所要時間はノンストップの速達便(2往復)が3時間45分。途中停車あり(1往復)が4時間15分。
さて。
日本の感覚だと650km程度の中距離で、「毎日運行+3往復運転」って当たり前というか寧ろ少ないんじゃないの? という話になってきそうですが、あの国ではER200を同区間に週1往復しかさせてこなかった歴史があります。また、これまでもモスクワ⇔ペテルブルグには昼間の直通列車が1日3往復しか無かった(2往復の特急と1往復の準急相当)事実もあります。
今回の運行開始で、在来の特急(「ネフスキーエクスプレス」「アブローラ」)も当面残したままでサプサン3往復の5往復体制ですから、夜行主体のこの区間の利用状況も大変革が予想されるのです……。
そんなモスクワ⇔サンクトペテルブルグ(レニングラード)間650kmの運行状況、昔は如何に? 知る術もないのかと思いきや、今のロシア鉄道趣味界のパワーは物凄い!
「забытые поезда россии (忘れ去られたロシアの列車)」
http://rt200.narod.ru/index.html
というサイトが中々劇濃です。そこからの引用でまとめてみましょう。
なお、ER200に関しては先のエントリ「ペテルブルグ篇14(鉄道博物館11。ああER200! 週1運転の謎の高速電車)」
http://seihoukaisya.seesaa.net/article/135466118.html
を参照願います。
●ガンツ社製ディーゼル動車「ДП-01」(DP01)の時代
http://rt200.narod.ru/dp.html
写真は上記リンク参照。
1949-1950年にハンガリーのガンツ社にて、ДП-01から03までの3組の高速ディーゼル動車が製造されました(3両というのは動力車の数。2両を編成して1両は予備か?)。計画は1944年に始まっていたものの戦争によって延期されていたものです。ミッションは機械式と思われます(ガンツは機械式での総括制御技術をもっていた模様)
編成は6両編成で「動力車+附随車……+附随車」で定員はソフトクラス164名(乗務員14名)。この数値はいささかデラックスに過ぎる気もしますので(1両定員30名とかいう話になってしまう!)間違いか、編成の半分を指しているものと思われます。これなら1両60名程度の定員となり、普通の豪華特急の範囲に収まりますから。
編成全長は158mですから、1両は25m級ということになります。全幅は3010mm。
動力車は床上のエンジンルームの後ろに荷物室、その後ろに客室。日本流にいえばキロニ。
中間車のうち1両には調理室とビュフェが設けられていました。キサロシといったところでしょう。
動力車は3軸ボギーの動台車と2軸ボギーの付随台車という構成。これは後に量産されて今も現役のД1形と同じです。機関出力220馬力×2。自重85頓。設計速度は104km/h。
1950年6月28日に運行開始。所要時間は7時間半。もちろん当時の最高速列車でした。
なお、1951-1952年にかけて、ДП-04から08の5両が増備されています(6両編成にして4本が揃ったものと推測されます)。
1957年には塗色がダークブルーに白帯より、赤とクリームのツートンカラー+白帯に改められました。
1961年、モスクワ⇔レニングラード間は電化と前後して引退しました。1967−69年頃までは波動輸送用に使われた模様。その後、人知れず廃車されてしまったようです。
2008年地点では、廃車体1両が倉庫として残されているのみです。
http://parovoz.com/newgallery/pg_view.php?ID=169455&LNG=EN#picture
また、
http://parovoz.com/newgallery/index.php?CATEG=-1
より、サーチワード「ДП」でかなり同車の珍しい写真を集めることができます。車内写真がないのが残念ですが……。
概要は以上。以下考察。
・1950年地点で1編成+予備。モスクワ⇔レニングラードの運用には2本必要ですから、毎日運行ではなく隔日とか、ER200のような週1回の運行だったのでしょうか? 増備車落成で4本体制になれば、毎日運行+予備2本とできたのでしょう。
・定員は編成162名というのは少なすぎると思ったのですが、西ドイツのTEE(VT11.5)は前後が動力車といえ、編成定員は122名(7両編成時、全長130m)でした。これに間違いがないなら、西側のTEE相当の豪華ディーゼル列車ということになります。
・スタイルはフルフェイスヘルメットか一つ目宇宙人を思わせる癖の強いもので、異様な印象を持たれると思います(笑)。但し、これはガンツの標準型の一つで、同種の車がハンガリー、アルゼンチン、チリ等で使われていました。前面窓を大きくするなどで幾らか印象を緩和したものがユーゴやチェコで使われ、中国にも輸出されていました。
(中国のガンツ製気動車もまた幻の存在です。自分が知る限り「世界の鉄道68」(朝日新聞社)に載った写真が唯一の情報……)
ラベル:ロシアの車両
【関連する記事】
- 【第13日目の1 20090607】北京篇9(遂に帰国。北京首都空港内の電車など..
- 【第12日目の3 20090606】北京篇8(四合院、二軒目)
- 【第12日目の2 20090606】北京篇7(続:中国鉄道博物館。西側から中国に..
- 【第12日目の1 20090606】北京篇6(中国鉄道博物館。初代「西方快車」R..
- 【第11日目の2 20090605】北京篇5(中国でICE3に乗る)
- 【第11日目の1 20090605】北京篇4(取り敢えず、四合院で一休み)
- 【雑記】空港アクセスの電車に思う
- 【第10日目の4 20090604】モスクワ篇10(シェレメチェボ空港とCA91..
- 【第10日目の3 20090604】モスクワ篇9(赤の広場とグム百貨店、アエロエ..
- 【雑草】備忘録:ソ連・ロシアの自動車(乗用車)の概観
- 【第10日目の2 20090604】モスクワ篇8(「旅の終りは宇宙ステーションで..
- 【番外篇】サプサンに至る遠い道。モスクワ−レニングラードの知られざる高速列車たち..
- 【第10日目の1 20090604】モスクワ篇7(ペテルブルグ→モスクワの55列..
- 【第9日目の19 20090603】ペテルブルグ篇19(市電その5……にはなりま..
- 【第9日目の17 20090603】ペテルブルグ篇18(市電その4。昔は良かった..