2009年12月09日

【第9日目の12 20090603】ペテルブルグ篇12(鉄道博物館9。ロシア客車の謎)

 今回は客車3種を取り上げますが、ロシア・ソ連の客車に関して概略をば。

 ロシア・ソ連では長らく客車=寝台車でした。平均的な運行距離考えればこれは必然的なことでしょう。普通の座席車というのは(通勤用以外では)、二次大戦後にモスクワ〜レニングラード間がスピードアップされて初めて導入されたものと推測するのですが……はて? 今も主要列車で座席車編成はこの区間(モスクワ〜ペテルブルグ)の昼行「ネフスキーエクスプレス」「アブローラ(オーロラ)」のみの筈。
 もう一つ、ロシア・ソ連の客車で特徴的なのは今もなお1・2・3などの等級表示がないこと。共産主義のタテマエからというのは理解できなくもないんですが、ソビエト崩壊20年たっても鉄道の等級制に関する抵抗が無くならないのでしょうか? 中国なんか昔から「硬座車」「軟座車」等の表記してますけど、それも修正主義なんでしょうか(苦笑)。まぁ趣味的には定員表示で等級の区別がつくのですけどね。現用車だとMEST(MECT)18が一等(リュクス)、MEST36が二等(クペ)、MEST54/80が三等(プラッツカルト)といった加減。
(余談ついで、TAPA56とか記されているのは自重表記で、56頓という意味)

 ちなみに、ソ連時代の鉄道の等級に関する社会主義的解釈がなかなか奮ってます。おなじみ「写真で楽しむ世界の鉄道4(1964交友社)」より引用。
「(客車にはハードクラス・ソフトクラスなどの区別があるが)これは階級的差別ではなく、個人の選択の自由に任せてあるものであると説明されている。すなわちめいめいが旅行の楽しみのために使う費用が多かろうと少なかろうとそれは各人がどれでも欲する平等な権利を持っており、それに支払う金は自らの労働によって得たものであるから、どれを選ぼうとも差し支えないのである」

 ……だそうで。上質なアネグドートだと思うのもよし、等級制に対する理想的な解釈と見るもよし。日本のグリーン車とかクラスJはその種の理想が叶った一例なんでしょうかね?

 閑話休題。ソヴィエト時代の客車に関しては解けない謎があるんですよ……。
 今にも引き継がれる、そして共産圏の客車としてあまりにおなじみの
「鋼製・側面リブ付き。台車はシュリーレン系」の1950年代以降のタイプ以前に、
「木製をそのまま鋼板にしたような・縦長の小さい窓・台車は古典的・屋根は古典切妻」な如何にも1920年以前のタイプしか見えてこない……その間40年の客車史が全く見えてこないってことが。

 他国(日本・アメリカ・西欧)の客車史的には、この間には、
「鋼製・ウインドシルヘッダー付」というアメリカのヘビーウェイト、日本のオハ35やワゴンリ鋼製車のような1920〜30年代のタイプが必ず存在し、両数的にも結構なボリュームを占めてたりします。まして1940年代には流線型の鋼製車(アメリカのスムーズサイド系や、ドイツのスカート客車、満鉄あじあ号)があってもおかしくない位。
 でも、ロシアの客車は1920年以前の古典的な車から、一気に1950年代のリブ付き共産圏鋼製車に飛んでしまっています。乱暴ながら日本で喩えるなら、木造車をそのまま鋼製にしたようなオハ31が1950年代まで大手を張って本線第一級で使われ、その代替がなんといきなり10系軽量客車になるようなもの。スハ32もオハ35もスハ43もすっ飛ばして!

 実際にはこの間の世代「鋼製・ウインドシルヘッダー付」の客車も製造・使用されていたのかもしれません。ソ連でもエレクトリーチカSR3は「鋼製・ウインドシルヘッダー付」という姿ですから、それに近い姿の客車の存在を推定することもできましょう……。
 しかし、それらが博物館などに一切保存されず、プロパガンダ用も含めた公式写真も存在せず、事業用車として近年まで生き延びることもなく、倉庫等の廃車体も現存せず……というのもちょっと考えにくいんです。1920〜30年代の客車っていうのは洋の東西問わず1980年頃までは現役で残り、近年まで事業用車や廃車体として残存、客車である以上(特に優等車)写真等の記録もそれなりにされてて保存車もあり、というのが普通です。製造されていたとしても記録に残らないほどの少数派であったのかもしれませんが……。




「木造車時代の流儀を引き継ぐ、古典的スタイルの鋼製車」 三等車?

 製造時期不明。
 ただ、相当に古い設計のものであるとは推定できます。1910年代(すなわち革命前)の木造客車を、そのまま鋼製に置き換えたような印象。鋼板は木造車同様の縦張りですし、床下のトラスバーは木造車の流儀そのものです。縦長の小さな窓も、或いは切妻屋根も古典的な欧州客車の流儀です(切妻屋根はダブルルーフや丸屋根以前の流儀。日本でも明治期の雑形木造客車には切妻が多かったんです)。西欧だと1920年位までに製造されたタイプでしょうか。
 車内はロシアのことですから三等といえど寝台車でしょうか。窓割りから定員寝台60名と推測します。
 台車は車体形状に似あわぬ近代的なものが付いてしまってます。枕バネこそリーフサスながら、軸バネはシュリーレン系の円筒案内式でどう考えても1950年代以降のタイプ。長く使い続ける上で交換されたのでしょう。

 
「やはり木造車流儀。なんと2軸の小型客車」 三等車

 製造時期不明。
 ただ、日本でこそ早くに本線から消滅した2軸客車も、西欧(特に西独やイタリア)では第二次大戦後も使われた事実は無視してはなりません。木造車の鋼体化まで行われていました。
 ロシアの影響下にあった東支鉄道(東清鉄道)でも1932年地点で客車の72%が2軸車だったといわれ(「続 大陸の鉄輪21-2」鉄道ファン1984-7 vol279)、客車=寝台車であった以上、2軸の寝台車(1〜3等)も多数存在したのでした。ロシア本土も同じ状況であったとも推測できるのです。




「1953年、ロシアの客車の大革命? 初の全鋼製車!」 三等車

 1953年製造。定員56(三等寝台)。製造ポーランド。
 英文解説があったので、それを信じる限りでは「ソヴィエト初の、全鋼製客車の系列である」とのこと。要は、それまでの客車は全鋼製ではなかった!ということになります。木造車的鋼製車からこの近代的な車に一気に移行したという仮説を信じたくなるじゃありませんか。
 近代的なノーシルノーヘッダの近代的な外見。日本なら軽量客車10系相当。ただし自重は52頓もあるので当時の西欧や日本のトレンド?であった軽量化はまだまだ。というより、共産圏じゃ軽量化真面目に考えるのはずっと後のことになりますけど。

 今のロシアの標準的な客車の直接的ルーツになります。ただし、この車には共産系の客車でお馴染みのリブが全くありません。ちょっと試作車的な雰囲気があります。ちなみに「写真で楽しむ 4」だとこの系列の客車はすべてリブ付きの写真が収録されています。
 台車は軸バネはシュリーレン系の円筒案内式で枕バネがリーフサスの初期の標準型。1960年代に枕バネがコイルサス+トーションバーに移行し、今に至ります。
 この保存車は1994年までオムスクに所属し、西シベリアで使用されたとのこと。41年というのは客車としては長生きした部類でしょうね。


 小型有蓋車。帝国紋章が復元されてますので、多分革命前の型なんでしょう。




 大物車。積載110頓。1962年製造。
 2007年の引退後にやってきたもので、この博物館では新顔です。




 産業用のC形タンク機。自重55頓。500馬力。1953年製。
 こんな小さな機関車まで装飾つけまくるセンスが素敵。全面の星に、タンクやシリンダへの色差し赤い動輪に白い手すり。現役時代にはこんなに綺麗だったとは思えないのですけど。


posted by 西方快車 at 20:21| Comment(3) | 2009年北京→モスクワ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 博物館車両編、興味深く拝見させてもらっています。こうして見るとこんな車両まで?と思うものまで展示してありソ連(ロシア)もやるじゃないと思わずにはいられません。

 ソヴィエト初の全鋼製客車、これにそっくりなのがモンゴルにもあるんです。今は事業用車ですが、東ドイツ製でもソ連製でも中国製でもなし、どこにも分類できないので載せていなかったのですがポーランド製でしたか。勉強になります。

 M62-1、これはロシア鉄系サイトを翻訳ツールで見ると、よくぞ生き残ってくれた貴重な機関車のようで、元々は輸出用機関車として設計されたものの試作機です。1966年からハンガリーを最初に、翌年から東ドイツ・ポーランド・チェコスロバキア・北朝鮮へ、自国向けの生産はなんと1970年からで、形式M62というのは当時ハンガリー国鉄にあったM61の続番、ソ連もそのままこの形式を付けることにしたようです。

 それにしてもソ連の旧型国電、いい味出しています。

 前からお願いしようと思っていたのですが、併サイトのリンクページに貴ブログ「西方快車」を載せたいと思っているのですがよろしいでしょうか。
Posted by ウランゴー at 2009年12月10日 21:00
◆ウランゴーさま
 ご無沙汰しております。
 リンクはこちらから相互リンクのお願いをしようと思っておりましたので、貴方からのご依頼が申し訳ないほどです。有難うございます。
 あと、そろそろこのブログにもリンク設定を行うつもりです。中国鉄道関係のお馴染みのところとか、最近みつけたロシア鉄道関係とか張りたいところが沢山ありますので。

>こうして見るとこんな車両まで?と思うものまで展示してありソ連(ロシア)もやるじゃないと思わずにはいられません

 ロシア人の博物館好きと、ソ連の技術偏重な流れがうまい具合で働いたと云う感じがしますね。

>ソヴィエト初の全鋼製客車、これにそっくりなのがモンゴルにもあるんです
 TE1もP36も居たモンゴルですから、初期の全鋼製客車が流れ着いていても全く不思議がないですね。共産圏タイプの客車のリブなしというのはかなりレアな感じがします。写真掲載楽しみにしております。
(ところで、以前にあげられていた食堂車廃車体は、「写真で楽しむ世界の鉄道 4」に近い車両が載っていました。本をお見せする機会があればよいのですが)
 なお、ポーランド製と云うのは飽くまで博物館の英文表記(写真参照)からの情報ですので、どこまで信じてよいのかはちょっと分かりません。

 M62-1に関してご教示有難うございます。モンゴルで見てきたM62とはずいぶん印象が違ってみえたのですが、やはり先行試作車でしたか。他形式だと先行試作車が保存されているケースは案外少ないので、やはり貴重な機関車なんですね。M62の命名由来も面白いです(友邦ハンガリーを建前上でも「立てて」いるのが興味深い)。
 それにしても、昨今のロシアの鉄道趣味サイトは予想以上の充実ぶりですね(私もハマったサイトが幾つかあります)。これも博物館編が落ち着きましたら、ロシア鉄道趣味事情みたいな形で纏めてみたいと思っています。

 旧型国電はやはりお気にめされましたか。日本人好みの形状ですよね。次回取り上げる旧型電機も日本人好みの形状だったりします(笑)。
Posted by 西方快車 at 2009年12月12日 00:51
はじめまして。アフリカの鉄道ことアフ鉄と申します。普段はTwitterにてアフリカの鉄道を中心とした途上国の鉄道関連のツイートやまとめ記事を作成しています。

ソ連初の全鋼製客車について気になった点が一つほどありましたのでご報告させて頂きます。2016年頃に北朝鮮に渡航された方が新安州青年駅で撮影した車両の中に、ペテルブルグの保存車と似た形態の客車がありました。画像は「#北朝鮮巡検 新安州青年」と検索すればすぐ確認できると思います。
もし1950年代のソ連製であるのなら、ソ連最初期の全鋼製客車が今なお現役ということになります。
以上です。
Posted by アフ鉄 at 2017年09月05日 00:54
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