2009年06月14日

【第2日目の3 20090527】】いざ、K3次乗車。懸念事項の込み具合とか。


 K3次、モスクワ行の案内。その1。こうしてみると当たり前の風景。


 K3次、モスクワ行の案内。その2。待合室にて。


 改札(無愛想なのが難。ここは昔の中国らしい)を済ませ、コンコースより見下ろす。


 「赤じゅうたん(わたり板)のおもてなし」は高包に限らず全車共通。古風な号車札もふくめて国際列車の気分を盛り上げます。乗車するのは10号車、車号はRW19 551982。


 さて。
 K3次で朝の食糧調達のほかにもう一つ懸念してたのは「込み具合は如何なものか」ということ。高包は割とすいているような記録は読んでいたので、一人で一部屋使える程度には空いてるものかと思ってたのですが……車掌の案内でRW19に入って思ったのは「うわ、思ってたより混んでる……orz」。
 切符に明示され、最初に案内された10号車4番(II号室)には、怖そうな白人のオバちゃん(敢えてこう表現)が私と車掌を睨み付け、車掌に抗議してくる……。「東洋人の男性と一緒は嫌! 絶対に嫌!!」と云ってる様に聞こえましたよマジで。言葉は分かりませんけど。
 車掌は空かさず隣の部屋を示す。巨大なバックパックでソファを占有してるセルビア人青年が居る部屋です。そして上段を使えと指差す(自分の切符、下段指定なんだけど……)。

 この地点で、ちょっと欝になりました。いや、セルビア人の青年は良い人だと思いますし実際良い人でしたけど、モスクワまでこの乗車率だとちょっとヘコむってものです。白人ばかりだからみんなモスクワまで乗るのかな……。幾ら豪華なRW19でも相部屋で5泊はなんだかなぁ……。10万円近い運賃払ってるのにな!!(いやそれ、相部屋承知の運賃だから)

 先に結論出しておけば、混んでる理由はウランバートルまでの利用者が多いから。
 白人客が多いのでみんなモスクワまで通しで乗るのかと思いきや、殆どの客はウランバートル下車で、モスクワへは他の列車(多分ウランバートル→モスクワの5次。モンゴル客車)で移動する模様。
 同室者も(あのオバちゃんも)例外ではなく、ウランバートル下車とのこと……これ聞いて正直ほっとしました。

 それにしても最初に4番(II号室下段)を私が占拠してたら(或いは「この部屋の下段の権利は自分にある。同室は嫌だと不満を言うやつの方が出て行くべきだ!」と車掌に意思表示していたら)、あのオバちゃんは何処に行ったのやら? 

 とりあえず車掌氏に切符渡し(引換証は貰えず。まぁこの客車の定員なら無くても大丈夫)、部屋に荷物を置いてカメラだけもってホームへ戻り以下を撮影。



 K3次は大同までをSS3電機が牽引します。客車牽くのは珍しい運用?
 ところで、ホーム上乗り入れの黒塗り乗用車は何者?


 入換用に構内に待機するDF7G。架線の張り方に早くも欧州的情景を感じますが、背景の建屋がよくみると中華風。ここは未だ北京。欧州は6日も先にあります。


 隣にはとなんと希少機にして「専運機」のDF11Zが! こっちがK3次牽引なら最高に盛り上がったのに(笑)。この列車は秦皇島行のY509次で、客車も希少種24系の軟座車RZ24を連ねます。凄い組み合わせ! 乗ってみたい!


 希少車? RZ24。快速色なのが惜しい! ちなみに2000年3月、瀋陽→大連で乗った客車が今から思えばRZ24でした。当時は緑皮車で、25K編成(殆どがYZ25K)の中では異様に目立っていたことや、客室前後の通路が寝台車(18系)のように斜めになっていたことは忘れられません。
posted by 西方快車 at 23:09| Comment(0) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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