
雨の胡同、雰囲気はあるんですけどね。
幸いにも宿で傘を貸してもらえたので、予定通り中国鉄道博物館へ向かいます。

表通り。この辺りに関して云えば、北京は碧の多い街といえます。

途中までは地下鉄で。二号線(環状線)の某駅。天井の蛍光灯とデカいデジタル時計がちょっと社会主義だった国なんだなぁと思わせる。
二号線の電車はすべて冷房付き4ドアの新型車に置き換えられているようでした。
途中からはタクシーで(バスでも行けるらしいんですが、雨ですしねぇバス探すの面倒)。タクシーの運転手には知られていない……とか云われてますので、地図を見せて「ここ」と示します。環状試験線があるので地図でもわかりやすいです。新車といえば、タクシーも殆がVWか現代の新車でした……平均車齢は東京より若いでしょうね。車はどんどん郊外へ。20分ほど走って寂しいところに出てきたら、環状試験線や鉄道博物館につながる線路を幾つか渡り、そして広大な建家のある鉄道博物館へ。
日本でいうなら、大宮というより国立の鉄道総研の近くにあるような感じなのかも。
さて、北京の中国鉄道博物館に関しては日本語での解説も多々ありますので、詳細は省略します……。右のリンクの中国関係からアクセスとか開館時間休業日料金等の情報は得られると思いますので。また、主要な所蔵車両に関しても検索すればわかるはず……。
取り敢えず、気になったもの気に入ったものを並べてみましょう。

比較的最近の収蔵車。地鉄2号線の4ツ扉車。鼓形車体の比較的新しい車ですが、五輪前の新車置き換えで犠牲になったのでしょうか?

こちらは3ツ扉車。他の車は解体されてしまったのでしょうか? 中国全体でみれば通勤電車の需要はありそうなものなんですけど。

台車。エアサスという贅沢装備。L形の軸梁が日本にはないかたちでとてもユニーク。

ここの「顔」と言える車ですね。あまりにも有名な車。

2両ありますが、1両には妻面の飾り窓が残っています。

初代「西方快車」といいたくなる、初代RW19高級軟臥車。1958年の東ドイツ製と云われる車で、モスクワ行きの3/4次で活躍したはず……。1995年に現行の二代目RW19に置き換えられています。
さて。
冷戦下とか文革下なら兎も角、1980年代以降なら、北京〜ウランバートル〜モスクワのルートも既に西側旅行者に開放されていたはず。しかし、その時代の旅行記・写真などは不勉強のためかみたことがありません。
シベリア鉄道本線もそうなんですが、その昔にそうした鉄道・列車への乗車機会に恵まれた人が「車両趣味」者であることが稀であったことが惜しまれてならないのです。客車の設備やインテリアなど記録の機会は十分にあったと思いますのに……。
(余談ですが、鉄道趣味者ではない筈の妹尾河童氏は西欧やインドの旅客車に関して車両設計者レベルの詳細なスケッチを残されています。舞台芸術家という職業ゆえかもしれませんが)
結局、3/4次とかRW19高級軟臥の魅力が知られるようになったのは右リンクにある「北京-モスクワ国際連絡第3/4列車」「中国鉄道倶楽部」以降ではないでしょうか?

車内は公開されています。出入台から客室通路への斜め部分。現行RW19とレイアウトは同じようです。

通路部。洗面所には通路に面して窓があるのは現RW19と同様。
金属部分は真鍮製。

個室。左が二段寝台で、右に一人がけソファ。

設備などは現RW19とほぼ同じです。営業運転時はシートカバーや絨毯でもっと豪華に見えたことでしょう。

個室内の洗面所。蛇口にシャワーヘッドはないので、現RW19のようにシャワーとして使うことは考慮されていません。床はタイル。

再び通路へ。通路には折畳小椅子のほか、固定の小テーブルがあります。通路で一杯やるには有り難い設備ですが、現RW19では無くなっています。カーテンは横引きの全高レースカーテンで現行車の半高レースカーテン+ロールアップとは異なります。
窓は上1/3のみが開くのでしょうか? 写真とか撮りにくそうなんで、ここは現行車に軍配が上がります。ただ……もし次世代車が投入されるなら空調固定窓になってしまうんでしょうね。
内装は化粧板ではなく本物の木で、金具類は真鍮製。かなり惹かれます……が、前者はあんまり良い仕上げとは思えません。ワゴンリの類と比較というより、日本の私鉄電車でニス塗りの車、或いはJR九州辺りでの木質内装車よりも一段落ちる加工の様な気がしました。
それを思うと……やはり現RW19は頑張った車だと思いますね。世界で一番豪華な寝台車……ではないですけど、ウランバートルまでの一日一晩でもかなり楽しめます。それに、西側の普通の人なら誰でも払える運賃料金ですし。
初心に戻り、「西方快車」をお勧めすることにします。
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