく新幹線の影響を受けて?)、ソヴィエトでは更なる高速化のための検討を初めていました。従来の機関車や客車ではなく、革新的なものでの200km/hのオーバー。
その答えの一つが有名なЭР-200高速電車。1974年落成、1986年営業開始し2009年3月まで週1回の運行を行いました。
もうひとつの検討がУС200(ChS200)電気機関車と、その専用客車РТ-200(RT200)でした。
УС200電気機関車については既に記しましたが
http://seihoukaisya.seesaa.net/article/133548766.html
チェコスロバキアのシュコダ社製造で試作2両(1975)と10両の量産機(1979)。2車体8軸(B−B+B−B)で主電動機出力1050kw×8というもの。
この機関車自体は成功作であり、量産機は今もネフスキーエクスプレス牽引に活躍しています。
客車の方は以下の通り。
РТ-200系客車は1973年に9両が製造。うち1両がビュフェ車(それに加えて在来客車より電源車1両が改造)です。ЭР-200高速電車同様のアルミボディで空力を考慮した形状(不思議な台形断面)、そして高速向けエアサス台車。
テストを繰り返し、1975年には営業に入っています。レニングラード発13時ちょうどでモスクワ着18:43といいますから、5時間43分ということになります。
このときはУС200の完成が遅れたため、УС2Tが牽引していました。
命取りになったのは、この代用運用だったようです。ブレーキのコンプレッサの容量不足?のためかУС2Tによる牽引では客車6両に制限されてしまいました。高速運転時の制動距離にも問題があったようです。УС200に関しては高速パンタグラフの開発に難航していたようで、なかなか安定しませんでした。
1980年4月10日をもってРТ-200系客車の運用は終わったのでした。
皮肉なことに前後してУС200が量産開始されています……。
この辺の事情は元のサイトの訳文を読み返してもわからないのです。なぜУС200の量産を行ってしまったのか? 何故РТ-200系客車をУС200が安定するまで「温存」しておくことが出来なかったのか?
まぁ、特殊な車が敬遠されたのは想像できる話ですが。
РТ-200系客車はその後は放置荒廃し、少しづつ姿を消していったようです。最後の2両のうち1両はペテルブルグのフィンランド駅構内に留置。しかし2000年には消えてしまいました。
もう1両は、ペテルブルグの旧ワルシャワ駅に今も姿を留めているとか。鉄道博物館の隣ですから、何とか助けてやることはできないのでしょうか?
УС200は2001年より「ネフスキーエクスプレス」に使われるようになり、ようやく元来の性能を発揮できるようになりました。但し、サプサンへの置換えも控え、今後が気になるところです。
●最後に「或る電車」のこと
さて……サプサンの影にはもう一つVSM250(Сокол ソコル)が眠っています。
このまま終わってしまうのでしょうか?
ロシア語版wikipediaによると、2001−2002年のテストの結果、以下の欠点が指摘されたようですが……。
・台車枠の溶接部の強度不足
・ブレーキディスクの加熱(電気制動あるでしょうに?)
・パンタグラフが250km/hでの連続運転には耐えられない
・室内騒音が大きい
・断熱性能に劣る
等々。
ドイツ製のICEも急場凌ぎにはいいのですが、鉄道大国ロシアとして、独自技術の高速列車も見捨てないで欲しいものです。
ラベル:ロシアの車両