2010年02月17日

【米:第4日目の1 2009/0927】シアトル篇1:オトナの社会科見学その1 ボーイング工場見学

 シアトルは前夜に到着予定。ホテルで1泊して、午前中にボーイング社エヴァレット工場の見学を予定していました(現地ツアー[もちろん英語。日本語ガイド付きは高くて無理]を予約済。自力でたとり着くのは困難と判断)。そして夕方16:45発の「エンパイア・ビルダー」には余裕もって間に合うと。

 しかし列車遅れでの早朝5時着。
 現地ツアーの車が宿泊予定だったホテルに迎えに来るのは7時丁度。余裕があるのかないのか……。ホテルは駅から歩いてはいけない場所(中心部)で要バス移動。

 先ずはバス乗り場探しつつ、こんな写真撮ってました。

 シアトル・キングストリート駅。良い絵が撮れたのは大幅遅延の埋め合わせ……。


 駅前の通り。並木と背後のビル群との対比が印象的。
 ちなみにこんな時間ですが、治安面では全くといっていいほど不安を感じさせない雰囲気でした。
(儲かってそうな世界的大企業が多いこの街の失業率とか気になるものです。いや、州別失業率統計とか分かりますけど、あれ内陸部が低くて沿岸部が高いという?なデータですからなんとも)

 なんとかバス見つけて乗り込む(系統多くて調べるのに一苦労)。市内中心部(キングストリート駅含む)のバスは無料。公共交通利用を促す政策的なものと云われますけど、絶対に「世界的大企業が集まってて税収が多いからできる力技」だと思うのは穿ち過ぎでしょうか?
 6時15分には中心部着。余裕! コーヒー位飲めるとか思ってました。

 しかし、地番案内が分かりにくく、宿泊予定だったホテルが見つからない! 早朝散歩?の地元の人に聞いたりで(語学力貧乏には大変に勇気のいる行為)、迷いまくった挙句に6時55分にやっと辿り着きました。ちなみに坂登った上でした(苦笑)。しんどい……。ロスアンゼルスの暑さに対して、肌寒さを感じたこの街でしたが、着いたときには汗まみれ。
 ちなみにこーいう時に役に立たないのが林檎マークの某電話機の地図とかGPS。「海外ではパケットローミングをオフに設定する」という使い方が強いられるのはどうにかならないものでしょうかね。「定額パケットローミング」ってそんなに需要がないor実現が難しいもんなんでしょうか?
 

 こんな感じのところで30分以上迷いました。


 坂道! シアトルも坂の多い街ということを知らずに来たのでちょっと驚き。
 まぁ名港あるところに坂ありですから(坂のない港町で有名どころってあんまり思いつきません)、当然と言えば当然なんですけど……。


 ここに泊まる予定でした(純粋にホテルではなく、病院経営の付帯宿泊施設という感じ。これも探すのに手間取った理由。病院ならそう書いてくれれば見つけやすいのに!)。前夜定刻についても絶対に探すのに苦労したと思います。
 
 で、7時といっても「あばうと7:00」ですから、不安を禁じ得ません。もし迎えの車が先にいっちゃってたらどうしよう……。
 7:05ころ、大きめのバンがやってきて運転手が「ぼーいんぐ・つあー?」とか聞いてきたときにはほっとしました。バンは定員8名ほど……バスツアーをイメージしてるとあてが外れます。こちらは荷物持ったままであることでこの種の車は有り難いですし、少しでもアメリカの「普通の車」に乗れたのでこれは満足。
 
 他1箇所ほどで客を乗せて郊外へ出発です。
 ちなみに白人男性の運転手兼ガイドのほか、黒人男性のふたり連れが居たのでアメリカ人かと思ったらナイジェリアからでした……(絶対に向こうじゃ金持ちなんでしょう)。あとはオーストラリア人とドイツ人だったような。この種の観光に(他の都市から来た)アメリカ人は参加しないのか……? まぁ、自力で車で行くんでしょうね、多分。

 写真には撮り逃しましたが、今は運行していない路面電車のレールをなんども跨ぎます(この電車の経緯については後述)。


 ハイウェイに入る前の圧巻。湾口をまたぐ大橋。その奥には可動橋。
 

 ハイウェイへ。鉄道では知らない「普通の」アメリカが広がります。
 30分ほど飛ばしてエヴァレットへ。
 広大な敷地に建家群が散在しているのが見えてきました。


 ばばーん。巨大な工場建家。手前の乗用車などがサイズ比較になると思います。


 見学センター。


 見学センター内はささやかながら博物館になっています。ここで工場見学ガイドまでの時間つぶし……。


 ライバルメーカーの製品も飾ってあります(笑)。


 B787のモックアップがありました。噂通りに窓が大きいのが印象的。


 謎の試作機。先尾翼でプッシャープロペラ(しかも5枚)という「震電」を双発にしたような不思議な飛行機。


 ビジネス機の市場を狙ったのが分かります。
 詳細が分からないのが残念(どなたかご教示を!)。


 いよいよ見学開始。

 ただ撮影は禁止なので、以下写真はありません。
 日本の常識で考えれば、「重工業メーカーに一般見学コースがある」だけで驚きですから、撮影禁止なんて気にもならない規則ですが。エヴァレット工場の製造中の写真などは普通に探せば見つかると思います。

 映画見せてから(あんまり長くない。世界で活躍するボーイングの輸送機って感じの)、見学センターの裏からバス(普通の大型観光バス)に乗り、工場建家へ。広いのと安全面からバスでの移動は必須です。
 
 工場建家は地下から入ります(地上にも入り口はあると思いますが……)。
 地下にはメンテナンス通路が網の目に広がっています。その一部を通ってエレベーターへ。資材用の大型エレベーターです。多分今まで乗ったエレベーターの中で一番大きいはず……黒部峡谷鉄道欅平のトロッコやバテロコ載せられる立坑やら、YRP野比の電話交換機載せられる大型エレベータが可愛く思えます。
 そして広大な建屋内へ(さっきの写真の建物)。見渡せる見学デッキへ。

 適切な表現が思いつきません。大きいとか云われてるB747が小さくみえると云っておきましょう。資材のストレージはまるでプラモデルのパーツ。スケール感が狂ってくるんですよ、ここにいると。
 今まで自分が認識していた広大な空間といえば有明のビックサイトとかだったりするんですが、認識の限界を超えてみると大差がないように考えられるのが怖いことで。もちろん、ビックサイトよりずっーーーと広大です。ここなら落選無しで申し込みサークル全て当選させて1日にまとめてもお釣りがくるでしょう。

 コミケな喩えはともかく。
 工程ごとに3箇所ほどの見学デッキを移動。
 気になってはのは当時「飛べない飛行機」だったB787。問題抱えつつ最新鋭にして目玉商品ですから隠さず見せてくれましたが(笑)、やはり主翼付け根部分を改修中でした。その後飛行成功したようでなにより。

 残念だったのはこの日が土曜日で恐らくは休業日であったこと(物静か)。働く人たちがいて工作機械も動いてればまた違った印象だったかもしれません。
 もう一つ残念だったのは……夜行2晩連続で微妙に眠気が残っていたこと。もちろんこんな凄いものみて眠くなる訳はないんですけど、ベストなコンディションではありませんでしたから。
 でも、面白い場所でした。
 
 バスで見学センターに戻って、あとはお買い物タイム。模型とかグッズとかアパレルとか。品揃えは半端ではないです。

 ……って旅の荷物になる懸念から殆ど買い物してませんが。


 ここの施設や空港はクラブ?への貸出もしているようで、この日は軍用車両やレシプロ機の展示やデモを行っていました。こんな文化があるのも、この国の豊かさなんだなぁと思います。


 飛行機は20機ほどあったと思います。どれもピカピカでマーキングも綺麗。申し訳ないのは自分がこっち(レシプロ時代の軍用機)には全然知識がないこと。でも、好きな人にはたまらなさそうな展示でした。


 複葉機のデモ飛行。動いているものは興味の対象外であっても感動します。


 戻りかけに工場建家を。
 やはりスケール感が喪失する建物ですよね。青いドアはトラックが出来るする程度の大きさの、近所の普通の倉庫や工場にしか見えませんよね?
(手前の木はミニサイズなんですよ!)


 巨大輸送機ドリームリフターが居ると、スケール感が補正できますかね? え、ドリームリフターが小さく見える?


 帰り道。高速道路って万国共通に見えて、通行の左右意外にも違いがあるものだと思いました。


 市内に戻って。モノレールの軌道。アルウェグ式ですから羽田のと同じ。


 何処まで乗るかと云われたので「だうんたうん ものれーるすてーしょん」とか云って下ろしてもらいました。ツアーに使ったのはこんな車です。日本のバンより確実に二回りは大きい車でした。
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posted by 西方快車 at 22:24| Comment(0) | 2009 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

【米:第4日目の0 2009/0927】「コースト・スターライト」篇まとめ:14レ遅れの理由。西海岸旅客列車の沿革(「カスケード」+「デイライト」=「コースト・スターライト」)。

 14列車の遅延8時間余の理由は
「(先行か対向の)貨物列車がトンネル内で停止した。停止したのは貨車の1両に故障があったため。故障した貨車を抜き取って側線に移す作業が手間取った」ためでした。
(遅延証明書……フォーマットはなく、ただのword文書……を発行して貰い、そこから意訳)

 他の列車の車両故障による遅延というのは日本でも皆無ではありません。しかし、8時間も遅れるというのは有り得ない話です。勿論、故障車を避けるために低速で最寄の操車場(駅)まで移動、入換というのが短時間でできるとは思えませんが。それでもダイヤ回復には急行旅客列車は最優先するのが普通だと思うのですが、どう考えてもHost Railroads側にそんな考えはないようです。列車は風水害などなくても遅れて当たり前とでも思ってるのか……。
 アメリカの借地借家法は知りませんが、鉄道に関しては「店子(Amtrak)」の立場はあんまりよろしくないようで。まぁ日本も「店子」のJR貨物は冷遇されてる雰囲気ありますけど……。

 なおwikipwdia(en)によると、コースト・スターライトは定時率が極めて低く、2005年10月〜2006年8月の定時率は僅かに2%!最大遅れは11時間! ユニオンパシフィック鉄道が貨物優先するためだったそうで(予想通り!)。但し、最近ではアムトラックに優先権を与えてるとも云われてますが……。


 さて。
 「コースト・スターライト」の纏めとして、西海岸シアトル〜サンフランシスコ〜ロスアンゼルス間の旅客列車の沿革を記しておきましょう。あんまり古い話は分かりませんが。
(参考文献リンク先です)

 アムトラック以前にこの地区で旅客列車を運行していたのは主にサザン・パシフィック鉄道でした。各「デイライト」号が有名で、専用の半流線型蒸気機関車(1955年以降ディーゼル化)と鋼製流線型客車で知られます。
(光ゲンジの「パラダイス銀河」のアニメパートで出てくる汽車……っていって分かる人どれ位いますかね?)
 このサザン・パシフィック鉄道は1996年にユニオン・パシフィック鉄道と合併し、今は社名が消えてしまいました。


●シアトル〜ポートランド(UP・NP・GN共同運行)
 ・「コースト・プール・トレイン」
  1日3〜4往復。「カスケード」の寝台車も併結。1981年全廃。
  1993年に「カスケード(2代目)」として復活。

●ポートランド〜サンフランシスコ(SP)
 ・「カスケード」(夜行)11/12レ
  寝台車はシアトル〜サンフランシスコ間直通
  1950〜1971(1970年まで毎日運行、以降週3便)
  ※1951年の編成は個室寝台8、食堂1、従業員用寝台1、
   ラウンジ1、座席2、荷物郵便各1の15両。


 ・「シャスタ・デイライト」(昼行)9/10レ 
  1949〜1967(1959年まで毎日運行、以降週3便)

 ・「クラマス」19/20レ 郵便車主体で座席車併結 運行時期不明
  ※日本でいう急行荷物列車みたいなものか?

●サンフランシスコ〜ロスアンゼルス(SP)
 ・「ラーク」(夜行)75/76レ
  1910〜1968。1957年まで全寝台車編成。
  ※1941年の編成は個室寝台8、食堂1、従業員用寝台1、
   ラウンジ1、荷物郵便各1の12両という豪華さ。
  ※1968年廃止寸前の編成は個室寝台1、カフェラウンジ1、
   座席2の僅か4両。凋落が凄い。
  ※更にもう1本夜行「オウル」が設定されていた時期もあり。


 ・「スターライト」(夜行)
  1949〜1957。1949「ヌーンデイライト」を夜行化、全座席車。
  1957年「ラーク」に統合。

 ・「デイライト」(昼行)98/99レ
  1937〜1971。1940〜1949は2往復体制
  (モーニング・デイライト/ヌーン・デイライト)。
  ※1941年の編成はパーラー(優等座席)2、座席9、ラウンジ1、
   食堂1、カフェ1、荷物座席合造1。
  ※1969年の編成はパーラー(優等座席)1、座席4、
   自動販売機車1、荷物1。凋落が……。


 ・「サクラメント・デイライト」
  「サン・ホアキン・デイライト」(併結)
  ロスアンゼルス〜サクラメント/サンフランシスコを
  「デイライト」と別ルートで結ぶ。昼行。

 1971年以前はロスアンゼルス〜シアトル間の直通は全く存在しませんでした。また、サンフランシスコ〜シアトルでも寝台車以外はポートランドでの乗り換えが必要でした。

 1971年5月1日にアムトラック発足。この地点で残っていた「コースト・プール・トレイン」「カスケード」「デイライト」の3系統を繋げてしまい、更にロスアンゼルスから南にサンディエゴまで延長して生まれたのが愛称なしの11/12列車でした。現在に続く「西海岸縦断列車」は生まれましたが、これは晴れ晴れしい物というより、生き残りのために残った系統を一纏めにしたものと推測しますが……。
 11/12列車は週3回運転であり、残りの4日は98/99列車(旧デイライト)がサンフランシスコ〜ロスアンゼルスに設定されました。
 1971年11月14日、11/12列車に「コースト・スターライト(11/14レ)」と命名。98/99列車は「コースト・デイライト(12/13レ)」を名乗りました。
 後に「コースト・スターライト」を毎日運行とし、その際に「コースト・デイライト」は吸収されています。
 また、これらの列車のロスアンゼルス〜サンディエゴ間は「パシフィック・サーフライナー」等の中距離系統に分割・統合されました。
(1990年代の2年間のみ、座席車2両を中距離列車に併結しサンディエゴ直通が復活したことあり)

 この経緯を辿ったため、「コースト・スターライト」は上下共にロスアンゼルス〜サンフランシスコは昼行(「デイライト」の流れ)・サンフランシスコ〜シアトルは夜行(「カスケード」の流れ)で運行されているのです。
 残念ながら夜行昼行逆のパターン(「ラーク」「シャスタ・デイライト」)は復活しておらず、ロスアンゼルス〜サンフランシスコの夜行移動、サンフランシスコ〜シアトルの昼行移動は出来ないままです。
(各都市近くの中距離列車のサービスが互いに接続すると便利になりそうなのですが……)

 それでも、1971年のガタガタになっていた運行系統・列車編成をよくぞここまで整備し直したものです(デイライトの自動販売機車はよく故障したとも伝えられます……)。
 フルサービスの食堂車と2両のラウンジカーを含む「豪華編成」現「コーストスターライト」が毎日運行されているのは、やはり立派であると思う由。

 この列車に転機があるとすれば、加州高速鉄道……カリフォルニア新幹線による元「デイライト」の部分、ロスアンゼルス〜サンフランシスコ間の発展的解消でしょうか? その折には高速列車は懐かしき「デイライト」号を名乗るのかもしれません。

posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

【米:第3日目の2 2009/0926】「コースト・スターライト」篇7:動かない! 8時間遅れ!! でも、貴重な非常食の体験も。

 先の山中の信号場で貨物列車とすれ違ったのが11時丁度位。
 交換が終わり、前進します。しかし、トンネルに頭つっこんだまま止まってしまい。挙句の果てに先の信号場に後退してしまったではありませんか。

 それから、全く列車が動きません。
 勿論、アムトラックが遅れるというのはよく云われる話です。それは或る程度「織り込み済み」ではありましたが……。

 12時過ぎて昼食に食堂車へ。

 この地点では、すぐ動くだろう位に思ってました。食事中に景色が動き出したら素敵だろうな、と。


 食堂車中央の配膳室。階下とのエレベータなどあり。ウェイター・ウェイトレスは3〜4名乗務ですから、他の国の食堂車より人員は多めでしょう。


 昼食は定番らしい?「アンガス・ステーキ・バーガー」。7.75ドル(コーヒー込)。
 大きいです。ボリュームもあります。そして美味しい! 今まで食べたハンバーガーの中で一番美味しかったと断言しちゃいましょう。
(たぶん日本なら高級バーガーとして結構なお値段とるようなタイプだと思います。日本でその手は食べた事ないので何とも云えませんけど)

 しかし、列車は動きません。反対側の線路にもなんの動きもありません。
 先に戻って寝直したり、本読んだり(長旅に備えて序盤で読み尽くさないようにしなきゃいけないのに!)……。
 気になるのはシアトルに今日中に辿りつけるのかどうか。
 辿り着けないと、車中5泊連泊確定です。洒落になってない。


 景色自体は悪くないのですが。


 動かなくなって4時間経過の15時頃、ついに非常食が配布されました。たまたま離席中でもらえず、あとから車掌さんとこに貰いに行ったら、物欲しそうと思われたのか二つくれました(笑)。


 中身。チーズ・クラッカー・ドライフルーツ・ビスケット。
 こんな常備があるというのがこの国の鉄道の一面なんですね。

 16:21。反対側の線路を貨物列車が通過。


 おかげで、やや希望が持てる展開になってきました。
 ちなみに列車の最後部は窓ありますので、この種の写真撮るのはそんなに難しくありません。椅子もなんにもないので立ちっぱなしにはなりますけど。

 16:40。遂に列車が動き出しました。
 でも、また先のトンネルに入って静止。そして信号場に戻ってしまうではありませんか。

 戻った先は信号場の反対側の線路。要は入換しただけ!


 17:11。今度はUP(HostRailroad 要は大家)のディーゼル機関車の単機回送(3重連)とすれ違い。何かの確認でしょうか?


 18:02。遠き山に日は落ちて……としかいいようのない景色。
 動かずに7時間。シアトル着予定は20:45ですから、ここから順調だとしても到着は4時頃。ほぼ明朝確定……。絶望的な気分です。

 前後して車内が妙に騒がしい。なにかと思えば食堂車での「非常夕食」(無料)の案内でした。簡単なものしかないけど無料だから勘弁してくれ、みたいなニュアンスだったと思います。


 マッシュポテトのグレービーソース掛け。皿も簡易。
 こんな常備があるというのもこの国の鉄道の一面なんですね……。

 食べ終えた19時頃、ついに列車が動き出しました。止まったりせずにずっと動き続けています。
 でも、8時間遅れです。シアトルは早く見積もっても5時着。
 シアトルでホテル1泊して休んでから、エンパイアビルダー+キャピトルリミテッドの3泊4日連続に備えるつもりだったのが、車中5連泊確定となってしまいました。
 勿論、アムトラックが遅れるというのはよく云われる話です。それは或る程度「織り込み済み」ではありました。しかし此処までの遅れは見込み違いでした。


 22時頃、元来は12時半着であったEugene-Springfield着。
 タバコ吸いに降りる客多数。


 駅舎は中央に丸いセクションのあるユニークなもの。なかなか風情があります。
 それにしても残念なのは、景色を堪能出来たはずのこの辺の区間が全部真っ暗になってしまったこと。
 
 そろそろ寝入りに入りますが、途中停車が多いのでちょっと落ち着きません。

 1時30分。Portland着。
 写真には撮れませんでしたが、駅周辺での市内電車……LRT路線との並行が印象的でした。

 大駅であり、降車客多数。
 5番線到着ですが、1〜4番線は跨線橋ではなく構内踏切を渡ります。


 ネオンや鉄サッシなど、至る所が昔のままで残っている印象です。この種の風情には羨望を禁じ得ません。


 この駅を象徴する時計塔。1898年からの歴史あるもの。
 

 「列車で行こう」のネオンサインは近年のものかと思いましたが、帰国後調べたところ歴史のあるもので、1940年代のものだとか。
http://usarail.hmc5.com/portlandor_jp.htm


 明朝の出発に備えて待機する、ポートランド・シアトル・国境越えてバンクーバーまでの中距離・国際列車「カスケード」。
 アメリカンな大型ディーゼル機関車とタルゴ客車の組み合わせです。
 余談ですが、アメリカの「国際列車」は中距離列車ばかり。ユーラシアや欧州のような気合の入った長距離国際列車は皆無です。その上、廃止や復活も繰り返し……アメリカ西部、シアトルからバンクーバーへの国際列車はアムトラック発足当時の1971年に廃止され1972年復活したものの1981年廃止、1995年に「カスケード」として再復活と波乱万丈。ポートランド〜シアトルの中距離も「カスケード」以前は全廃されてた時期(1981〜1993)があったとか。
 余談ついで。スペインのタルゴも1950年代の初代はアメリカからの技術が入ったものでした。その流れで、スアメリカ国内向けタルゴやその亜流も多々試験的運用が行われていた時期があったのです。しかし、その全ては短期間の試験運用で終了……長続きしたのでもカナダ国鉄のUACターボトレインで10年ちょっと(1969-1982)。
 その意味では1993年以来運用されているこの列車も車両も大したものではないでしょうか。
 

 Tacomaにて、シアトルはもうすぐです。


 約8時間遅れで5時頃にシアトル(Seattle King Street)着。
 疲労感というかあきらめ感が凄い……と言いたいところですが、アメリカ人はこの種の遅れには慣れてるのかなんの異変もないのにむしろ驚きました。


 この駅も時計塔が見事です。ホームの屋根等が近代化されているのも悪い感じはしません。


 編成前部はこの駅の先にあるトンネルに突っ込む形で停車します(機関車撮れず。まぁ同じ機関車ですけど)。ターレットが取りついて荷降ろし開始。
 考えてみたらこの列車の遅れのせいで各停車駅も残業強いられた(残業代の支払い強いられた……が正確?)訳で、えらい損害じゃないでしょうか?

 さて、シアトルのホテルをキャンセルするためにこちらも「遅延証明」を貰わねばなりません!
posted by 西方快車 at 23:59| Comment(0) | 2009 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

【米:第3日目の1 2009/0926】「コースト・スターライト」篇6:一夜明けて。

 座席に関する感想は既に記しましたが、流石によく眠れました。深夜にも……1:55、3:14、5:04と小駅への停車と客扱いはあるのですが気がつかないほどに。ちなみにアムトラックの長距離列車は平気で無人駅でも停車します(集落唯一の駅をどうして飛ばせましょう?)。
 昔から西部の長距離列車が「特急」とか「急行」と呼称しないのはこうした事情もあったりするんじゃないでしょうか?
 この種の小さな停車駅では必ず車付きの車掌がドアを見張っていますので、治安上の問題はありません。アメリカはこういうところはしっかりしています。
 あれ……座席車でも1両に1人は専属の車掌がいるのは日本じゃ考えられないですよね?

 ちなみに「車掌」と「車掌補(ボーイ)」の区別がつかないので、便宜上車掌で統一しています。というか今のアムトラックの職制までは調べた事ないです。勿論、彼ら彼女らが人種や性別に区別なく乗務しているのは当然。大昔……「写真で楽しむ世界の鉄道 アメリカ編」のころ迄……は鉄道のボーイは黒人男性の仕事[チップで実入りの良い]だったそうですけど。ちなみに乗った車の専属はネイティブと思しき?女性でした……東洋人にしては顔立ちが濃かったですから。美人。)


 起きて一枚目の撮影。

 起きてから最初の停車駅はKlamath Fallsで8時過ぎ。ここは「タバコも吸える」長時間停車。
 日は登りきっていませんし、空気もちょっと冷たい。一日と一晩汽車で走ると気候は変わるものです。


 貨物列車がお出迎え。従えているのは有蓋車の列。
 アメリカはコンテナ輸送は盛んですが、日本のように「鉄道貨物=コンテナ」というわけではありません。


 マルチプルタイタンパの形は万国共通……と言いたいところですが、日本で使われているものより小型ですね。保線機器は日本ほど進化していない印象を受けました。


 日本では絶滅した穀物用カバードホッパー車という車種はアメリカでは当たり前に見かけます。国土の広い農業国ならでは。


 列車の最後尾へ。


 前方を眺める。前には越えるべき山々が。


 やっぱり長い11両編成+重連の機関車。
 
 アメリカでは長距離旅客列車の機関車を途中で交換することはありません。「コースト・スターライト」のロスアンゼルス〜サンフランシスコ間の補機とか、分割併合を伴なう場合を除き、同じ機関車が起点から終点まで通しで牽引します。
 所属区ごとに機関車を交換する中国やロシア(と、昔の日本)と運用方針が全く異なるようです。

 何時からこうなったのかは分かりません。幾ら何でも蒸気機関車時代には無理でしょうから、ディーゼル機関車になって、更にその信頼性が高くなってからなのでしょうか?


 可愛らしくも威厳はあるKlamath Falls駅舎。

 ここ出て暫くしてから朝食。確か朝食も予約取りに回ってきたような気がするのですが……。

 6ドルちょうど。スクランブルエッグとハッシュドポテト、パン替わりのビスケット(日本のケンタにもある、あのスコーン状のやつです)。これにコーヒーとジュース(コーヒーは何杯でも継ぎ足しにきます)。味とボリュームは可も不可も無くというか、価格考えれば上等ですね。
 それに以下の景色までついてくるんですから。


 こんな山中の信号場での停車中でした。
 もやのかかった深い、しかし豊かな緑の山はいろんなことを考えさせてくれます。


 分かりにくいのですが、貨物列車との交換。
 
 
 こんな景色を眺めつつ……。でも、ここで或る異変に気がついたのでした。
posted by 西方快車 at 21:28| Comment(0) | 2009 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

【米:第2日目の5 2009/0925】「コースト・スターライト」篇5:アメリカにおける食堂車の身近さと「襟持ち」。サンフランシスコへ。


 座席の上に乗車区間の紙片を挟み込む習慣。
 (知る限り)アメリカ独自ですが、いつ頃始まったものなんでしょうか?

 山の中をひたすら。アップダウンはそこそこあります。山はカーブでひたすら距離稼いで超えていく感じ。平均速度も高くありません。3重連も納得。
 景色は良く観光には楽しめる路線ですが、加州の二大都市を結ぶ鉄道としてはどうなのかな? と思わされるのです(非電化単線であるのは言うまでもなし!)。


 餘部風味の鉄橋を渡る。


 巨大なパンケーキ形タンク。中身は農業用水でしょうか? 乾燥してそうなので水は貴重そう。


 山越え。左端のカーブがサミット。
 客車の窓から撮って機関車がこの位置にみえるということで、カーブの強さが分かるのではないでしょうか。

 機関車3重連に続き、客車もサミットを越えていく。
 コーストスターライトは太平洋岸の景色がよく誉められますが、山越えもなかなかのものです。


 客車の窓越しにここまで前方を見渡せるカーブってことで。
(写真は機関車の部分だけコントラスト弄ってます)


 或る駅でみかけた謎の貨車。
 真ん中にフレームの通った無蓋車。どんな用途なんでしょうか……(旅行中に判明。いつか積荷状態の写真も出します)。
 貨物列車密度の低さや貨物設備があまり見当たらないのは変わらず。日本と同等って感じでしょうか。


 El Paso de Robles駅。木造の山荘風。それにしても駅名はもろにスペイン語。この辺の歴史に関わってるのでしょうか?
 この辺にくると、停車は2時間に1回とかになります。


 ワイルドな景色も良いのですが、少しでも車窓に緑がみえるとほっとします。
 

 Salinas駅にて。ここも15分程度の長時間停車。
 

 客車のドア付近。黄色い踏台は客車の備品。停車の旅に車掌が出し入れ、昔ながらのやりかたが残っています。右側の表示器の数字の意味は分かりません。客車の車号でも列車番号でもありませんから。
 車側灯は夜間走行中は緑の点滅パターンで、これは綺麗でした。


 やはりヘリテージなハイレベルコーチは気になる存在。日本で云うなら東急5200とかサロ153-900とほぼ同期ってことになりますが、それが現役と云うのもやはり凄い。
 なお、客車の愛称は展望車・食堂車・寝台車には全車付けられています。


 ハイレベルコーチの台車。
 鋳鉄製の重そうなイコライザー台車(台車を軽量化する気はなかった模様……)。中央寄りの軸バネ位置にも注目。イコライザー台車の軸ばね位置は歴史が下るほど外寄りになるものなので(例えば開拓使号辺りは中央寄り、昭和の私鉄電車の場合は多くが外寄り)、1956年にこの台車というのも不思議です。
 

 駅前の保存蒸機とカブース。


 この辺りの「Host railroad」はUP(ユニオンパシフィック鉄道)。
 UPはデンバー&リオグランデ鉄道を1988年に統合していますが、まさか今なおリオグランデ鉄道塗装の機関車が残っているとは……実は意図的に残しているとのこと。ファンサービスもあるのでしょうが、現場の……被統合側の職員の士気を保つためかと深読みしたくなります。

 UPに並ぶ大手、BNSF(バーリントンノーザン・サンタフェ鉄道)もあれこれ吸収しまくってますが、統合した一つであるGN(グレートノーザン鉄道)塗装も健在なのはそんな理由なのかも知れません。


 山を下ると今度は沼沢地帯へ。そろそろ日も沈みかけ。


 この辺のタイミングで、食堂車の予約を取りにきました。

 さて。
 先にことわっておきますが、アメリカにおいては「食堂車での食事」は贅沢なものとか特別なものではありません(鉄道での長距離旅行が特別なものであるのは事実ですが)。
 そもそも利用距離が長いので食事する機会が多いこと、途中駅ホームでの飲食物の購入が有り得ないこと(1日1本程度の列車のために営業するわけにはいかない)。利用距離が平均的に短い欧州や日本、ホームでの販売が盛んで途中駅での購入も楽しみの一つであるロシアや中国とはまるで違う事情があると考えるべきです。

 ですから、合理化は徹底しています。
 食器はカップ・コップ含めて原則使い捨てのプラ製(そんなに安っぽくはない。陶製を模したデザインがいじらしい)。メニューはほぼ全土統一で調理も凝ったものは避けている印象(アメリカ料理に何を期待?)。テーブルクロスはディナーでは布製だけど朝や昼は紙のを使い捨て(ビニールにするという発想はないんでしょうか?)。
 でも、この種の合理化は否定する気にはなれません。
 食堂車が特別になりすぎてしまった国から見ると、低廉な価格でのサービスが全土・全列車に維持出来ていることの方が褒めたくもなるのです。


 それに、「食堂車」としての襟持ちは十分に保っています。
 ウェイター・ウェイトレスのサービスは過不足ないもの。たまですが、凄く愛想の良い人もいるのも印象的です。チップ目当てだとしても、そんな人にチップケチる理由はありませんよね?
 コーヒーは飲み終えたら空かさず注ぎ直してくれます(チップはコーヒーお代わり代と思って納得してました(笑))。
 それから、大事なのは窓際の生花。食堂車が特別なものであった時代の名残が嬉しいのですよ。

 食堂車は数えきれないほど利用しましたが、やはり楽しみな場所でした。
 昔の客船での食事を意識しているのか、一人旅の客を意図的に「相席」にさせるのもユニークなサービスだと思うのです。食事=会席として、食堂車が社交のための場所であることを今なお意識しているのでしょう。
 食事中に一人で寂しい思いはせずに済みましたが、貧弱な英語力での会話は……実はそこそこ楽しかったと云っておきましょう。日本から来たとかいえばそれだけで話題になりますので。


 
 さて。この日の夕食。
 本日のスペシャル16.75ドル、ステーキ22.5ドル、魚料理17.5ドル、ローストチキン14ドル(全てパン・サラダ・コーヒー付)。他ベジタリアンパスタ12ドル。
 スペシャルの内容がよく聞き取れなかったものの、「なんとかなるだろ」とそれを選択。


 サラダとパン、コーヒー。
 欧州人がアメリカ来て驚くのは「アメリカ人が食後ではなく、食事中にコーヒー飲むこと」なんだそうで。
 味は至極普通。


 メイン、やや失敗。魚のハンバーグ状のもので、あんまり美味しくなかった……。勿論、まずいとか食べられないというレベルではありませんけど。
 付け合せはフライドポテトとベークドポテトと米を選択出きたと思います。
 量は(予想通り)たっぷり。

 食事中にサンフランシスコに近づきました。

 サンフランシスコの中距離列車「キャピトル・コリドー」。
 アムトラックは西海岸の主要都市、ロスアンゼルス・サンフランシスコ・シアトルを起点に周辺の都市への中距離列車の便をそこそこ設定しているのですが、残念ながらそれらのネットワーク同士は完全に孤立しています。
 直通するのは「コースト・スターライト」1本のみ。

 また、アムトラックは何故かサンフランシスコ市内に駅がなく(最近そうなったとかいう話ではなく、昔からのことらしい)、「コースト・スターライト」は郊外の3駅に停車し市内へはバス連絡。
 この中でメインはOakland駅。21時47分着。15分停車。


 食堂車への補給。


 最前部へ。此処から先は有名な路面区間です。詳細は以下参照。
http://usarail.hmc5.com/oakland_jp.htm

 有名な?動画は以下。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6393507
(編集されて名鉄のミュージックホーンがついてます。オリジナルの動画は行方不明)


 最前部より。ここで機関車P32-8の切り離し。ここからはジェネシスの2両のみが牽引となります。


 「STOP」の注意差しが印象的。


 荷物車からの荷降ろし。


 Oakland駅舎。ガラス張りの超絶モダーンなもの。
 ここで降りる乗客多数。


 夜のステンレスカーも風情あるものです。
 座席車は既に減光済み。真ん中で明るい部分は階下への階段部分。

 お次はEmeryville。

 ここは完全な旅客駅ですが、ダブルスタックのコンテナ車の留置が印象的でした。
posted by 西方快車 at 22:22| Comment(0) | 2009 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

【米:第2日目の4 2009/0925】「コースト・スターライト」篇4:1956年生まれ車齢53年の「ヘリテージ」フリート健在也。

 もちろん、車内を歩きまわってみることに。
 完全に自由にというわけにはいきませんが。食堂車で寝台側と座席側が完全に分離されちゃってますから。
 物価の安い国なら寝台車や1等車に乗れますし、欧州みたいに1等車の割引が凄い……というか乗りまくり旅行に便利なレールパスが1等用しかない(ユースパスの年齢制限が未だに残ってるのは前時代的……)と、優等車側からの高みの見物ができるのですけどねぇ。
 ですから、旅行中に寝台車などのレポがないのはお許しください。


 カフェラウンジのメニュー(というより品目価格リスト)
 ほぼ全土共通。日本の車内販売に比べても割高感は否めず……(ビール高いよ!4ドル50セントもする)。でもコーヒーは1ドル80セントで割安ですが。アルコール類の価格は禁止・抑止的価格と思うのは偏見かしら。
 サンドイッチなども割高感ありますんで、朝食・昼食は食堂車で食べた方が安上がりにつきます(あっちなら6〜8ドルでジュースとコーヒーまで付いてきます。コーヒーはお代わり可だし)。でも、座席車のお客に取っては食堂車は敷居が高いと思われてる印象はありました(食堂車の予約は寝台車優先。ただし寝台料金に食事代込みですから、これは差別ではなくて合理的処置)。


 ラウンジ車(展望車)の階下。向かい合わせのテーブル幾つかと、奥に売店。
 



 売店。旅客機のギャレーを思わせる良い意味で合理的な造り。数字の振られた冷蔵ケースがそれっぽいですよね。普通のスーパー・コンビニと同じスタイルですから売る側も使う側も便利です。
 なお、このスタイルなのはスーパーライナーUのラウンジ車であり、スーパーライナーTはもっと使いにくいスタイル……狭いカウンターがあって、そこに注文して係員に取ってもらうというスタイルです。


 丁度この列車の景色上の目玉の一つ。太平洋を見渡す海沿いの区間に出てきました。階上のラウンジの、しかも海側の席はなかなか空きません。なんとか空席みつけて座り込みます。

 海。
 とくに言葉も出てきませんけど、海とか湖とか水辺を走る列車は好き……。


 ときおり線路と海の間に道が入り込みます。
 アメリカ人のオートキャンプ好きがわかります。キャンピングカーは得てして大型ばかり。


 Santa Barbara駅。南欧風の駅舎が見事。
 ここからは海も近いはず。


 駅の外れに保存されていた展望車。かつてこの辺りで旅客列車も走らせていたサザンパシフィック鉄道のもの。いわゆるヘビーウェイト客車で1920年代かそれ以前の車。
 ダブルルーフながら、上段寝台の居住性考えた部分シングルルーフが印象的です。


 駅をでると、また海沿いへ。
 如何にもリゾート!とかパラダイス!な光景。




 ラウンジの窓が上下に大きいので、海が近くに感じられます。
 現行のスーパーライナーラウンジ車は昔のガラス張りなドームカーよりも開放感に欠けるんじゃないかと思っていましたが、窓が外見の見た目よりも上下に大きいので杞憂でした。 膝より上が窓、それが車体全長に連続している……というのは結構インパクトがあるものです。
(ラウンジ車の車内写真は他で撮ってますので、もう少しお待ちを)


 海沿いを2時間ほど走って、今度は山へ。


 謎のすれ違い。相手はアムトラックのアムフリート客車。
 まず、アムフリート客車は西海岸への配置はないはずです。また、この区間(Santa Barbara〜San Luis Obispo)には「コースト・スターライト」以外の客レもないはず……。
 回送か、事業用か……。

 なお、貨物列車とのすれ違いも殆どありませんし、貨物用設備や留置されている貨車も殆ど見かけません。

 事業用?のカブースは留置されてたりしましたが。


 丘に登れば、如何にもアメリカな田園風景。広大なる農地。


 ロスアンゼルスから5時間半、15時20分頃San Luis Obispo駅に到着。ここでは反対方向のコースト・スターライト(14レ)との交換が行われます。といっても11レ入線と同時に14レが出て行くダイヤなので並びは撮れませんが。
 14レも11レ同様、座席車を最後尾にした編成です(と、いうことは必ず編成ごと方向転換している!?)。

 ここは20分ほどの長時間停車。スモーキングタイムでもあります。
 そして、やや狭いものの光線状態がよいので、客車の写真とるのにも最適♪


 ラウンジ車。青帯の位置に床がありますので、窓の大きさが実感出来ますかと。
 昔のドーム車に比べて地味な外見ですが、中身は凄いという感じ。


 食堂車。階下に窓なしであることと、階上中央部・配膳室の窓無し部が食堂車であることをアピール。




 前後のスーパーライナーとの車体断面の差に気がつかれたでしょうか?
 この編成中の白眉、貴重な「ハイレベルコーチ」の生き残り。1971年のアムトラック統合前の客車は概ね淘汰されてしまいましたが、1956年製のこの車は今なおコースト・スターライトのレギュラーとして活躍中。
 寝台車側のラウンジとして使われているので、気軽に立ち入れないのが残念ですが(ワインのテイスティングイベントとか行われてるとか)。内部はサンタフェ鉄道時代からはかなり改装されている模様。
(車内写真などお持ちの方いらっしゃいませんか?)

 統合前の「ヘリテージ」客車は事業用車や動態保存的な車の他、東部の食堂車にも現役で運用についている車があるようです。意図的に残しているというより、新車作る費用の問題らしいのですが……。


 寝台車。座席車と車体構体は共通です。窓割りは寝台車側に合わせています。
 荷物車との間に入るのは従業員用寝台車。昔はドミトリーカーという開放寝台車だったそうですが、今は従業員用も個室寝台。


 荷物車。荷物車もまたヘリテージな世界です。かつてはスカート付きのスマートな車だったようですが、いつの間にか剥ぎ取れてしまった模様。車端部と扉ステップに名残を残す。


 編成を見渡す。


 いわゆる「ジェネシス」。昔の流線型ディーゼル機関車を今風に再現したつもりなのでしょうが……。お世辞にもかっこよいとは云えません。普通に角形ボンネット突き出した形状でも、或いは普通のキャブユニットの機関車らしい機関車で十分だったと思うのですけど。


 やっぱり機関車は機関車らしい形状が一番です。ゴツいキャブユニットに爽やかなアムトラックスキームV塗装(この辺の解説はまた何時か……)は意外と似合ってます。ただ大型キャブユニットに軽快なB-B配置の足回りはゲテモノといえばゲテモノですけど。
 この写真撮るために汗まみれになりました。


 駅舎。おとなしくも整ったもの。やはり南欧の匂いです。
 客車に戻り、反対側をみたら……。


 

 構内に留置されていたユニオンパシフィック鉄道のディーゼル機関車。アメリカンマッチョなディーゼル機関車は趣味の対象外……のつもりですが、やはりこの空の下でみると魅力的です。巨大なラジエータや燃料タンクも魅力の一部。
 あと、UPの黄色って一番写欲を刺激すると思うのは私だけではあるまい……。ディーゼル機関車(ガスタービン・蒸気タービン機関車も)投入以来のカラーリングを変えていない伝統保守もファンごころを刺激します。
 サイドに国旗を描くようになったのは最近のことなのでしょうか?

 撮り終わったら丁度、発車でした。
posted by 西方快車 at 19:27| Comment(3) | 2009 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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